November 29th,- December 5th, 2009 Vol.16 No.48

イエス・キリスト・インマヌエル マタイ1:18-25

 

1) 預言されていた神様の計画がついに始められた。

先週の月曜日、ユアチャーチファミリーにもう一人、赤ちゃんが誕生しました。両親はもちろん皆に待ち望まれての誕生です。待ち望まれての妊娠や誕生なら喜ばしいのですが、ヨセフにとっては最悪の事態が起こったのです。

イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。(18) 夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した。(19)

こんな事があなたに起こったらどうしますか?激怒して宗教裁判で石打ちの刑を求めても不思議ではありません。そうする権利もありました。しかし正しい人はそうはしません。正しい人はこのような裏切りにあった時にも神様にお任せして静かにその場から去ろうとするのです。ヨセフも正しい人だったので、そうしようとしました。こんなふうに神様の計画は、ヨセフとマリアにとってはとても受け入れ難い出来事として始まりました。

 

2) イエスの名前の意味:自分の民を罪から救う

しかし、神様はヨセフが身を引くことを思い止まるように、天使を遣わして出来事の意味を伝えました。 このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。(20) マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」(21)

それが天使の説明です。はい、そうですかと簡単に納得できる内容ではありません。しかし天使はかまわず続けます。天使が神様に命じられたのは、ただヨセフを安心させる事だけではなかったのです。生まれる子供の名前は神様がお決めになっている「イエス」にしなさい、と伝えることがもう一つのメッセージでした。その名前は「神様は救う」という意味で、ヨシュアというイスラエルではごく普通の名前のギリシャ語読みです。しかしイエス様以降、あまりにも重大な意味を持つようになったこの名は、人の名前としては誰も使わなくなりました。 ところでイエス様は「自分の民」をどのような範囲で考えておられたのでしょうか?当時周りにいた弟子たちは、それを民族としてのイスラエルだと思っていました。しかし、イエス様にとっての「自分の民」は民族としてのイスラエルにとどまるものではありませんでした。イエス様にとっては、この世界のすべての人を救うべき自分の民なのです。弟子たちは使徒言行録の時代にそれを悟り、世界のすべての人に伝える働きが始まり、今も続いているのです。

 

3) インマヌエルと呼ばれる:自分の民とともに歩む

天使にはもう一つヨセフに伝えておくべき神様からの伝言が与えられていました。それが22、23節に記されています

このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。(22) 「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。(23)

この預言者とはイザヤのことです。天使はイザヤ書7章13節を引用して、この出来事が700年前になされたイザヤによる預言の成就だと告げたのです。ヨセフが付ける名前はイエスですが、イエス様の存在がすべての人にとって「神は我々と共におられる」という意味を持つようになるというお告げです。ここで私たちは、救いとは、神様が共にいて下さる状態への回復であることを知ることができます。神様が不在の状態は、人間の側で作ってしまったものです。それがアダムとエヴァの物語が象徴的に語られている人間の原罪です。原罪といわれているとおり、あらゆる罪の根源がここにあるのです。実際にどんな悪いことをしてしまったかが問題ではありません。ほとんど人に影響を与えるような罪を犯していない人でも、神様に背を向け、木や石で造られた像や、人間が考え出した思想や、自分自身を神とする状態で生きているのです。例外はありません。イエスキリストはそのような者である私たちをもう一度、神様に結びつけ、私たちに神様が共にいて下さる平和と喜びを与えるためにお生まれになったのです。

 

4) ヨセフの態度に倣う

神様はヨセフに必要な説明を、天使を通して三つ伝えました。1)恐れず妻マリアを迎え入れること、2)その子にイエスと名付けるべきこと、3)その子がイザヤの預言の成就としてイマヌエルと呼ばれること。です。ヨセフは天使が告げたことを神様の言葉と信じ受け入れました。

ヨセフは眠りから覚めると、主の天使が命じたとおり、妻を迎え入れ、(24) 男の子が生まれるまでマリアと関係することはなかった。そして、その子をイエスと名付けた。(25)

ヨセフが受け入れられなければ福音書は全く違ったものになっていたでしょう。しかしヨセフは神様の前に正しい人であったので、神様の意向を正しく受け止め、神様の計画の一端を担うことが出来ました。どうしたら私たちは神様の前に正しくあることが出来るのでしょうか?正しい人とは神様の言葉を正しく受け止め実行する人です。しかしそれは人の力で出来ることではありません。聖霊の助けによって初めて可能になることです。ですから正しい人でありたいなら、正しいと思われることを実行しようとする前に、聖霊の助けを祈り求めなければなりません。さあこれからのしばらくのとき礼拝と賛美の歌を神様に向かって歌いましょう。ただ聖霊に満たされる事だけを求めて、自分を神様の前に献げ物として差し出しましょう

 

メッセージのポイント
イエス様の誕生は、旧約聖書の中にいくつも預言されていた出来事です。神様は生まれてくる赤ちゃんの名前を指定して、彼の役割を私たちに教えてくれています。イエスという名は「神様は救い」、イマニュエルは「神様は共におられる」という意味です。神様は遠く遥か彼方におられる方ではなく、救い主イエス様としてこられ、私たちの罪を赦し、永遠に共にいて下さるお方です。ヨセフは神様の前に正しい人であったので、神様の意向を正しく受け止め、神様の計画の一端を担うことが出来ました。

話し合いのために
1) 天使が教えた二つの呼び名にはどのような意味がありましたか?
2) 旧約聖書のどこにイエス様誕生の預言がありますか(一か所だけではありません)