December 5th, 2010 Vol.18 No.49 

ヘロデのクリスマス クリスマスシリーズ 4 マタイによる福音書2:1-23

A 闇の力の支配の中で

1) 良い知らせ、ヘロデにとっては不吉な知らせ (1-6)

イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」 これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。 王は民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。 彼らは言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。 『ユダの地、ベツレヘムよ、お前はユダの指導者たちの中で決していちばん小さいものではない。お前から指導者が現れ、わたしの民イスラエルの牧者となるからである。』(ミカ5:1)」

 良いニュースと悪いニュースがあります、という言い方がありますが、同じニュースでも、人によってそれが良いニュースであったり、悪いニュースであったりします。ヘロデにとって、ダビデの町で王となる者が生まれたという知らせは、ダビデの家系でない自分の王朝が数十年で滅びることを意味していたのです。ヘロデの家系は生粋のユダヤ人ではなく、エドム人でした。ヤコブの兄エサウに遡るとされているイスラエルの兄弟民族です。彼らはイエス様の生まれる120年ほど前に、ユダヤ人によって征服され改宗させられた歴史があったので、ユダヤ人の家系から力あるものが出てくることは彼にとっては悪いニュースだったわけです。しかもそれはミカによって具体的に預言されていることを知ったとき、さらに彼の心は動揺したのです。  イエス・キリスト誕生の知らせは、あなたにとって良い知らせなのでしょうか?それとも悪い知らせなのでしょうか?ルカによる福音書二章はクリスマス礼拝の時にお話しするテキストなのですが、そこには、このニュースが民全体に与えられる大きな喜びだと、主の天使が宣言しています。あなたには頼りになる指導者が必要です。牧者が必要です。このニュースはあなたにとっても良い知らせなのです。ある人は自分にはそのようなものは必要ないと拒みます。しかし全ての人に人生の導き手が必要です。そして聖書はそれがイエス・キリストだと教えているのです。

 

2) ヘロデの殺意(7-15)

そこで、ヘロデは占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、星の現れた時期を確かめた。 そして、「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」と言ってベツレヘムへ送り出した。 彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。 学者たちはその星を見て喜びにあふれた。 家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。 ところが、「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。 占星術の学者たちが帰って行くと、主の天使が夢でヨセフに現れて言った。「起きて、子供とその母親を連れて、エジプトに逃げ、わたしが告げるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが、この子を探し出して殺そうとしている。」 ヨセフは起きて、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトへ去り、ヘロデが死ぬまでそこにいた。それは、「わたしは、エジプトからわたしの子を呼び出した」と、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。

もちろん「私も行って拝もう」というのは本心ではありません。三人の学者たちもヘロデがこの出来事を喜んでいないことは知っていたのでしょうが、儀礼上立ち寄って帰るつもりだったのでしょう。しかし天使は彼らに、ヘロデに会うなと告げました。この時間差がヨセフに、エジプトに逃れる時間を与えてくれました。エジプトに逃れるというのは不思議な歴史の繰り返しです。創世記に彼と同名の、ヤコブの12人の子どもの一人がエジプトに連れてゆかれ、やがて一族がエジプトで暮らすようになったことが書いてあります。しかしその何世代もあと、ユダヤ人はエジプトで奴隷のような身分とされ苦しみました。神様はモーセを用いて彼らを解放しました。預言者ホセアの言葉は直接的には出エジプトの出来事を思い起こしているような言葉です。しかし、民は神様の憐れみに偶像礼拝で応えました。その結果が後の時代の悲惨な状態に現れています。イエス様の出来事は、その失敗に対して神様が与えてくださったたった一度のチャンスとしての出来事だったのです。

B 闇は光に勝てない

1) ヘロデの起こした悲劇(16-18)

さて、ヘロデは占星術の学者たちにだまされたと知って、大いに怒った。そして、人を送り、学者たちに確かめておいた時期に基づいて、ベツレヘムとその周辺一帯にいた二歳以下の男の子を、一人残らず殺させた。 こうして、預言者エレミヤを通して言われていたことが実現した。 「ラマで声が聞こえた。激しく嘆き悲しむ声だ。ラケルは子供たちのことで泣き、慰めてもらおうともしない、子供たちがもういないから。」(16-18)

ヘロデは恐ろしいことを考えたものです。しかし残念なことにそのようなことは歴史の中でちっとも珍しいことではありません。今でも多くの子どもが大人の身勝手でその生命を奪われています。ここで、ヘロデの心を観察してみたいと思います。彼の心を支配していたのは、王の位を追われるという恐れです。恐れは、怒りより残酷なことを引き起こします。怒りが引き起こすのは復讐です。しかし復讐は先にされたこととほぼ同じことを求めるに過ぎません。しかし恐れは際限がありません。相手に少しでも可能性を残したら自分がやられてしまうので、ヘロデが、ベツレヘムだけでなくその周辺も、生まれたばかりの赤ちゃんだけでなく、二歳までと命じたように、徹底しなければ気が収まらないのです。恐れは正確な判断を妨げます。誰もが、そして全ての国が、この恐れによって悲劇を起こす可能性を持っています。クリスマスは、神様が、この恐れから解放される道を示してくださった時です。恐れはイエス様に従って歩み出した人だけが克服できることです。「恐れる」という感情自体は、神様が私たちに与えて下さった身を守るためのこの感情がなければ、人は長く生きることはできません。問題は、「私たちが恐れなくてもよいものを恐れ、恐れなければいけないものを恐れない」ことにあります。聖書には「恐れるな」という言葉が40の節に出てきます。本当は恐れなくても良いことが沢山あるということです。一方、恐れなさいという言葉はたった3節です。しかも内容は一つだけ「神様を恐れなさい」ということだけなのです。神様を怖がるということではなく、神様に従うということです。なぜなら、神様こそが愛だからです。愛に生きることで、あらゆる人を、物事を恐れなくても良くなるのです。

 

2) エジプトそしてナザレへ(19-23)

ヘロデが死ぬと、主の天使がエジプトにいるヨセフに夢で現れて、言った。「起きて、子供とその母親を連れ、イスラエルの地に行きなさい。この子の命をねらっていた者どもは、死んでしまった。」 そこで、ヨセフは起きて、幼子とその母を連れて、イスラエルの地へ帰って来た。 しかし、アルケラオが父ヘロデの跡を継いでユダヤを支配していると聞き、そこに行くことを恐れた。ところが、夢でお告げがあったので、ガリラヤ地方に引きこもり、ナザレという町に行って住んだ。「彼はナザレの人と呼ばれる」と、預言者たちを通して言われていたことが実現するためであった。

ヘロデは、この事のあと一年も経たずに死んでしまいます。その子供たちが領地を分割して治め始めました。夢で告げられても恐れはあったのです。アルケオラという長男がエルサレムやベツレヘムのあるユダヤ地方を受け継いでいました。ヨセフとマリアが結婚前に住んでいたガリラヤ地方は、ヘロデ・アンティパスという弟が支配していましたが、ナザレなら安全だと告げられ、一家はそこに住みつくことになったのです。生まれてくる救い主がナザレの人と呼ばれると複数の預言者が預言していたようですが、旧約聖書ではイザヤ書11章に、エッサイの根から一つの若枝が出るとあり、若枝はヒブル語ではネーツェールなので、ギリシャ語読みで「ナザレの人」と解せるためマタイはこの預言の成就と受け取ったのです。イエス様は救いの働きを始められるまで、このナザレで神様に守られて一人の人として育っていったのです。ユアチャーチでは、今年二人の方が、イエス様を信じて歩みだすという第二の誕生日を迎えました。すぐには神様の働きを十分担えなくて、自分にがっかりすることもあるでしょう。クリスチャンとして長く歩んでいても、自分にがっかりすることは毎日のようにあるのです。教会は、神様の働きのセンターでもありますが、同時に、癒す、養う、育てる場所でもあるのです。「私も何かしないと」とあわてることはありません。ここで癒され、教育されなければうまくできないことも多いのです。

 

メッセージのポイント
自分が支配者、王でいたい者にとってイエス様は邪魔者です。それは世界、国家といったレベルだけのことではなく、もっと小さな社会、家庭や職場、教室にも当てはまる事なのです。そして誰もが支配したいという欲望を持っています。これが神様に背を向けさせる罪の原動力の一つなのです。しかしこの欲望は、実際に大きな権力を持った支配者になっても決して満足することができず、不安は消えないのです。人を傷つけ自分も傷つきます。イエス様は、この問題が「しもべ」となることによって克服できることを教えてくださいました(マルコ10:42-45)。ご自身があの十字架ですべての人のしもべとなられたのです。このイエス様を主と信じ従う事によって、罪から来るあなたの問題の全ては根本的に解決するのです。

話し合いのためのヒント
1) ヘロデはどのような人だったのでしょうか?
2) ヘロデはどのような事件を引き起こしましたか?