June 7th, - June 13th, 2009 Vol.16 No.23
シリーズ:ペトロに学ぶ喜びに満たされて生きる方法19 (IIペトロ3:8-13)
あなたの未来は決して暗くない
A 終わりの時は来る
新約聖書の時代の教会の人々は、自分たちが生きている間にイエス様が再び来られると考えていました。しかし何十年もたつうちに、先週のテキストにあったように、その期待や緊張感は解け始め、世の終わりの日など来はしない、従って最後の裁きなど考える必要がないから、欲望の赴くままに生活していいのだと教える偽教師がはびこりました。ペトロは、「ではなぜ、まだなの?」という人々の疑問に応えてこう言ったのです。
愛する人たち、このことだけは忘れないでほしい。主のもとでは、一日は千年のようで、千年は一日のようです。 ある人たちは、遅いと考えているようですが、主は約束の実現を遅らせておられるのではありません。そうではなく、一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、あなたがたのために忍耐しておられるのです。(8,9)
私たちと神様とでは時間の感覚は違います。もうすぐだと思い込んでいて、遅いと感じるのは間違っています。もっと多くの人々が、神様との正しい関係に戻れるように、忍耐して待っておられるのです。「終わりは近い。しかし慌てず騒がず、教えられた愛の業に励みながら日々を過ごしなさい。」 これが人々に神様がペトロを通して教えられたことです。神様は今でも同じように忍耐して待っておられます。私たちは、イエスキリストを知ることによって、神様と和解することができました。その喜びを愛する人々に伝えることがクリスチャンであるあなたの役割です。
主の日は盗人のようにやって来ます。その日、天は激しい音をたてながら消えうせ、自然界の諸要素は熱に熔け尽くし、地とそこで造り出されたものは暴かれてしまいます。(10)
その日は突然やってきます、変わらず存在し続けると思っていたものがすべて滅ぼされてしまいます。世界の終わる日です。今、目に見えるものはすべてかたちをとどめなくなってしまいます。しかし、目に見えない神様を知っている人は幸いです。肉体は滅びても、その人の魂は神様とともに永遠だからです。イエス様は「天地は滅びても私の言葉は決して滅びない」とおっしゃっています。イエス様ご自身は「この日」について、マタイ24章、マルコ13章、ルカ21章でお話しされています。「天使にも自分にも知らされていない日が突然やってくるので、用意しておきなさい、あるいは目を覚ましておきなさい」ということですが、わからない日のため、どのような準備をすればよいのでしょうか?私たちは、「起ころうとしているこれらすべてのことから逃れて、人の子の前にたつことができるようにいつも目を覚まして祈る (ルカ21:36) 。ことができます。それは寝ないで祈り続けると言う意味ではありません。欲望に任せた生活、深酒、日常生活の煩いに心を奪われないようにしていなさい、ということです。福音書のイエス様の言葉を見渡すなら、私達がしなさいと命じられている事はいろいろありますから、四六時中、祈りだけをしていなさい、と言うわけでもありません。例えば、心からの礼拝をささげなさい、愛し合いなさい、仕え合いなさい、宣べ伝えなさい・・・・。そのような、命じられている生き方をするために大切なことを次の三つの節から知ることができます。
B 終わりの時に終わりにならない生き方
このように、すべてのものは滅び去るのですから、あなたがたは聖なる信心深い生活を送らなければなりません。神の日の来るのを待ち望み、また、それが来るのを早めるようにすべきです。その日、天は焼け崩れ、自然界の諸要素は燃え尽き、熔け去ることでしょう。(11,12)
その一つは、神様にしっかりとつながっているということです。天が焼け崩れ、目に見えるすべてのものが燃え尽き、溶け去る時まで、聖なる信心深い生活を送りなさい。地上におかれてはいても心はいつも、イエス様とともに歩むことによって神様の方を向いているようにしなさいということです。終わりの日まで、つまりは最後の最後まで、その姿勢を変えないで進んでゆきなさいということです。 ただし、「それが来るのを早める」という言葉には注意が必要です。東西の冷戦時代に、この言葉を誤解した人々は「悪の帝国ソ連を核兵器で攻撃する事」が、ここで命じられている、終わりの日を早めることになる(つまり全面核戦争になり地球が滅びる、そのことを支持するグループに属するクリスチャンだけが無事に空中に引き上げられる)と考えました。その中には当時の有力な国家の指導者までもが含まれていました。もちろん神様はそのような事を許しませんでしたが、聖書の言葉を自分勝手に解釈すれば恐ろしい事をおこすことになるのです。 「それが来るのを早める」の正しい理解はこうです。イエス様は、「御国のこの福音はあらゆる民への証として、全世界に宣べ伝えられる。それから終わりが来る」 (マタイ24:14) 「あなたがたは行って、すべての民を私の弟子にしなさい」(マタイ28:19) と言われました。つまり、そのために私達のすべき事は、反キリストの悪の帝国に向けられた核弾頭を積んだミサイルの発射ボタンを押す事などでは決してなく、 あらゆる人にイエス様を紹介し続けること、イエス様の愛を知ってもらうことです。近くにいる人をイエス様の愛で愛する事から、遠い国の飢えている子供たちの必要をみたすこと、まだ聖書が訳されていない言葉を持つ人々のために聖書を翻訳して届ける事まで、私達がそれぞれに与えられている賜物を生かし、協力しあってするべき事を忠実に果たしていくことこそ、その日がやってくるのを早めることなのです。
第二の事は最後の13節に記されています。
しかしわたしたちは、義の宿る新しい天と新しい地とを、神の約束に従って待ち望んでいるのです。(13)
今の世に不義がはびこるのは不思議ではありません。私達は、この世界で神様の義を少しでも多く実現する、不義を止めさせる務めを帯びてはいますが、義が完全に現される事をこの世に期待することはできないのです。けれども、私達はこの天地が滅びた後の、神様の義が完全に現される新しい天地を待ち望むことができます。もしその日が100年以上先になるとしたら、ここにいる人は誰もその日を地上で迎える事はできませんが、神様の意思に従って歩んだ人は、その地上での歩みを終えた後、神の国に帰れるということが約束されていますから、その希望をしっかりと抱いて現実に立ち向かうことができます。待ち望むといっても、それは決してこの世の楽しみや喜び安楽を求めてはいけないということではありません。他の人を悲しませたり、苦しませたり、他の人の犠牲の上に成り立つことでなければ、私達の心を喜ばせ、楽しませ、慰めるすべてのものは、神様からのプレゼントです。
メッセージのポイント
世界には始まりがあったように、終わりが来ます。それがいつであるかは、私たちには分かりません。そのとき自分も滅びてしまわない方法がある事を聖書は教えています。それは神様を信じて生きるという方法です。自分の能力や地位、財産ではなく、自分を創られた神様を信頼するのです。この生き方をする人は、終わりの時にも滅びることはありません。
話し合いのためのヒント
1) 終わりの日はいつ来るのですか?
2) 終わりの日が来る事を早めるとは