April 24th, - 30th, 2010 Vol.17 No.17

神様に栄光、あなたに恵みと平和を  ガラテヤの信徒への手紙1:1-15

この手紙の宛先であるガラテヤ地方の諸教会は、イエス様の十字架と復活の出来事から約20年後、パウロが50年頃に行なった二回目の宣教旅行で始まった異邦人の教会です。この手紙はその4,5年後にエフェソ、あるいはマケドニアで書かれています。今まで読んできたコリントの教会同様、ガラテヤの教会にもパウロが手紙を書かなければならない深刻な問題が起こっていました。今日は取り上げませんが6節では「あなた方がこんなにも早く離れて、他の福音に乗り換えようとしていることに、わたしはあきれ果てています」と嘆いています。ここでの問題はコリントの教会の問題とは違いますが、コリント同様、聖霊の働きが著しかったようです。ガラテヤ教会の人々はユダヤ人ではありませんでしたから、始めから律法に縛られるという窮屈さは持っていませんでした。そこへ聖霊が豊かに働かれたので、人々は高慢になり、賜物を誇り、人間関係は破れて、どうしようもなくなったとき「ある人々が」彼らのところに来たのです。それはユダヤ人クリスチャンで、彼らは救われるためにはイエス様の福音を信じるだけでは十分でなく、ユダヤのしきたりに従わなければならないと教えたのです。そして彼らの考えを否定するパウロを攻撃していたのです。

A. 恵みと平和を伝える人々

1) パウロの自覚 (1,2)

人々からでもなく、人を通してでもなく、イエス・キリストと、キリストを死者の中から復活させた父である神とによって使徒とされたパウロ、ならびに、わたしと一緒にいる兄弟一同から、ガラテヤ地方の諸教会へ。(1,2)

パウロは、自分の権威が人ではなく神様によって与えられているものであるということを強く自覚しています。こう言わなければならなかったのは彼の使徒としての権威を疑う者がいたからです。パウロは最初の12人の弟子とは異なり、地上を歩まれたイエス様とは会ったこともなかったので、使徒とは言えないと非難されていたのです。これは私たちが持つべき自覚でもあります。あなたは誰かを通してイエス様を信じました。けれども誰かの権威によって「あなたはクリスチャンです」と認められたわけではありません。神様があなたを呼び出したのです。私たちが呼び出されたのは、あなたがそうできたように、あなたの愛する人々が背を向けている神様に向き直り、神様が崇められるようになるためです。そしてその人々が恵みと平和の中を生きられるようになるためなのです。あなたはそうする権威を神様から与えられているのです。

2) パウロの願い (3、イザヤ48:18)

わたしたちの父である神と、主イエス・キリストの恵みと平和が、あなたがたにあるように。(3)

パウロは多くの手紙を書きました。多くの場所を訪れました。イエス様と出会った後の生涯は全て、イエス様を伝えるために捧げられたのです。ここにもその気持が現れています。この言葉はパウロにとって何の感情もこもらない単なる挨拶の言葉ではありません。「わたしたちの父である神と、主イエス・キリストの恵みと平和が、あなたがたにあるように」という願いが彼の生涯のテーマだったのです。多くの人々が恵まれた生活、平和な人生を願います。しかしそれは私たちを作られた神様にしかお出来にならないことです。神様は預言者イザヤを通して「わたしの戒めに耳を傾けるならあなたの平和は大河のように恵みは海の波のようになる。(イザヤ 48:18) 」と語られました。神様から離れてしまっている人間は神様の戒めに耳をかたむけることはできません。そして先週お話しましたが、イエス様はご自身を「わたしが道であり、真理であり、命です」と紹介しています。あなたを作られた神様に立ち返るにはイエス様を信じるしかありません。神様の戒めとは宗教的な規則やしきたりを守りことではありません。神様が送られた御子イエス・キリストを主と信じ、彼に従うことが、私たちに与えられている戒めです。パウロの願いは世代から世代へと伝えられ、今日本に住んでいる私たちにも真の恵と平和が与えられたのです。ただしここでは始まったばかりです。神様はあなたを通してこの国を恵みと平和で満たそうとしておられます。

 

B. 恵みと平和を伝える人々のあゆみ

1) イエス様のように御心に従う (4、ヨハネ6:38-40)

キリストは、わたしたちの神であり父である方の御心に従い、この悪の世からわたしたちを救い出そうとして、御自身をわたしたちの罪のために献げてくださったのです。(4)

イエス様は私たちの罪を引き受けてくださった方だということは聖書の核心の教えですから、よく知られていますが。それに比べると見落としがちなことが、前半に書かれている「わたしたちの神であり父である方の御心に従い」ということです。このことについてイエス様ご自身の言葉を引いてみましょう「わたしが天から降って来たのは、自分の意志を行うためではなく、わたしをお遣わしになった方の御心を行うためである。 わたしをお遣わしになった方の御心とは、わたしに与えてくださった人を一人も失わないで、終わりの日に復活させることである。 わたしの父の御心は、子を見て信じる者が皆永遠の命を得ることであり、わたしがその人を終わりの日に復活させることだからである。」 (ヨハネ6:38-40)」イエス様は自分の意志を行うためではなく、神様の御心を注意深く聞いて行なうことが大切なのだと、言われているのです。そしてその意志とはイエス様を見て信じる者が永遠の命を得ることだというのです。永遠の命、それは肉体が滅びても変わることなく神さまの子供として存在するということを意味しています。永遠の命こそ恵みと平和の核心です、永遠の命を得た人が恵みと平和に与れます。誰が永遠の命を得られるのですか?イエス様を見て信じる者です。

 

2) 神様に栄光がありますように (5)

わたしたちの神であり父である方に世々限りなく栄光がありますように、アーメン。(5)

世界は、神様を否定する人々、神様を呪う人、神様に要求する人、神様に不平不満をいう人で充ち満ちています。神様に背を向けているから、神様の願いが分からない、願いが分からないから自分の願いに従って生きる、それでは決して思い通りにならないから、平和も、恵みも感じられない。だから、神様を否定する、神様を呪う、神様に要求する、神様に不平不満をいう。それでますます神様に背を向けるようになっています。どうしたら、パウロの願いどおり、神様の素晴らしさが誉め讃えられるようになるのでしょうか?それは、イエス様を主と信じて立ち返る人が増えることで実現します。イエス様はこの悪循環を止め反転させることができます。そのためにあなたを招いておられるのです。イエス様はあなた自身の悪循環を反転させてくださいます。そして恵みの循環はあなたから家族へ、さらに周りの多く人に伝わります。

メッセージのポイント
パウロは、自分を神様に呼び出された者と考えています。人間関係の中で誰かに推薦された、あるいは自己推薦で使徒となったのではありません。あなたのキリストとの出会いのきっかけは誰かが作ってくれたのです。しかしそれは背後に神様の計画があってのことです。私たちが呼び出されたのは、人々が一度背を向けた神様に向き直り、神様が崇められるようになるためであり、また人々が恵みと平和の中を生きられるようになるためです。神様に栄光、人々に恵みと平和というのは別々の二つのことをいっているのではありません。神様の栄光が輝く事と、私たちの内に恵みと平和があることはつながっていることなのです。私たちは恵みと平和を豊かに与えられている事を知って神様を崇めますが、神様を心から礼拝し崇めることによってさらに平和、恵みは増し加わります。そうしてわたしたちはさらにその栄光をほめたたえるのです。

話し合いのヒント
1) 神様の御心とはなんですか?
2) 神様の栄光とはなんですか