September 6th,- 12th, 2009 Vol.16 No.36
神様から生まれた者は永遠の命を持つ 1ヨハネ 5:1-12
A 神様から生まれた者とは?
イエスがメシアであると信じる人は皆、神から生まれた者です。そして、生んでくださった方を愛する人は皆、その方から生まれた者をも愛します。(1)
クリスチャンが神様から生まれたとはどういう意味なのでしょうか?聖書は神様が全ての者の父であると教えます。全ての人間は系図を遡れば、神様によって創られたアダムとエバに至るということです。それではなぜヨハネは、イエスがメシアであることを信じる人は と限定したのでしょうか?このことにイエス様御自身が、ヨハネによる福音書の三章の中で答えておられます。『人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることができない』 こう言われたのはニコデモという人です。彼は政治的にも宗教的にも地位のある人でした。後にイエス様の弟子となった人です。しかしこのときの彼はイエス様の言葉の真意を測りかねて『もう一度母親の胎内に入って生まれることができるでしょうか?』とイエス様に尋ねています。イエス様はそれに答えて新しく生きるとは『肉からではなく、水と霊によって生まれることだ』と答えました。ニコデモは、それでもまだ理解できませんでした。イエス様が伝えたかったことは「聖霊の働きによって、今までの生き方を悔い改めてイエス様を主と信じ従うことによって、人間は本来の生き方が出来る」ということです。それは昨日までの生き方とは違う新しい生き方であると同時に、実は神様御自身に似せて創造された人間本来の姿でもあるのです。
このことから明らかなように、わたしたちが神を愛し、その掟を守るときはいつも、神の子供たちを愛します。 神を愛するとは、神の掟を守ることです。神の掟は難しいものではありません。 神から生まれた人は皆、世に打ち勝つからです。世に打ち勝つ勝利、それはわたしたちの信仰です。 だれが世に打ち勝つか。イエスが神の子であると信じる者ではありませんか。(2-5)
信じるとは心の決心ですが、それに行動が伴っていなければ本当に信じていることにはなりません。イエス様をメシア(救い主)として信じる人の信仰が本物であるなら、必ず愛という行動が伴うはずです。それはユアチャーチの、つまり私たちの存在目的でもあります。神様を愛し、互いに愛し合い、世界(全ての人々)を愛することです。私たちは愛することがとても難しいと感じているのですが、ヨハネは、このことを難しくないと言っています。その理由は、神様が、イエス様を主と信じ従う者に勝利を約束しておられるからです。クリスチャンは皆、愛による行動を起こすなら毎日のように勝利を経験することができます。生涯の終わりの日に臨んで後悔することなく、人生の勝利を喜ぶことができるのです。神様を信頼して、愛し続けましょう。
B なぜイエス様でなければいけないのか?
この方は、水と血を通って来られた方、イエス・キリストです。水だけではなく、水と血とによって来られたのです。そして、“霊”はこのことを証しする方です。“霊”は真理だからです。 証しするのは三者で、“霊”と水と血です。この三者は一致しています。 わたしたちが人の証しを受け入れるのであれば、神の証しは更にまさっています。神が御子についてなさった証し、これが神の証しだからです。 神の子を信じる人は、自分の内にこの証しがあり、神を信じない人は、神が御子についてなさった証しを信じていないため、神を偽り者にしてしまっています。(6-10)
水はイエス様が一人の人として悔い改めのバプテスマを受けられたこと、血はすべての人の罪のあがないとして十字架で死の苦しみを受けられたことを意味しています。わざわざ、水だけではなく、と念を押しているのは、「イエス様はただの人間であって、バプテスマを受けた時に聖霊が下り、十字架にかかる前に聖霊は離れ去った」という偽教師の教えが知られていたからです。しかし、聖霊がイエス様に下ったことの本当の意味は全ての福音書が証言しているようにイエス様が神の子であるという証明だったのです。このバプテスマを授けたバプテスマのヨハネ自身も、その時、神様の声を聞き、聖霊が下るのを見て、この方こそ神の子だと確信したのです。自分で考え結論づけた確信ではありません。その耳で聞き、目で見たことです。だからヨハネは「神様御自身がなさった証し」だと言っているのです。この証しを受け入れることが信仰の決心です。私たちは皆、初めに神様についての人々の証言を聞いて神様のことを考え始めましたが、最終的には、神様御自身がイエス様について証言されている事柄を信じるかどうかの決断を求められているのです。
その証しとは、神が永遠の命をわたしたちに与えられたこと、そして、この命が御子の内にあるということです。 御子と結ばれている人にはこの命があり、神の子と結ばれていない人にはこの命がありません。(11,12)
イエス様が水と血を通して来られたのは、他の誰も与えることのできない新しい命、決して変わることのない永遠の命を下さるためです。ただし、それはイエス様御自身の内にあるというのです。イエス様から手渡されるものではなく、イエス様ご自身を受け取らなければならないのです。それは、あなたがイエス様を自分の王、救い主、神としてお迎えするということです。イエス様を心に王としてお迎えすることによって、同時にあなたは子として神様の内に迎え入れられるのです。あなたは何から解放されたいのですか?それは、私たちを取り巻く様々な悩みからでしょう。それは恐れですか?孤独ですか?憎しみですか?病ですか?悩みは様々ですが、それらのことは全て問題の表面に現われている事柄にすぎません。問題の本質は罪です。罪とは神様から遠く離れているということです。それは神様が創って下さった人間の本来の姿からいえば、死んでいる状態です。あなたは、お母さんの胎内にもう一度戻らなくても、新しく生まれ変わることができます。いろいろな宗教が教えるように来世まで待つ必要はありません。聖書の神様が下さる新しい命は永遠の命です。本当の神様は、いまは与えられないから来世に期待しなさいとはおっしゃいません。今、イエスキリストを通して、求める者に永遠の命を与えられます。どうぞ今、あなたもイエスキリストを心に主と受け入れて、新しくされて下さい。
メッセージのポイント
永遠の命とは、永遠に神様とともにいるという、人間にとって最高の幸せのことです。一度この恵みを頂いたなら、どんな苦難も、死でさえもあなたからこの恵みを奪うことはできません。それどころか、この地上での歩みにあっても全てのことが益と変えられるのです。聖書はこの永遠の命を得るためにたった一つの道があることを教えています。それは、十字架にかかり、よみがえられ、今も生きておられるイエスキリストを救い主と信じ、従うことです。
話し合いのためのヒント
1) 神から生まれた者とは誰ですか?
2) どうすれば永遠の命を手に入れることができますか?