October 3rd, 2010 Vol.18 No.40 

メッセージノート シリーズ<喜び生きる人となる> 4/8
送り出す/受け入れる人は喜ぶ 
(Philippians, 2:19-30)

パウロは、フィリピに自分で行くことができないので二人の人を送ろうとしています。一人は彼の信仰の子ともいうべきテモテという若者です。もう一人は、元々フィリピからきたエパフロディトで、彼は重い病気に苦しみながら故郷の教会の様子を大変心配していたようです。

A テモテの場合 (19-24)

19 さて、わたしはあなたがたの様子を知って力づけられたいので、間もなくテモテをそちらに遣わすことを、主イエスによって希望しています。 20 テモテのようにわたしと同じ思いを抱いて、親身になってあなたがたのことを心にかけている者はほかにいないのです。 21 他の人は皆、イエス・キリストのことではなく、自分のことを追い求めています。 22 テモテが確かな人物であることはあなたがたが認めるところであり、息子が父に仕えるように、彼はわたしと共に福音に仕えました。 23 そこで、わたしは自分のことの見通しがつきしだいすぐ、テモテを送りたいと願っています。 24 わたし自身も間もなくそちらに行けるものと、主によって確信しています。

1. 最も信頼できる弟子を送り出すパウロ  

テモテはパウロにとって最も信頼できる弟子です。常識的にはまだ若すぎると見られる人でした(1テモテ4:11)。体は強い方ではなく(1テモテ5:23)、パウロが彼に書いた手紙全体からは、とても誠実ではあっても自信にあふれて人をどんどん引っ張っていくようなリーダーシップの持ち主ではなかったようです。かつてパウロも教会を生み出すのに最もふさわしい人として派遣され、フィリピに教会を誕生させました。テモテはパウロと同じタイプのリーダーシップを発揮するような人ではありませんが、やはりこの時のフィリピにとって最も必要な人物だったのです。神様はベストな人選をなさいます。きっと行きたくても行けなかったパウロ以上に相応しい人だったのです。  このことを念頭において私たちユアチャーチのことを考えてみましょう。私たちもまた送り出す教会でありたいと願っています。どこへ、誰を、すべてが明らかなわけではありませんが、分かっていることもあります。私たちは数年後に教会のリーダーであるカップルをインドネシアに送り出すことになるでしょう。二人の神学生を送り出すことにもなるでしょう。神様はいつどこへ誰を遣わしなさいとおっしゃるのか?私にとっては、楽しみでもあり、寂しいことでもあります。それによって教会の力も一時的にそがれることにもなるでしょう。けれどもそれが聖書的な教会の姿です。だから神様の期待に答えられるように、できるだけ多くにキリストの弟子を育てるのです。それは、表面的に見ればわたしの弟子というように見えるでしょう、育てるにあたってわたしもそのように指導します。しかしそれはわたしのためではありません。キリストの体全体のリーダーを育てているのです。もしかしたら、あなたもいつかどこかに遣わされる人かもしれません。あるいは、生涯をこの教会の体の一部としてイエス様に仕える人かもしれません。ユアチャーチの牧師になるのかもしれません。いずれにしても、皆、さらに用いられやすい者となれるように成長させていただきましょう。

 

2. 若いけれども、パウロの推薦を信じて受け入れるフィリピの教会

フィリピの教会にとっては、教会の創設者であるパウロが来てくれたら、どんなに心強かったか。若い指導者を迎える教会には期待より不安の方が大きかったのでしょう。だからパウロは心を込めて丁寧な推薦状を書いているのです。やがてユアチャーチにも若い指導者を迎える時が来ます。わたしの人間的な計画ではあと5年でその時を迎えたいと考えているのですが、神様には別の計画があるかもしれません。牧師の交代は教会にとって大変重要な時期です。特に私たちのように一度もリーダーの交代を経験していない教会にとっては、大きなチャレンジです。ある教会では、新しい牧師を迎えるのにみんなで相談して決めます。あるグループでは、グループの指導者たちが選んで派遣します。わたしはパウロの方法が一番聖書的だと思います。それまで責任を負っていた者が責任をもって推薦する、教会はその推薦を信頼して、年齢、経験、学歴などで偏見を持たずに受け入れるのです。

 

B. エパフロディトの場合 (25-30)

25 ところでわたしは、エパフロディトをそちらに帰さねばならないと考えています。彼はわたしの兄弟、協力者、戦友であり、また、あなたがたの使者として、わたしの窮乏のとき奉仕者となってくれましたが、 26 しきりにあなたがた一同と会いたがっており、自分の病気があなたがたに知られたことを心苦しく思っているからです。 27 実際、彼はひん死の重病にかかりましたが、神は彼を憐れんでくださいました。彼だけでなく、わたしをも憐れんで、悲しみを重ねずに済むようにしてくださいました。 28 そういうわけで、大急ぎで彼を送ります。あなたがたは再会を喜ぶでしょうし、わたしも悲しみが和らぐでしょう。 29 だから、主に結ばれている者として大いに歓迎してください。そして、彼のような人々を敬いなさい。 30 わたしに奉仕することであなたがたのできない分を果たそうと、彼はキリストの業に命をかけ、死ぬほどの目に遭ったのです。

1. フィリピの教会から来た使者を送り返す

パウロはテモテより一足先にこのエパフロディトを派遣しようとしています。もともとフィリピの教会の人で、パウロのところに派遣されしばらくパウロの働きを助けていました。パウロが彼のことをどのように表現しているか注目してください。わたしの兄弟、協力者、戦友であり、また、あなたがたの使者として、わたしの窮乏のとき奉仕者といっています。どれほど頼りにしていたかがよく分かります。家族のように近い者で、力をあわせて働き、厳しい戦いのように伝道を共に戦ってきた者、自分が困っていたときにできることは何でもしてくれた人だと言っているのです。パウロにとってはいつまでも近くにいてほしい人だったでしょう。テモテと同様に、本当に信頼できる数少ない友だったのです。エパフロディトも残された生涯をパウロと共に歩むつもりだったのかもしれません。しかし故郷の教会では大変心配な問題が発生していました。 彼は今のエフェソには自分が必要だと確信して帰りたいと考えたのです。パウロも自分の心情とは異なる神様の計画を受け入れて、彼を送り返す決心をしたのです。

 

2. 送った使者の帰還を喜ぶ

教会ではこのようなこともあるのです。一度、主の働きのために送り出した人がもう一度戻ってきて共に働き始めるということです。すでにフィリピにはエパフロディトの帰還を喜ばない人もいたようです。特にパウロを敵視する人々にとっては帰ってきてほしくない人でした。あるいは他の人からも、多少軽く考えられていた「過去の人」だったのかもしれません。しかしパウロは彼がキリストの働きに命をかけた人であることを伝え、敬いなさいと勧めています。  わたしはユアチャーチにはユアチャーチの霊的DNAを持った人を牧師に迎えたいと考えています。それはこの教会で信仰を持ったか、そうでなくても長く忠実に仕えた人です。そのような人の中から神様が呼びかけてくださることを期待しています。どうかユアチャーチの中から、将来のリーダーを起こしてくださいと皆さんも共に祈ってください。

 

メッセージのポイント
身柄を拘束されているパウロは、自分の代わりに二人の人をフィリピの教会に送ろうとしています。悲観的な見方をすれば、経験不足の若者と、大病を患って死にかけた健康問題を抱える人です。しかしパウロにとっては自分が行きたくてもいけないフィリピに送るには最高の人選だと確信しています。それは同時に、素晴らしい人々が自分の近くから去るという痛手でもありました。しかし、このことによってパウロはフィリピの教会と「喜び」を分かち合えることを知っていました。フィリピの人々にとってはパウロ自身が来られないという残念な気持ちに引きずられずに、若くてもイエス様に忠実なテモテ、健康に問題があっても主に仕え続けるエパフロディトという二人を受け入れることが大きな喜びをもたらす事になります。私たちもまた、大切な人々を送り出したり、新しいリーダーを加えたりすることを悲観的に考えるのではなく、イエス様がしてくださることを期待して柔軟になりましょう。そうすれば神様は私たちにもっと大きな喜びを満たしてくださいます。

話し合いのヒント
1) テモテを受け入れるにあたって困難があるとすればどのようなものでしょうか?
2) エパフロディトはどのような人でしたか?