February 7th, - 13th, 2010 Vol.17 No.6

ティーム・ユアチャーチ 2コリント8:16-24、ヨハネによる福音書17:14-19, 士師記7:1-8

 今朝、皆さんにこのテキストから考えていただきたいことは、教会の健康的な姿とはどのようなものかということです。まず前提として、教会の働きはティームでなされるものだということを確認しておきましょう。今週バンクーバーで冬季オリンピックが始まります。団体競技はもちろん個人種目の選手でも、コーチやトレーナーといった様々な人々とティームを組んで参加します。また、それぞれの国はいろいろな競技の選手やスタッフからなるひとつのティームとして参加するのです。教会の働き、宣教の働きも全く同じです。神の国の選手団の一員としてユアチャーチがあり、さらにユアチャーチの中の一人一人が様々な働きを担って栄冠を目指すわけです。皆さんがプレーヤーで、リーダーはコーチやトレーナーです。リーダーはティームの要です。しかしそれは中心とか本質という意味ではありません。文字通り「扇子の要」のように目立たない部分であるべきです。風を起こすのは皆さんです。教会のリーダーは、それぞれの部分が最高のパフォーマンスを発揮出来るよう支えているのです。聖書のリーダーシップを検証してみてゆくと、リーダーシップ自体もまたティームによって機能していることがわかります。リーダーシップが健全に働いていなければ教会は神様の意志を行うことが出来ず。むしろ神様の名を汚すものになってしまいます。ですからユアチャーチのリーダーシップが、そしてティーム全体が健康であり続けられるように学び、また日々の祈りの課題に加えてください。 まずティームメンバーに求められている事を四つ紹介します。そして最後に立てられているリーダーの導きにどう応えていただきたいかということをお話しします。

A ティームメンバーに求められること

1) 同じ熱心と自発性(16,17)

あなたがたに対してわたしたちが抱いているのと同じ熱心を、テトスの心にも抱かせてくださった神に感謝します。(16) 彼はわたしたちの勧告を受け入れ、ますます熱心に、自ら進んでそちらに赴こうとしているからです。(17)

教会は経営者がいて労働者がいる、社長がいて社員がいるというような組織ではありません。誰もが神様の働きに携わっているという熱心によって結ばれている組織です。私たちが追求しているのは利潤ではなく、神様の愛が広がってゆくことです。パウロは勧告したり命じたりすることがありますが、自分の権威によって行動を強制することはありませんでした。教会は軍隊のような組織ではありませんが、士師記に出てくるギデオンと共に戦った人々の事は参考になります。ギデオンは十三万五千人のミデヤン軍に三万三千人で戦いを挑もうとしていました。ところが神様は、イスラエルの民がこの勢力で勝利すれば高慢になり自分の力で勝ったと思うことをご存知でした。神様はギデオンに「恐れおののいているものは帰りなさい」と言わせました。その結果一万人が残ったのです。しかし神様はそれでも多すぎるとさらに絞り込み、たった300人で戦いを挑み勝利しました。同じ熱心を持ち、自ら進んで行う人が数人でもいるなら、人数は少なくても目的を達成することができるということです。ユアチャーチにおける同じ熱心とはなんでしょう。それは神様に対する、互いに対する、世界に対する愛の熱心です。この熱心の誓いがユアチャーチカヴェナントです。ユアチャーチのリーダーたちを観察してみてください。牧師の言うことに絶対服従と思っている人は一人もいません。自分で祈り、考えた上で自発的に従ってくれているのです。ユアチャーチには牧師の考えがおかしいと思えば、話しあうことができる健康なリーダーシップティームが存在しています。

 

2) 教会から任命され送り出される(18,19)

わたしたちは一人の兄弟を同伴させます。福音のことで至るところの教会で評判の高い人です。(18) そればかりではありません。彼はわたしたちの同伴者として諸教会から任命されたのです。それは、主御自身の栄光と自分たちの熱意を現すようにわたしたちが奉仕している、この慈善の業に加わるためでした。(19)

ユアチャーチのメンバーであるということは、私たちが24時間、どこにいても何をしていても、この体の一部として任命され送り出されてそこにいるということです。ここには諸教会から任命されているとあります。ユアチャーチは、目に見えないたった一つ存在するキリストの教会の一つの部分です。だからユアチャーチが任命して送り出すということは、世界で一つのキリストの教会によって任命され送り出されていることであり、それはつまり体の頭であるイエス様によってあなたは任命され送り出されているということなのです。ヨハネによる福音書17章14〜19節を開いてみましょう。

わたしは彼らに御言葉を伝えましたが、世は彼らを憎みました。わたしが世に属していないように、彼らも世に属していないからです。 わたしがお願いするのは、彼らを世から取り去ることではなく、悪い者から守ってくださることです。 わたしが世に属していないように、彼らも世に属していないのです。 真理によって、彼らを聖なる者としてください。あなたの御言葉は真理です。 わたしを世にお遣わしになったように、わたしも彼らを世に遣わしました。 彼らのために、わたしは自分自身をささげます。彼らも、真理によってささげられた者となるためです。 (ヨハネ17:14-19)

私たちは神の言葉を伝えるという困難な働きのために、神様の権威が与えられていて、困難はあっても守られています。イエス様は私たちに神の言葉、真理、本当の生き方を伝えるために、ご自身をささげられました。私たちも同じ働きに召されているのです。神様に人生をささげる、それは修道院に入る、牧師になる、宣教師になるということだけを指しているのではありません。クリスチャンはすべてイエス様のように自分を神様の働きにささげている者なのです。皆さんに与えられているこの権威はもちろん、人をコントロールするための権威でもなければ、優越感に浸るための権威でもありません。あなたがどこかで神様の愛で誰かを慰めるとき、そこではあなたひとりが頑張っているのではなく、ユアチャーチが、キリストの教会が、神様ご自身がその人を慰めている、ということを保証する権威です。

 

3) 人の前にも公明正大(20,21)

わたしたちは、自分が奉仕しているこの惜しまず提供された募金について、だれからも非難されないようにしています。(20) わたしたちは、主の前だけではなく、人の前でも公明正大にふるまうように心がけています。(21)

パウロは、敵対する人々から献げられた献金を自分のものにしているといったような中傷を受けていたようです。パウロは主の前に恥ずかしいことは何一つしていないという自負がありましたが、人の目から見ても非難されないように、疑う余地のないような方法でお金を取り扱うよう注意していました。教会は、お金の問題に限らずどんなことでも倫理的な基準が社会よりも厳しく求められるはずです。しかし実際には、仲間内の気安さから、甘い基準を適用しているようなところがあります。私たちもパウロにならって人の前でも公明正大にふるまうよう心がけましょう。

 

4) ティームプレイ(22,23)

彼らにもう一人わたしたちの兄弟を同伴させます。この人が熱心であることは、わたしたちがいろいろな機会にしばしば実際に認めたところです。今、彼はあなたがたに厚い信頼を寄せ、ますます熱心になっています。(22) テトスについて言えば、彼はわたしの同志であり、あなたがたのために協力する者です。これらの兄弟について言えば、彼らは諸教会の使者であり、キリストの栄光となっています。(23)

パウロはテトスを信頼していましたが、彼がティームで働くことを求めました。三人のティームです。ユアチャーチはティームです。牧師がプレーヤーで皆さんがサポーターということではありません。私たちは実際には一人で、自分の宣教地に遣わされている場合が多いわけですがミニチャーチの仲間に、ユアチャーチに、神様の教会と共に働いています。互いに祈り合っていたり、相談が出来たりするティームです。

 

B 神様に立てられたリーダーにどう応えるか?(24)

だから、あなたがたの愛の証しと、あなたがたのことでわたしたちが抱いている誇りの証しとを、諸教会の前で彼らに見せてください。(24)

最後に、パウロがコリントの教会の人々にお願いした同じ事を、この教会の責任者として皆さんにお願いしたいと思います。パウロは「皆さんの愛を見せてください。リーダーたちが皆さんを誇りに思っていることが思い違いだったということにしないでください」といっています。それにもうひとつ付け加えたいのは、「愛することにおいて成長してください」ということです。ユアチャーチのリーダーは固定的なものではありません。私たちは神様が求められれば、新しい働きのために送り出すからです。ですから皆さんには自分が成長して次の時代のユアチャーチのリーダーになる事を期待されているということを覚えて歩んでください。

 

メッセージのポイント
教会の働きは、パウロの時代もティームによって担われていたことがわかります。それは一人一人の賜物や特性を最大限に生かし、また弱点や限界をカバーするために大切な事なのです。ティーム・ユアチャーチに求められていることも同じです。そして、リーダーティームに導かれて成長していく一人一人も次の時代の教会リーダーとなることを期待されています。

話し合いのヒント
1) 他の組織の一員であることと教会の一員であることの同じところは?違うところは?
2) 聖書に出てくる、神様の働きを担う様々なティームを見つけて下さい