January 4th,- 10th, 2009 Vol.16 No.1

もっと喜べ 2009年基調聖句のメッセージ ペトロの手紙I 1:3-9

 この手紙は、当時アジア地方と呼ばれた南北を地中海と黒海に挟まれた現在のトルコの西側の各都市にあった教会の人々に向けて書かれた手紙です。彼らの教会は、その土地に元から住んでいた人々とイスラエルが領土を失った時に散らされて今もその地方に住んでいたユダヤ人の両方が集う教会だったようです。ペトロは手紙の冒頭で「離散して仮住まいをしている神に選ばれた人々へ」と彼らに呼びかけています。離散して仮住まいしていると言う言葉は元々領土を失って他国に身を寄せて仮住まいしていたユダヤ人を指して使われた言葉です。ここではもっと広い意味で、クリスチャンは皆、神様の意思によって世界に出て行き、様々な場所で主に仕えていること。しかし、それはどんなところであっても、いつかは永遠の住まいに帰るクリスチャンにとっては、仮の住まい、旅の途上だということをさしているのです。  この聖書の個所から、もっと喜んで歩みましょう、ということを今年のユアチャーチの基調としておぼえてゆきたいと考えました。そこで始めに、なぜ喜べるのか?喜びの根拠はどこにあるのか?ということをしっかり押さえておきたいと思います。

A神様の財産を受け継ぐ者として喜びなさい

1) 終わりの時に現される救いを受けるために守られている (3-7)

わたしたちの主イエス・キリストの父である神が、ほめたたえられますように。神は豊かな憐れみにより、わたしたちを新たに生まれさせ、死者の中からのイエス・キリストの復活によって、生き生きとした希望を与え、また、あなたがたのために天に蓄えられている、朽ちず、汚れず、しぼまない財産を受け継ぐ者としてくださいました。(3-4) あなたがたは、終わりの時に現されるように準備されている救いを受けるために、神の力により、信仰によって守られています。(5) それゆえ、あなたがたは、心から喜んでいるのです。今しばらくの間、いろいろな試練に悩まねばならないかもしれませんが、あなたがたの信仰は、その試練によって本物と証明され、火で精錬されながらも朽ちるほかない金よりはるかに尊くて、イエス・キリストが現れるときには、称賛と光栄と誉れとをもたらすのです。 (6-7)

私たちは天に積まれた宝をまだ受け取ってはいません。でも、それを受け取ることのできる引換券をいただいているのです。こんなにうれしいことはありません。しかし宝を完全に受け取るためには終わりの時まで、備えられた道を歩み続けなければなりません。苦しむ時、疑うときもあるのです。私たちの信頼する心は完全ではありません。この道を自分の力で歩き通すことはできません。しかし、神様は私たちが準備されている救いを受けるために守っていて下さいます。 (5) だから喜んでいることができます。しかし「神の力により」と書かれているすぐ後に「信仰によって」守られていると書かれているのが、気になりませんか?神様の力を受け取るためには信仰が必要だということです。信仰とは、あなたが神様の言葉を受け取るアンテナのようなものです。神様は力を電波のようにあなたにとどけ、あなたはそれをアンテナで受け取るのです。信仰は勉強によって得られる知識でも、努力によって得られる技術でもありません。神様が私たち一人一人に与えて下さっている最初からのプレゼントなのです。私たちは力を作り出すことはできませんが、アンテナを精一杯のばし、良い角度を見つけて、良い感度で電波を受け取れるようにさえすれば喜びは心の中に満たされるのです。

2) 信仰の実りとして魂の救いを受けている (8-9)

あなたがたは、キリストを見たことがないのに愛し、今見なくても信じており、言葉では言い尽くせないすばらしい喜びに満ちあふれています。 それは、あなたがたが信仰の実りとして魂の救いを受けているからです。(8-9)

この前に読んだところで、まだ手に入れていない救いについて書かれていましたが、ここでは信仰の実りとして既に受けている魂の救いについてと書かれています。その違いについて考えてみましょう。受けている魂の救いとは、私たちの魂は既に神様のものとされているという事実のことです。まだ完全にいただいてはいない終わりのときの恵みの引換券は、私たちがこの世界で生きて行くためのパスポートでもあるのです。イエス様を主と信じて生きることこそ、人生を生き抜く最大の力です。クリスチャンであるというこのパスポートは、暗闇の中でもイエス様を信頼し切って、喜びに満たされて歩くことができる保障なのです

B これらのことを喜ぼう

1) 豊かに与えられていること (3-4)

わたしたちの主イエス・キリストの父である神が、ほめたたえられますように。神は豊かな憐れみにより、わたしたちを新たに生まれさせ、死者の中からのイエス・キリストの復活によって、生き生きとした希望を与え、また、あなたがたのために天に蓄えられている、朽ちず、汚れず、し ぼまない財産を受け継ぐ者としてくださいました。(3-4)

あなたはもっと喜んでいいはずです。なぜならあなたは地上の誰よりも裕福な人だからです。もちろんここで裕福と言っているのは財産を沢山持っているということではありません。そうではなく、あなたの必要を誰よりもよく知っている方があなたの主だということです。あなたが地上での生活において必要なものはすべて主が与えて下るのですから。いろいろなものを沢山持っていることは実は喜ばしいことではありません。足りなくなったらどうしよう、古くなったらどうしよう、盗まれたら、汚れたら。ところがみなさんには、そんな心配はありません。乏しいからではありません。宝を天に積んでいて、神様がその財産を安全に管理していて下さるからです。地上にいる私たちはそれを自由に処分することはできませんが、本当に必要なものは天のお父さんが仕送りして下さるので、何の心配もする必要はないのです。これほど喜ばしいことはありません。

2) 完全に守られていること(5)

あなたがたは、終わりの時に現されるように準備されている救いを受けるために、神の力により、信仰によって守られています。(5)

あなたはもっと喜んでもいいはずです。なぜならもう恐れはないからです。私たちは神様以外に畏れるものは、何一つありません。病気も、家計も、人間関係も、あらゆる問題から神様はあなたを守って下さいます。私たちがただ主に向かって霊的なアンテナをしっかりのばして、どんな時にも必要な情報をしっかり受け取っているなら、私たちは神様の守りの中にいる事ができます。目には見えない守りの翼におおわれていることをもっと喜びましょう

3) 子として訓練されていること (6-7)

それゆえ、あなたがたは、心から喜んでいるのです。今しばらくの間、いろいろな試練に悩まねばならないかもしれませんが、あなたがたの信仰は、その試練によって本物と証明され、火で精錬されながらも朽ちるほかない金よりはるかに尊くて、イエス・キリストが現れるときには、 称賛と光栄と誉れとをもたらすのです。 (6-7)

「あなたの信仰は本物ですか」と誰かに真剣に聞かれたら「はい、もちろんです」と胸を張って答えられますか?そうあなたが言えるとしたら、それはあなたが何らかの信仰の試練をくぐって来たからです。ヘブライ人への手紙の12章には神様が私たちを本当の子供だと認めておられるからこそ、私たちが神の子にふさわしい者となるように鍛錬されるのだと書かれています。訓練自体は愉快なものではないかもしれませんが、試練が来たら喜びなさいとヤコブも勧めています。神様は真実な方ですから、あなたの成長のために試練に遭うことを許すのであり、それは罰でも、意地悪でもないのです。しかも、神様はあなたに耐えられない試練を与える方ではありません。あなたに苦しいときがあるとすればそれは神様があなたの信仰をステップアップして下さるときだと思って喜びましょう

メッセージのポイント

新しい一年が今までよりもっと「主にある喜び」を実感する時となるように、神様は私たちの信仰をもう一歩前進させたいと願っておられます。私たちは主に信頼し、彼に従って歩むことを決心して、永遠の命をいただきました。このことを聖書は「救い」と表現しています。しかしそれが完全な形でいただけるのは、この世での歩みを終えた時です。それまでは様々な試練がありますが、それらは私たちの霊的な成長のために与えられているものです。

話し合いのヒント

1)天に蓄えられている、朽ちず、汚れず、しぼまない財産とは?
2)喜べない時がありますか?どうしたら喜びを回復できるでしょう?