September 27th,- October 3rd, 2009 Vol.16 No.39

真理のために共に働く者となろう 3ヨハネ

A 真理に歩んでいる人を喜ぶ

1) 真理を伝え続ける (1-4)

1) 長老のわたしから、愛するガイオへ。わたしは、あなたを真に愛しています。 2) 愛する者よ、あなたの魂が恵まれているように、あなたがすべての面で恵まれ、健康であるようにと祈っています。 3) 兄弟たちが来ては、あなたが真理に歩んでいることを証ししてくれるので、わたしは非常に喜んでいます。実際、あなたは真理に歩んでいるのです。 4) 自分の子供たちが真理に歩んでいると聞くほど、うれしいことはありません。  

この短い手紙は、ガイオというある教会の指導者に送ったものです。新約聖書には同時代の人として3人のガイオという名の人が登場しますが、その三人のうちの誰かなのか、あるいはもう一人の別人なのかは分かりません。しかし「自分の子供たちが真理に歩んでいることを聞いてうれしい」とありますから、ヨハネの伝道によってイエス様を信じた人のようです。彼は成長して、一つの教会で指導的な立場にいるのです。長老ヨハネは先週の手紙と同様に「あなたを本当に愛しています」と書き始めていますが、この手紙ではその次に「祈っています」と続けました。ヨハネは自分が信仰を伝えた人の成長をうれしくおもっているだけではなく、愛し続け、祈り続けています。これは皆さんが霊的なリーダーとして持つべき態度です。どうぞ皆さんの霊的な子供たちを愛し続け、彼らのために祈り続けて下さい。多くのクリスチャンが未だに「それは牧師の仕事です、私の仕事ではありません」と誤解しています。牧師も「私がこの教会の唯一の羊飼い」だと考え、負いきれない重荷に苦労している場合があります。ユアチャーチではそのように教えた覚えはありません。皆さん一人一人が神様に責任を委ねられた羊飼いです。私はイエス様のように優れた羊飼いではありません。100匹以上の羊の名前を憶えられるとは思えません。ましてやその状態を把握して祈り続けることは50人でも不可能です。ですから、皆さんは自分をユアチャーチという牧場に、迷子の羊を連れてくるボランティアだとは思わないで下さい。ユアチャーチの羊飼いは私ではなく皆さん一人一人です。  そこで皆さんは、どのように育つことを祈り、教えるのか?を知る必要があります。 くどいようですが、その前提は愛することです。自分を惜しまずに与える事なしに、イエス様に委ねられた羊を養うことはできません。その上で、真理を伝え続けることが私たちの果たすべき責任です。そのために日々祈り、教えるのです。あなたの羊がどのような状態であれば喜ぶことができるのでしょうか?それは、彼らが「真理に歩んでいる」状態です。真理に歩んでいる、それは○○教会に属していることでも、毎週欠かさず礼拝に出席していることでもありません。毎日、イエス様とともに歩んでいることです。聖書の言葉が、イエス様の愛が、その人の日常生活に生きているでしょうか?

2) 教会の健康を保つ (9-15)

9) わたしは教会に少しばかり書き送りました。ところが、指導者になりたがっているディオトレフェスは、わたしたちを受け入れません。 10) だから、そちらに行ったとき、彼のしていることを指摘しようと思います。彼は、悪意に満ちた言葉でわたしたちをそしるばかりか、兄弟たちを受け入れず、受け入れようとする人たちの邪魔をし、教会から追い出しています。 11) 愛する者よ、悪いことではなく、善いことを見倣ってください。善を行う者は神に属する人であり、悪を行う者は、神を見たことのない人です。 12) デメトリオについては、あらゆる人と真理そのものの証しがあります。わたしたちもまた証しします。そして、あなたは、わたしたちの証しが真実であることを知っています。 13) あなたに書くことはまだいろいろありますが、インクとペンで書こうとは思いません。 14) それよりも、近いうちにお目にかかって親しく話し合いたいものです。 15) あなたに平和があるように。友人たちがよろしくと言っています。そちらの友人一人一人に、よろしく伝えてください。

教会は、キリストの体であると同時に、赦された罪人の集まる組織でもあります。そこには失敗もあり、問題も起こります。教会と世の中の組織の大きな違いは、仕える者としてのリーダーシップが求められる、という点です。教会では、指導者になりたいという動機では決して指導者の地位を与えられることはありません。神様は僕となって人々に仕えたいという人を指導者に用いるのです。ところが私たちはもともと、仕えるよりも支配したい、自分の思い通りにしたい、自分の気に入った教えをしてくれる教師を寄せ集めたいという傾向を持っているので、教会が変質してしまうような事が起こります。この教会の健康を保つことも私たちの責任です。私はそのために重い責任を負っていますが、私自身も赦された罪人の一人です。皆さんが私のことを愛していて下さることは実感していますが、私には祈りも必要です。皆さんには、自分の羊のためにと同様に、私のために祈る責任があります。サタンの誘惑に負けずに、忠実な僕としてのリーダーシップを発揮できるように、お祈りをお願いします。

B 真理のために共に働くことを喜ぶ (5-8)

5) 愛する者よ、あなたは、兄弟たち、それも、よそから来た人たちのために誠意をもって尽くしています。 6) 彼らは教会であなたの愛を証ししました。どうか、神に喜ばれるように、彼らを送り出してください。 7) この人たちは、御名のために旅に出た人で、異邦人からは何ももらっていません。 8) だから、わたしたちはこのような人たちを助けるべきです。そうすれば、真理のために共に働く者となるのです。

この手紙が書かれた時代の、通信事情や交通事情は現代とは全く異なっていました。イスラエルから始まった宣教が遠方に伝わるには、その道程の途中に存在する諸教会が中継点として大きな役割を果たさなければなりませんでした。徒歩や船による長い旅による宣教だったのです。また通信手段は誰かに委ねる手紙しかありませんでした。そこで福音が届き新たに作られた教会は、すぐに宣教の最前線となりました。生まれた教会は始めからその教会の働きだけではなく、まだ生まれていない教会を生み出すための働きにかかわっていたのです。この世に対するイエス様の働きは様々です。様々な働きがイエス様の御名において行なわれています。状況は異なっていても福音を伝えるスピリットはなくしてはいけません。現代の教会には次の宣教地に向かう旅人をもてなす働きを求められてはいませんが、新しい教会が様々なところに生まれる働きの一端を担うことを求められています。ユアチャーチはこの地域で働いてゆくだけではなく、他の地域でなされる宣教のためにも共に働く教会として、人々を送り出し、ささげものを送り、祈り続ける教会でありたいと思います。

 

メッセージのポイント
クリスチャンにとって誰かがイエス様と出会い、喜んでイエス様に従っていることを見ることほどうれしいことはありません。そのために私たちは伝え続け、また悪影響を及ぼすものを排除します。私たちは皆、真理のために働いていますが、他の人の働きを助けるという働きをも求められています。他のクリスチャンの助けなしにはすることのできない働きを担っている人々のために「真理のために共に働く者」となりましょう。

話し合いのために
1) 長老ヨハネの大きな喜びとは?
2) どうしたら真理のために『共に』働く者になれますか?