March 28th, - April 3rd, 2010 Vol.17 No.13

シュロの日曜日(ルカ19:28-44)

シュロの日曜日は受難週と呼ばれる週の始めの日です。イエス様がエルサレムに入ろうとされるのを人々がシュロの葉を持って出迎えたことから名付けられています(ヨハネ12:13)。 彼らはイエス様が彼らの王様となってほしいという誤った期待を持っていました

I. エルサレムに入る準備(28-35)

ベトファゲとベタニアで (28.29) 

イエスはこのように話してから、先に立って進み、エルサレムに上って行かれた。(28) そして、「オリーブ畑」と呼ばれる山のふもとにあるベトファゲとベタニアに近づいたとき、二人の弟子を使いに出そうとして、(29)

預言の成就 (30-35, ゼカリヤ9:9) 

言われた。「向こうの村へ行きなさい。そこに入ると、まだだれも乗ったことのない子ろばのつないであるのが見つかる。それをほどいて、引いて来なさい。(30) もし、だれかが、『なぜほどくのか』と尋ねたら、『主がお入り用なのです』と言いなさい。」(31) 使いに出された者たちが出かけて行くと、言われたとおりであった。(32) ろばの子をほどいていると、その持ち主たちが、「なぜ、子ろばをほどくのか」と言った。(33) 二人は、「主がお入り用なのです」と言った。(34) そして、子ろばをイエスのところに引いて来て、その上に自分の服をかけ、イエスをお乗せした。(35) 娘シオンよ、大いに踊れ。娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。見よ、あなたの王が来る。彼は神に従い、勝利を与えられた者/高ぶることなく、ろばに乗って来る/雌ろばの子であるろばに乗って。(ゼカリヤ9:9)

II. 人々の受け止め方 (36-49)

群衆(36-38)

ホザナとは “今、救って下さい” という意味 (ヨハネ12:13)

なつめやしの枝を持って迎えに出た。そして、叫び続けた。「ホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように、イスラエルの王に。」(ヨハネ12:13)

イエスが進んで行かれると、人々は自分の服を道に敷いた。(36) イエスがオリーブ山の下り坂にさしかかられたとき、弟子の群れはこぞって、自分の見たあらゆる奇跡のことで喜び、声高らかに神を賛美し始めた。(37) 「主の名によって来られる方、王に、/祝福があるように。天には平和、/いと高きところには栄光。」(38)

宗教指導者たち (39)

すると、ファリサイ派のある人々が、群衆の中からイエスに向かって、「先生、お弟子たちを叱ってください」と言った。(39)

III. イエス様の言葉 (40-44)

人々の賛美について (40)

“石が叫び出す”

イエスはお答えになった。「言っておくが、もしこの人たちが黙れば、石が叫びだす。」 (40)

悟らない人々の心について (41,42)

エルサレムに近づき、都が見えたとき、イエスはその都のために泣いて、(41) 言われた。「もしこの日に、お前も平和への道をわきまえていたなら……。しかし今は、それがお前には見えない。(42)

不信仰の結果について (43,44)

やがて時が来て、敵が周りに堡塁を築き、お前を取り巻いて四方から攻め寄せ、(43) お前とそこにいるお前の子らを地にたたきつけ、お前の中の石を残らず崩してしまうだろう。それは、神の訪れてくださる時をわきまえなかったからである。」(44)

 

イエス様が何をなさるために来られたかをしっかりと理解することが大変重要です。イエス様は私たちの一人一人に救いを与えるために、罪から救い出すために来られたのであって、彼らが期待していた軍事的な王になるためでも、私たちのすべての期待に応えるためでもありません。私たちは、私たちの名が天国に書かれていることを喜びます。ルカによる福音書10:20にあるように私たちには永遠の命が保証されています。Iヨハネ5:11-13も読んでみましょう。 しかし、悪霊があなたがたに服従するからといって、喜んではならない。むしろ、あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい。」(ルカ10:20) その証しとは、神が永遠の命をわたしたちに与えられたこと、そして、この命が御子の内にあるということです。 御子と結ばれている人にはこの命があり、神の子と結ばれていない人にはこの命がありません。 神の子の名を信じているあなたがたに、これらのことを書き送るのは、永遠の命を得ていることを悟らせたいからです。(Iヨハネ5:11-13)