November 16th, -22nd, 2008 Vol.15 No.46

霊的成長センターとしてのユアチャーチ (マタイによる福音書28:18-20)

イエスは、近寄って来て言われた。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。 だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」

「すべての民を私の弟子にしなさい」という言葉に注目しましょう。イエス様は弟子たちを召命され(ルカ5,6章)、育てられ(7,8章)、送り出されました(9章)。 イエス様の教育方法は教室での講義ではなく、生活を共にして自ら実践する行いと言葉を見習わせるという方法でした。師匠の働きは聖書を読み聞かせる、説教するだけではないのです。 弟子は師匠を見習って成長し、やがて師匠になるものです。みなキリストの弟子であることは当然ですが、目に見える師匠も必要なのです。もちろん目に見える師匠もキリストの弟子でなければならないことは当然です。イエス様がすべての民をとおっしゃったのですから、あなたも師匠となり、弟子を育てることを期待されています。  イエス様は、「はっきり言っておく、私を信じる者は私が行う業を行い、また、もっと大きな業を行うようになる。」(ヨハネによる福音書14:12) とさえ言われました。このふたつのテキストを合わせて読むならば、教会には老若男女すべての人々を「主の働き人」に育て上げる責任があるということです。  そしてイエス様は、弟子たちが自分より大きな業をすることを楽しみに期待しておられます。これが、師匠の誇りです。私もイエス様に習って、皆さんを育て送り出し、例えば皆さんよりも多くの弟子を作るということを期待しているのです。 最初にお読みした箇所では、後半の 「彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。」 の方により注意が向けられていて、教会の責任とは「魂の救い」と考えられがちです。それは教会が「魂の救いのセンター」だという理解です。このモデルは二種類の人々を想定しています。クリスチャンとまだ信じていない人々です。そしてまだ信じていない人がクリスチャンになることをサポートするのが教会の機能だと考えるのです。 ユアチャーチは教会の働きを「魂の成長センター」と考えています。どこが違うか分かりますか?救いというのは、いわば霊的な誕生ですが、教会の機能はむしろそこから始まります。ユアチャーチはあなたがクリスチャンになったことだけで満足してはいません。それでは私たちがどう霊的に成長してゆくのか順を追って考えてゆきましょう

 

A. 霊的な成長段階

1) ステージ0:生まれる前のクリスチャン (使徒言行録8:30-35)

使徒言行録の時代の伝道者フィリポは聖霊に促されて、エルサレムに礼拝に来た帰りの道を進んでいた神様を敬うエチオピアの高官に語りかけました。高官は、イエスキリストについての預言であるイザヤ書の53章を読んでいましたが、彼はここに記されているのが誰なのか知りたいと感じていたのでフィリポに質問しました。そこでフィリポは、この個所からイエス様についての福音を告げ知らせせたのです。この高官のように「真理を追い求めている人」「何が真実であるか知りたい人」が礼拝に来て下さったり、教会のウエッブサイトに来て下さったりして、さらにイエス様をもっと知りたいと思って下さる方は、礼拝に続けてきて下さいます。また皆さんの家庭や職場でクリスチャンである皆さんにふれて、「この人が信じている神様はどんな方なのだろうか?自分にも信じる価値があるのだろうか?」と思っている人々がいます。このような人々、あなたがぜひイエス様を知ってもらいたいと願っている人々がこのステージの人々です。

 

2) ステージ1:生まれたばかりのクリスチャン (使徒言行録8:36-39)

さてフィリポがイエス様を紹介すると、エチオピアの高官は自分にバプテスマを受けられるかとフィリポに尋ねました。フィリポは「真心から信じておられるなら、差し支えありません」と言うと、彼は、「イエス・キリストは神の子であると信じます」と答えました。そこでフィリポは彼に洗礼を授けました。彼らが水の中から上がると、主の霊がフィリポを連れ去りましたが、彼は喜びにあふれて旅を続けました。エチオピアの高官に人生最高の喜びが訪れたのです。しかしここから彼のクリスチャンとしての人生が始まったのです。皆さんにも、このステージに留まることなく、新しく生まれた喜びに勝るとも劣らない成長の喜びを味わっていただきたいと思います。

3) ステージ2:成長しつつあるクリスチャン (マタイによる福音書17:14-21)

救われた喜びは、イエスを信じることによって神様と結びつけられた喜びです。神様を愛することを知った喜びともいえるでしょう。しかしこの喜びの段階に留まらず、成長した人は「互いに愛し合う」ことを知るのです。神様と結び合わされただけではなく、神様を愛する人々と結び合わされた喜びを知ることになります。私たちは主にミニチャーチでの交わりの中でこの恵みを実感することができます。ミニチャーチは魂の成長に欠かせない場なのです。イエス様が宣教を始められると、大勢の人がお話を聞かせていただきたくて、またしるしや奇蹟を見たくて、イエス様が行くところ行くところにぞろぞろとついて回りました、いわゆる「おいかけ」です。イエス様に招かれ、従って行った弟子たちは、それらの人々とは異なり、いつもイエス様のそばにいました。いわばイエス様のミニチャーチに参加した人々です。そして少しずつイエス様がなさることを見習って成長してゆきました。マタイ17章には、弟子たちが試みてできなかった悪霊の追い出しを、彼らの前で行い、弟子たちの質問に答えて失敗の原因をお教えになったことが書かれています。弟子たちはこのように時には失敗しイエス様に叱られながら、互いに学び合い愛し合うことを学び成長してゆきました

4) ステージ3:成熟したクリスチャン (コロサイの信徒への手紙3:7-14)

福音書の時代の弟子たちは、イエス様の元で弟子修行を始めたばかりで、心もとない状態ではありましたが、使徒言行録の時代には、悪霊の追い出しもできるようになり、イエス様の命令に応えて世界に広がり始めました。それが成熟したクリスチャンの姿です。成長はまだ続いています。霊的成長は天に帰るまで続くでしょう。このステージにいるクリスチャンの指標がコロサイの信徒への手紙の3章に記されています。週報に乗せてあるこのテキストの最後の部分に これらすべてに加えて、愛を身に着けなさい。愛は、すべてを完成させるきずなです。とあります。私たちがミニチャーチの中で互いに愛し合うことを学ぶのは、快適にミニチャーチを維持するためではありません。そうではなく愛を世界に持ち出すためです。もう皆さんは、私が世界と言う時にどのようなところをさしているかご存知だと思います。それは、見知らぬ大陸の見知らぬ国のことだけをさしているのではありません。あなたが礼拝をしていない時、ミニチャーチの中にいない時に身を置いている、すべての場所のことです。成熟したクリスチャンは、愛を身につけそこに出てゆくのです。

B. 霊的な成長のプロセス

ルカによる福音書の5章から9章にかけて、クリスチャンがたどるべき成長のロードマップを見ることができます。それは三つプロセスに分かれています。

1) 主を知る:ステージ0から1へ (ルカによる福音書5:4-11)

第一のプロセスは「主を知らなかったものが主を知る者となる」プロセス。前半のお話しのステージ0からステージ1に成長するプロセスです。「招き」(Calling) のプロセスです。ルカによる福音書5:4-11に、後にイエス様の代表的な弟子となるペトロがどのようにイエス様を信じる者となったかが記されています  シモンは自分のやり方で漁がうまくいかずに困っていた時、イエス様の言葉を試して、   予想外の大漁を体験したことで、イエス様を自分が従ってゆくべき方と信じました。 私たちは、人を信じさせることはできません。しかしイエス様が直接その人の心に働いてくださるために、良い準備をすることができます。それは単純なことです。あなた自身がイエス様の愛を表わす者となること、イエス様を信じることによって得た大きな恵みを伝えること、その人のために祈ることです。礼拝に招いて、神様の素晴らしさにふれていただくことも出来ます。

2) 霊的な基礎教育:ステージ1から2へ (ルカによる福音書7,8章)

第二のプロセスは「主を愛する者が互いに愛し合う者となる」プロセス。前半のお話しのステージ1からステージ2に成長するプロセスです。「立て上げる」(Building) のプロセスです。 イエス様はシモンを、「人間を取る漁師にしてあげよう」とスカウトされましたが。実際にそうなるには数年の時間を要しました。○○さんは最近貿易会社に就職が決まりました。「貿易事務をさせてあげよう」と招かれましたが、まだ実際の仕事をしているわけではありません。研修期間中です。沢山学ばなければ実務にはつけないのです。イエス様を信じたばかりの人にミニチャーチを強く勧めるのは、私たちにも研修が必要だからです。神様を愛するということは、実際には互いに愛し合い、世界を愛するということも含まれています。愛し合わず、周りを愛さないなら神様を愛していることにはなりません。ミニチャーチは互いに愛し合うことを楽しめる場所でもありますが、安心して失敗しながら学んでゆけるところでもあるのです。

3) 霊的な職業訓練:ステージ2から3へ (ルカによる福音書9:1-6)

第三のプロセスは「学んだ者が世界に出てゆく」プロセス。前半のお話しのステージ2からステージ3に成長するプロセスです。「送り出す」(Sending) のプロセスです。ルカによる福音書9:1-6を読んでみましょう

イエスは十二人を呼び集め、あらゆる悪霊に打ち勝ち、病気をいやす力と権能をお授けになった。 そして、神の国を宣べ伝え、病人をいやすために遣わすにあたり、次のように言われた。「旅には何も持って行ってはならない。杖も袋もパンも金も持ってはならない。下着も二枚は持ってはならない。 どこかの家に入ったら、そこにとどまって、その家から旅立ちなさい。 だれもあなたがたを迎え入れないなら、その町を出ていくとき、彼らへの証しとして足についた埃を払い落としなさい。」 十二人は出かけて行き、村から村へと巡り歩きながら、至るところで福音を告げ知らせ、病気をいやした。

会社のことをもう一度考えてみましょう。会社は人を研修させるために雇うのではありません。将来のヴィジョンを持った良い会社なら、その人が会社に取って大きな力となることを期待して雇うのです。新入社員はやがて研修を終え、実務につきます。イエス様も、一生学んでだけいるためにあなたを招いたのではありません。働き人になれるように招いたのです。神様があなたを用いて何かなさろうとすると、あなたはつい不安になって「私はまだ勉強が足りません。もう少し学んでから働かせてください。」と言いたくなってしまいませんか?それはクリスチャンの一般的傾向です。天国に帰ったとき、神様は、どれほど沢山の集会に出たか、どれほど聖書を沢山読んだかといったことを誉めては下さらないと思います。問われるのは、愛するために出て行ったかということではないでしょうか?もちろん学ぶことはずっと続きます。しかしここからは実地訓練です。あなたの霊的な仕事場はこの世界のどこにあるのでしょうか?そこに送り出すために教会は、人材派遣会社のように、互いの持つ賜物にふさわしい働きの場を紹介し、送り出します。イエス様の働きは多岐にわたります。主婦として家庭にいることもそうなのです。クリスチャンの主婦は自分を何もしていない主婦だと思ってはいけません。その家庭に派遣された「神様の働き人」としてそこにいるのです。職場や、教室も同様です。そこにいる人のために、遣わされた者なのです。教会のスタッフとして働く人材、国内外に新しい教会をつくるために働く人材、キリスト教のNGOで働く人材も必要とされています。イエス様は「収穫は多いが、働き人が少ない」とおっしゃっています。あなたはこのイエス様の言葉にどう応えますか?

メッセージのポイント

ユアチャーチはあなたの霊的な成長のために存在しています。ユアチャーチが提供しているすべてのプログラムは、この目的のためにあるのです。神様はあなたが霊的に成長して、神様と共に働く者となることを願っておられます。今の段階からすぐに神様のために大活躍することはできないかもしれません。しかし次のステップにふみだしことならできるはずです。

話し合いのために

1) あなたはどの成長段階にいますか?
2) あなたが次のレベルに成長するために教会は何をしてくれますか?