May 15th, - 21st, 2010 Vol.17 No.20
見えない全体教会を知る ガラテヤの信徒への手紙2:1-10
その後十四年たってから、わたしはバルナバと一緒にエルサレムに再び上りました。その際、テトスも連れて行きました。 エルサレムに上ったのは、啓示によるものでした。わたしは、自分が異邦人に宣べ伝えている福音について、人々に、とりわけ、おもだった人たちには個人的に話して、自分は無駄に走っているのではないか、あるいは走ったのではないかと意見を求めました。
同じキリスト教会といっても、雰囲気や礼拝の仕方によってかなり違いがあります。大抵のクリスチャンは自分の教会を気にいっていますから、ここが最高と思っています。でもそれは「私にとっては」という条件付きである事を忘れてはいけません。教会によって違いがあるのはとても自然なことです。同じ一つのキリストの体に連なるといっても、どの部分であるかによって違っていなければ、与えられた役割を担う事はできないのです。ですからキリストの体のそれぞれの部分はお互いの存在を尊重するべきです。 しかし、それはお互いに批判することを許さないという事ではありません。批判に耳を傾けて自らの誤りを正すことも必要なのです。 パウロはこの手紙で、彼に反対する者に激しく反論していますが、この部分で、自分だけが正しく、人の考えを聞く必要がないと思っているような人ではなかったことが分かります。先週お話した、エルサレムへの最初の訪問から14年後、使徒たちとエルサレムで持たれた会議は、教会がユダヤ人だけのものでも、異邦人だけのものでもなく、すべての民に開かれた一つの教会だけが世界に存在するという事実が明らかにされました。私たちは最も近くにあるユアチャーチに属していますが、同時に世界中のクリスチャンと共にひとつの体に属し、神様の愛を表すために歩んでいるのです。
しかし、わたしと同行したテトスでさえ、ギリシア人であったのに、割礼を受けることを強制されませんでした。 潜り込んで来た偽の兄弟たちがいたのに、強制されなかったのです。彼らは、わたしたちを奴隷にしようとして、わたしたちがキリスト・イエスによって得ている自由を付けねらい、こっそり入り込んで来たのでした。 福音の真理が、あなたがたのもとにいつもとどまっているように、わたしたちは、片ときもそのような者たちに屈服して譲歩するようなことはしませんでした。 おもだった人たちからも強制されませんでした。——この人たちがそもそもどんな人であったにせよ、 それは、わたしにはどうでもよいことです。神は人を分け隔てなさいません。——実際、そのおもだった人たちは、わたしにどんな義務も負わせませんでした。
会議が開かれたのは西暦48年頃。十字架と復活の出来事から20年近く経っていたわけです。使徒たちの周辺にはいろいろな人々がいて、色々な考えを持っていました。最もユダヤ教的な人々は、パウロに同行したギリシア人テトスに割礼(創世記17:9-14)を受けることを強要しましたが、パウロは決して屈服しなかったのです。エルサレム教会の指導者たちも、この「偽りの兄弟たち」には同調しなかったということです。ここで注目したいことは、偽兄弟の存在です。それはいつの時代にも存在するものなのです。全ての人に開かれている教会の中に、神様の真理を求める事とは違う意図を持って入り込むことは容易なことなのです。そこで私たちは、自分の誤りをキリストの体の他の部分から教えられ変わることのできる柔軟さと、偽兄弟に対して決して譲らないという、高度な能力を求められていることが分かります。聖霊の導きに従順であると同時に、霊を見分ける賜物が必要です。どうかユアチャーチのリーダーシップのために日々祈っていて下さい。
それどころか、彼らは、ペトロには割礼を受けた人々に対する福音が任されたように、わたしには割礼を受けていない人々に対する福音が任されていることを知りました。 割礼を受けた人々に対する使徒としての任務のためにペトロに働きかけた方は、異邦人に対する使徒としての任務のためにわたしにも働きかけられたのです。 また、彼らはわたしに与えられた恵みを認め、ヤコブとケファとヨハネ、つまり柱と目されるおもだった人たちは、わたしとバルナバに一致のしるしとして右手を差し出しました。それで、わたしたちは異邦人へ、彼らは割礼を受けた人々のところに行くことになったのです。
パウロもエルサレムの指導者たちも、聖霊に忠実で、霊を見分ける賜物を与えられていたので正しい判断をすることができました。会議は偽の兄弟たちの思い通りには運びませんでした。彼らは、互いにかなり違っていたにも関わらず、一致を確認することができました。私たちの使っている聖書は新共同訳といいます。2016年には、聖書学や翻訳理論の発展の成果を生かし、さらにわかりやすく優れた訳を出版する予定ですが、これもカトリック教会と共同でなされます。日本では別の系列で新改訳という聖書が出ており、こちらも2016年に新しい訳を出すことを計画しています。私たちが共同訳を用いるひとつの理由は、カトリックをはじめとするプロテスタント教会以外の教会も同じ一つの体に共に属していると信じているからです。プロテスタント教会の一部には、カトリックでは救われないとか異端だ、あるいは同じプロテスタントでも自分たちと同じ系統の者だけが救われている、といった主張をする人が存在しますが、どうかユアチャーチの皆さんは、間違って同じ体に属する人々を裁かないで下さい。
ただ、わたしたちが貧しい人たちのことを忘れないようにとのことでしたが、これは、ちょうどわたしも心がけてきた点です。
エルサレム教会の教会は、政治状況や飢饉などによる都市自体の経済的困難に加えてユダヤ教からの迫害によって貧困に苦しんでいました。パウロやバルナバが指導していたアジアや、ギリシアの教会は、今までもこのことを心に留め大きな援助してきました。この会議が行われた時点では、まだその状況は良くなっていなかったので、援助を続けてほしいという願いがユダヤ人教会側から出されたのです。今でも世界中の教会ネットワークは同じように機能しています。第二次世界大戦後、信仰の自由は再び保証されましたが、日本のクリスチャンに自力で教会を再建する力はありませんでした。アメリカをはじめとする国々から、経済的にも、人材的にも多くの援助がなされて、戦後の教会は始まったのです。今私たちは依然として数は少ないですが、支援を受けなければならないほどではありません。むしろ世界の他の地域の支援を必要とする教会に対してできることがあるのです。
メッセージのポイント
初代教会には伝道の対象の違いによって大きく二つの流れがありました。主にユダヤ人を伝道の対象とする教会と、主に異邦人を伝道の対象とする教会です。ペトロ、ヤコブ、ヨハネは前者の代表的な指導者であり、パウロとバルナバは後者の指導者でした。どちらの指導者たちも、イエス様のもとに教会が一つであるべきことを知っていましたが、信じている核心は同じでも文化的に相当な違いがあり簡単ではないこともわかっていました。しかし、このまま成り行きに任せていては、キリストの体は完全に分裂してしまう危険がありました。そこで、それまではそれぞれが別々に伝道を進めていたので互いのことを受け入れ合うために話し合いをすることになりました。核心における一致と目に見える差異を尊重することを確認し、ひとつの体の別の部分として互いに助け合い尊重してゆこうと決めたのです。
話し合いのヒント
1) パウロはエルサレムに何をしに行ったのですか?
2) 貧しい人たちのことを忘れないように、と は具体的にどのようなことでしたか?