January 10th,2010-16th, 2010 Vol.17 No.2
信頼される教会となる(I)
喜びと慰めのうちに成長する (2コリント7:2-7、箴言11:1-14)
わたしたちに心を開いてください。わたしたちはだれにも不義を行わず、だれをも破滅させず、だれからもだまし取ったりしませんでした。(2) あなたがたを、責めるつもりで、こう言っているのではありません。前にも言ったように、あなたがたはわたしたちの心の中にいて、わたしたちと生死を共にしているのです。(3) わたしはあなたがたに厚い信頼を寄せており、あなたがたについて大いに誇っています。わたしは慰めに満たされており、どんな苦難のうちにあっても喜びに満ちあふれています。(4)
パウロは独善的な人ではありませんでした。謙虚で、いつも自分の働きである宣教についても順調なときは自分を誇らず神様に感謝し、順調でなければ心を痛め、責任を感じ、心を注いで祈りました。パウロは自分を誇る人ではありませんでしたが、このことだけははっきりと断言することができました。「わたしたちはだれにも不義を行わず、だれをも破滅させず、だれからもだまし取ったりしませんでした。」 私たちが人間関係において信頼を得たいと思うなら、第一に求められることはこの誠実です。あなたと良い関係でいたいのは決して自分の利益ではなく、あなたに仕えるためですと、神様の前で心から言える誠実さです。誠実は「これだけ尽くしているのにあなたはそれを返してくれない」と責めたりはしません。誠実は相手が心を開いてくれる前から心が開かれることを確信して「私を信頼して下さい、あなたを信頼しています」と告げるのです。ですから見せかけではない本当の誠実は、イエス様の十字架の愛から来るものです。この誠実は、私たち教会にとりわけ強く求められています。世の光、地の塩としてここに遣わされている私たちです。それが人を迷わす偽りの光であり、世をきよめることのできない偽りの塩であれば存在する価値がないばかりか有害な存在とさえなってしまいます。私たちが互いに誠実でないなら、ユアチャーチは世界に誠実であることはできません。今日は午後、今年最初のメンバーのミーティング、ハドルがあります。今年のキックオフ直前のミーティングです。どんな競技でもそうですが試合直前のフィールドでハドルを組んだときは細かい作戦の確認より、ティームに対する、互いに対する誠実を表現して、吠えたり、歌ったり、ハグしたり、踊ったりするのです。ユアチャーチのメンバーになる資格は単純です。ユアチャーチカヴェナントという誓約を忠実に守る決心をする人にその資格があります。求められている決心とは、神様に仕える、互いに仕え合う、世に仕える、つまり今日のテキストの表現で言うなら誠実であるということです。箴言11章のいくつかの節で私たちは自分の誠実さをチェックすることができます。
(箴言11章) 偽りの天秤を主はいとい、十全なおもり石を喜ばれる。(1) 高慢には軽蔑が伴い、謙遜には知恵が伴う。(2) 怒りの日には、富は頼りにならない。慈善は死から救う。(4) 神に逆らう者は力に望みをかけ、期待しても死ねばそれも失われる。(7) 正しい人の祝福によって町は興り、神に逆らう者の口によって町は滅びる。(11) 心ない者は友人を侮る。英知ある人は沈黙を守る。(12) 悪口を言い歩く者は秘密をもらす。誠実な人は事を秘めておく。(13) 指導しなければ民は滅びるが、参議が多ければ救われる。(14)
公正(1)、謙遜(2)、慈善(4)、神様への服従(7,11)、プライバシーを尊重する(12,13)、健全なリーダーシップ(14)が信頼される教会のしるしです。 誰もが喜びに満ちた日々を送りたいと思います。悩みや悲しみではなく、喜びをもたらす人となりたいと思います。そのための出発点は礼拝です。ヘッドコーチである神様の意思を聞かなければ何も始まりません。その次に交わりです。ここで私たちは助け合い、慰め合い、励まし合って、日々の生活の中で誠実で喜びをもたらす人に成長できるからです。教会とはクリスチャンであるあなたです。ユアチャーチとはメンバーであるあなたです。教会が信頼され、喜びをもたらすのはクリスチャンである私たち一人一人の誠実な歩みにかかっています。
マケドニア州に着いたとき、わたしたちの身には全く安らぎがなく、ことごとに苦しんでいました。外には戦い、内には恐れがあったのです。(5) しかし、気落ちした者を力づけてくださる神は、テトスの到着によってわたしたちを慰めてくださいました。(6) テトスが来てくれたことによってだけではなく、彼があなたがたから受けた慰めによっても、そうしてくださったのです。つまり、あなたがたがわたしを慕い、わたしのために嘆き悲しみ、わたしに対して熱心であることを彼が伝えてくれたので、わたしはいっそう喜んだのです。(7)
マケドニアはギリシャ半島の付け根に当たる部分でピリピ、テサロニケの教会がある地方です。エフェソで3年にわたって働いたあとマケドニアに渡りました (参照:使徒言行録18:23-21:26) 。パウロはコリントの教会の混乱を収めるために「涙の手紙」を送るとともにテトスを派遣していました。元々の彼の計画ではエフェソから直接コリントに向かい、その後マケドニアに行く予定でしたが、状況がわからないまま直接乗り込むことを避けて、マケドニアに近いトロアスで伝道しながら、そこでテトスと再会しコリントの教会の状況を把握することにしたのです。ところがトロアスでテモテに会うことができなかったので、伝道の機会があったにも関わらずテトスと会える可能性を求めてマケドニアにわたり、やっとテトスに会えたのです。このテトスに会えるまでのパウロの心情がどれほど苦しみと不安に満ちていたものであるかが良くわかります 教会の働きは、牧師一人の働きではありません。メンバー全員のティームによる働きです。良い働きを継続的に続けて行くためには、ティームに対する一人一人の忠誠心、互いに対する愛が欠かせません。それが、私たちのプライオリティーの順位、1:神様を愛する(仕える)こと、3:世界を愛する(仕える)ことの間に2:「互いに愛し合う(仕え合う)」ことが入る理由です。この優先順位が示していることは、教会がティームである以前に家族であるということです。それは働きの効率よりも、家族の霊的な健康の維持が優先されるということです。パウロはこの三回目の伝道旅行で初めてトロアスで伝道する機会が「主によって門が開かれ」(2:12,13)にもかかわらず、その機会を棒にふりマケドニアに渡りました。それはコリントの教会の人々とテトスのことを心配していたからです。最高の伝道者であるパウロは神の家族の霊的な健康が気掛かりだったので、「主によって開かれた」伝道の機会さえ失うことを厭わなかったのです。今年もこの家族、このティームに新しい一年が始まります。神の国の拡大のために祈りをあわせて、力をあわせて、思いを一つにして前進しましょう。
メッセージのポイント
どのような人間関係においても最も重要なことは誠実さです。どんなに人を楽しませても喜ばせても、誠実でなければ信頼は得られません。互いに誠実であるなら、変わらない喜びと、苦しい時の慰めを得ることができます。教会も同じです。地域におかれた教会に問われるのも第一に誠実です。どんなに立派な教えがなされるのか、興味深いイヴェントがあるかではありません。多くの権威が、そこにいる人々の不誠実な行いによって揺らいでいます。私たちにとっては、自分が不誠実であるなら神様の権威が揺らぐのです。教会の働きは、牧師一人の働きではありません。メンバー全員のティームによる働きです。良い働きを継続的に続けて行くためには、ティームに対する一人一人の忠誠心、互いに対する愛が欠かせません。それが、私たちのプライオリティーの順位、1:神様を愛する(仕える)こと、3:世界を愛する(仕える)ことの間に2:「互いに愛し合う(仕え合う)」ことが入る理由です。
話し合いのヒント
1) 誠実とはどういうことですか?
2) 優先順位 1:礼拝、3:働き の間に2:交わりが入るのはなぜですか?