January 23rd, 2011 Vol.18 No.4

クリスチャンはどう生きる?ヘブライ人への手紙シリーズ2 (2:1-9)

へブライ人への手紙のシリーズ第二回目です。2章の1節から9節までを取り上げてお話しします。今日のテキストは私たちに、自分が置かれている今と、向かっている目標、そしてそこに向かって着実に歩むために欠かせないことを教えてくれています。なお今日のテキストに引用されている詩編の個所は8:6-8で、この箇所はパウロもコリントの信徒への第一の手紙15:25-28で、イエス様の復活について教えるために引用しています。それでは最初の部分を見てゆきましょう。今がどのような時代なのか?最も大切なことは何かが語られています。

A 今は神様が直接語ってくださっている時代

1) イエス・キリストの救いを忘れない

だから、わたしたちは聞いたことにいっそう注意を払わねばなりません。そうでないと、押し流されてしまいます。 もし、天使たちを通して語られた言葉が効力を発し、すべての違犯や不従順が当然な罰を受けたとするならば、ましてわたしたちは、これほど大きな救いに対してむとんちゃくでいて、どうして罰を逃れることができましょう。(1-3a)

「天使を通して」とは旧約の時代に、神様が天使を通してアブラハムやモーゼ、預言者たちに告げられた、ということを指しています。その言葉は神様の言葉として聞かれるべきでしたが、軽んじられ、その結果イスラエルの民に平安は訪れることはありませんでした。私たちは神様ご自身の言葉を、聖書を通して聞くことのできる立場に置かれています。そうであるなら、私たちがイエス様の言葉に背くことは、旧約の民が律法に従わなかったことよりはるかに深刻な事態を招くと警告されているわけです。不幸や悲劇は様々な形で存在します。例えば武器兵器の総保有量は2000年前の比ではありません。環境も、身近な人間関係も安心していられる状況ではありません。これらを乗り越え、平安な心で人生を歩む方法は、主イエスに従うということ以外にはないのです。

 

2) いただいた賜物を活用して伝える

この救いは、主が最初に語られ、それを聞いた人々によってわたしたちに確かなものとして示され、更に神もまた、しるし、不思議な業、さまざまな奇跡、聖霊の賜物を御心に従って分け与えて、証ししておられます。(3b-4)

この言葉からこの手紙を書いたのは、人として生きられたイエス様から直接聞くことの出来た使徒たちのような第一世代クリスチャンではなく、伝え聞いた第二世代人であったということです。私たちもまた誰かに伝えられたわけです。その人もまた誰かに紹介されたのです。それをずっとたどって行けばイエス様に至る訳ですが、だからといって私たちは前の世代よりイエス様に遠いということにはなりません。なぜなら、あなたにイエス様を伝えた人は、自分の信じる宗教の2000年前存在した神様としてではなく、現在の自分の親友として引き合わせてくれたのです。だからイエス様は、あなたの親友の親友の親友ではなく、あなた自身の親友です。さらに神様は私たちがその事を実感できるようにキリストの霊、聖霊として私たちの心を喜びと平安で満たし、聖霊の賜物を与えて、イエス様に忠実に歩むことを助けて下さいます。今日はこのことについて詳しくお話しする時間はありませんが、来月の最後の日曜日に聖霊を受ける、賜物を活かすことについて、お話しする予定です。

 

B 私たちはイエス様と共に生きている

1) まだ全てがイエス様に従っていない世界で生きいている私たち

神は、わたしたちが語っている来るべき世界を、天使たちに従わせるようなことはなさらなかったのです。 ある個所で、次のようにはっきり証しされています。「あなたが心に留められる人間とは、何者なのか。また、あなたが顧みられる人の子とは、何者なのか。 あなたは彼を天使たちよりも、わずかの間、低い者とされたが、栄光と栄誉の冠を授け、すべてのものを、その足の下に従わせられました。」「すべてのものを彼に従わせられた」と言われている以上、この方に従わないものは何も残っていないはずです。しかし、わたしたちはいまだに、すべてのものがこの方に従っている様子を見ていません。(5-8)

人間とは何者なのか?哲学者、宗教家、カウンセラーが思い思いの主張をしています。聖書の主張は「神様の子供たち」です。ここではイエス様のことを人の子と表現して、私たちの本質を完全な形の現れであることを示しています。私たちは能力的には天使に劣る存在であっても、身分的にはそれ以上の存在なのです。ところが残念なことに、多くの人がこの自分の本質を理解していません。イエス様に従おうとしないからです。それが、人類が与えられた良い性質を充分に発揮することができず、今でも罪が世に満ちている理由です。

 

2) すべての人のために死んでくださった方と生きる

ただ、「天使たちよりも、わずかの間、低い者とされた」イエスが、死の苦しみのゆえに、「栄光と栄誉の冠を授けられた」のを見ています。神の恵みによって、すべての人のために死んでくださったのです。(9)

イエス様は、避けようと思えば避けることが出来たのに避けることはせず、十字架にかけられて私たちのために死なれたました。長い歴史の中でたった一つだけの特別な死です。普通、死は敗北を意味すると考えられています。しかしイエス様の死はそうではありませんでした。イエス様は三日目によみがえり、私たちに肉体の死は恐れる必要のないことを教えてくださいました。もちろん誰も肉体の死を免れることはできません。しかし神様に、永遠の命をいただいた者にとって死は通過点に過ぎません。それはこの世の歩みはどうでも良いということではありません。むしろ、私たちはこの世の歩みにおいても、自分かあるいは誰かの期待にそうような歩みではなく、永遠に主である方の期待に応えようと歩むのです。現実はまだすっかり変わってしまったわけではありません。ほとんど変わっていないような気さえします。しかし、新しい現実がイエス・キリストの特別な死によって始まったことは確かです。イエス・キリストをあなたの主と信じ従おうとと決心することは、絶望に至る古い現実をすて、新しい現実に生きる決心をすることなのです。

 

メッセージのポイント
2000年前にイエス様が来て下さり新しい時代の幕が開けました。もはや神様は律法を通して語られはしません。それは旧約聖書の律法にもう意味はないということではありません。聖書は66巻全体を通して、私たちに与えられた大切な神様の言葉です。ただ、旧約聖書を読むとき十字架と復活という視点をもって読む必要があるということです。イエス様は突然来られたのではなく、旧約聖書に見ることのできる神様の深い計画に従ってきてくださいました。十字架と復活の恵みは、旧約聖書という土台があってはじめて正しく理解できます。クリスマスのシリーズではインマヌエルという言葉をよく聞きましたが、この「神様は私たちと共におられる」という理解がクリスチャンとしての生き方を支えます。その意味では、私たちにとっては毎日がクリスマスであり、受難日であり、イースターです。

話し合いのためのヒント
1) 天使たちを通して語られた言葉とは?
2) 聖書を読んだことのない人にイエス様をどう紹介しますか?