June 26th - July 2nd, 2010 Vol.17 No.26

もっと豊かな礼拝をささげよう

A 礼拝とは何か?

涸れた谷に鹿が水を求めるように神よ、わたしの魂はあなたを求める。 神に、命の神に、わたしの魂は渇く。いつ御前に出て神の御顔を仰ぐことができるのか。(詩編42:2,3)

食事はただ腹を満たすためではなくその場にいる人々の絆を強めるものです。礼拝は霊的な食事会です。食事にも様々なシチュエーションがあります。ロマンティックなふたりだけの食事、家族の食卓、多くの楽しい仲間との会食。礼拝も同じです。日曜日の朝の礼拝だけが礼拝ではないのです

 

1) 個人的な礼拝

これは神様と二人きりの食事です。祈り、歌い、聖書を開き、日曜日の説教を思い返して黙想して神様の声を聞きくときです。ほんの少しの時間でも、どのような場所でも、神様とふたりきりになれるチャンスがあるはずです。このような時を大切にするなら、神様ともっともっと親しくなれます。

 

2) ミニチャーチでの礼拝

一人でもなく、また大勢でもない人数で食卓を囲む機会が私たちにとっては一番多いかもしれません。そのような規模の霊的食事はミニチャーチです。場所の都合によって歌うことはできないかもしれませんが、主が共におられることを楽しみましょう。

 

3) 日曜日の祝祭 詩篇95:1-2

日曜日の礼拝は互いの交わりを深める場でも、一人ひとりの個人的な礼拝に場所を提供しているのでもありません。それらはミニチャーチでも、個人的な礼拝でもできることです。それでは週に一度チャペルで行なわれる礼拝にだけにある特別な要素は、祝祭であり、主の復活を記念する例祭であることです。

主に向かって喜び歌おう。救いの岩に向かって喜びの叫びをあげよう。 御前に進み、感謝をささげ楽の音に合わせて喜びの叫びをあげよう。(詩篇95:1-2)

礼拝(ワーシップ)の元々の意味は「身を屈める、敬意と誉れを捧げる、身を折り曲げる、身を低くする、敬う、向きなおってくちづけする、ひざまづいて崇める」。教会では歌うことを「賛美する」とよく表現されますが、ユアチャーチでは、歌うという意味では使わない言葉です。神様をほめたたえる方法は歌だけに限りませんし、私たちの歌う歌の内容は「賛美」だけではないからです。私たちはただ歌っているのではなく、歌うことを通して、ほめたたえ、願い、愛を現し、神様の思いを聞いているのです。

一行が歩いて行くうち、イエスはある村にお入りになった。すると、マルタという女が、イエスを家に迎え入れた。 彼女にはマリアという姉妹がいた。マリアは主の足もとに座って、その話に聞き入っていた。 マルタは、いろいろのもてなしのためせわしく立ち働いていたが、そばに近寄って言った。「主よ、わたしの姉妹はわたしだけにもてなしをさせていますが、何ともお思いになりませんか。手伝ってくれるようにおっしゃってください。」 主はお答えになった。「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。 しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」(ルカによる福音書10:38-42)  

主は第一にご自身に焦点を合わせることを願っておられます。 私たちは、奉仕、伝道によって、よりよく主に仕えようとしますが、私たちの第一のつとめは、礼拝をささげることです。その他の奉仕は、礼拝の結果生じるものなのです。聖霊の賜物も、心を注ぎ出した礼拝をささげる民への神からのプレゼントであって礼拝の結果なのです。実のある礼拝なしに、それらのものを求めるなら、私たちは容易に道を誤ります。

B ユアチャーチではなぜこのように礼拝するのか?

1) 週に一度の大宴会

基調は祝宴です。「アメリカの教会はよく歌う教会、韓国の教会はよく祈る教会、日本の教会はよく考える教会ですね」などと外国人の牧師にからかわれることがありますが、私の願いはユアチャーチが礼拝する教会として知られるようになることです。イエス様の復活の祝いにふさわしい礼拝を捧げる教会になりましょう。

 

2) ワーシップリーダーの役割

私たちは、ワーシップリーダーとソングリーダーとは全く違った存在だと思っています。私たちのワーシップリーダーは、メインボーカリストとかエンターティナーではありません。皆さんがこの大宴会を心から楽しむことができるように働く執事のようなものです。

 

3) あなたに求められていること

A.心の態度「心をつくし、精神をつくし、力をつくして...」申命記6:5

その第一義は儀式ではなく心の態度。主の愛、素晴らしさ、優しさ、まなざしを喜んで心を込めて歌うとき、繰り返し歌ってゆくうちに、聖霊が私たちの内に力強く働いて、頭だけではなく、心から それを知ることができます。

あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。

B.自発的で、自然な肉体的表現(歴代誌上15:25-29)

目を閉じる、踊る、手を叩く、ひざまずく、立ち上がる、手を上げる、歌う、叫ぶ....(目が楽譜に釘づけにならないようにプロジェクターを使います)主にうながされたなら、他の人の妨げにならない限り大胆に表現します。自発的であることが重要です。これらの表現をワーシップリーダーは強要しません

ダビデは、イスラエルの長老と千人隊の長たちと共に行き、喜び祝って主の契約の箱をオベド・エドムの家から運び上げようとした。 主の契約の箱を担ぐレビ人を神が助けてくださったので、彼らは雄牛七頭と雄羊七匹をいけにえとしてささげた。 ダビデは亜麻布の上着をまとっていた。箱を担ぐすべてのレビ人も、詠唱者も、運搬長ケナンヤも同様であった。ダビデは麻のエフォドも着けていた。 イスラエルの人々はこぞって喜びの叫びをあげ、角笛とラッパを吹き、シンバルを鳴らし、琴と竪琴を奏でて、主の契約の箱を運び上げた。 主の契約の箱がダビデの町に着いたとき、サウルの娘ミカルは窓からこれを見下ろしていたが、喜び踊るダビデを見て、心のうちにさげすんだ。 C.私たちの神への務め、奉仕(ヘブル人への手紙13:15 全てのことをわきにおいて拝することが、神にとっても人にとっても重要です。それは、どんなに主を愛しているか表すことでもあるのです。 だから、イエスを通して賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえる唇の実を、絶えず神に献げましょう。

 

4) あなたが期待出来ること

A.神との関係を深める 霊の訪れが心にしみこむ。

歌うことが、理性、知性のレヴェルにとどまらず、ベビークリスチャンでも、真理に触れることができる。礼拝で主に向かって歌い続けるとき、それが本当に自分のものとなります。ここでいう関係とは、決してリーダーからの一方的なものではありません。会衆が主を求め、会衆からの応答が起こるのです。

B.肉体的、情緒的、霊的いやしをもたらす

自分の努力によってではなく、主が触れたくない傷を照らして、いやされます。

C.人を神の前にありのままの姿で立たせる

いやされなければならないところ、罪を示される。罪があらわになります。

D.超自然の次元へ導く

神の霊と人の霊との交流、礼拝は私たちを主に引き寄せます。

メッセージのポイント
礼拝はクリスチャンの霊的な食事です。日々の食事をいい加減にしていると、栄養の偏りが生じやがて健康を害する事になるのは霊的な食事も同様です。私たちは体の健康を気遣う以上に霊的健康に気遣うべきです。正しい霊的栄養の知識を持ちましょう。おいしい食べ方も知りましょう。しかし、知識があるだけでなく実際に口に入れなければ意味がありません。しかも、ただ食べればいいというものでもないのです。楽しく、気持ちよく食べるためのマナーが身についているなら、あなたの礼拝はもっと豊かに、もっと深く、もっと実り豊かなものになります。私たちに求められていることは、神様に向かって全身全霊で表現すること、神様からの語りかけ、呼びかけに耳を澄ませること、神様がなさっていることをよく見、よく感じることです。神様は礼拝の中で、語られ、幻を見せ、触れてくださいます。私たちはそこで、癒され、慰められ、力や知恵を与えられ、あるいは罪を示され、内側から新しくされます。

話し合いのヒント
1) ユアチャーチの日曜日の礼拝の特色はどのようなものですか?
2) 礼拝の中で得た恵みをシェアして下さい?