April 24th, 2011 Vol.18 No.17 イースターメッセージ

私を信じる者は死んでも生きる  ヨハネ11:21-27,マタイ28:1-10

1)ラザロを生き返らせた目的(ヨハネ11:21-27)

マルタはイエスに言った。「主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに。 しかし、あなたが神にお願いになることは何でも神はかなえてくださると、わたしは今でも承知しています。」 イエスが、「あなたの兄弟は復活する」と言われると、 マルタは、「終わりの日の復活の時に復活することは存じております」と言った。 イエスは言われた。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。 生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか。」 マルタは言った。「はい、主よ、あなたが世に来られるはずの神の子、メシアであるとわたしは信じております。」 (ヨハネ11:21-27)

マルタとその姉妹マリアは兄弟ラザロの危篤をイエス様に告げましたが、イエス様それから4日間もラザロを訪ねようとはしませんでした。それでラザロはついに死んでしまったのです。イエス様には特別な目的があって、あえてすぐには行かなかったのです。イエス様は、彼の病気を癒すのではなく、死から蘇らせようとしていたのです。イエス様は、ラザロが死にそうになっていると告げた人たちに対して「この病気は死で終わるものではない。神の栄光のためである。神の子がそれによって栄光を受けるのである。」といわれました。聖書はイエス様による癒しを数多く紹介していますが、死者を蘇らせた記録は3回だけです。そのなかでもラザロの場合はもう死後4日も経っていたので、人々に疑う余地を与えず強烈な印象を与えました。有限の存在として造られた肉体を蘇らせることは神様の意思に反することです。イエス様は例外的にこれらの奇蹟を通して、人々が地上での命だけに限定されない特別な存在であることを知らせようとなさったのです。この事とイエス様ご自身の復活を通して、イエス様の言葉に間違いがなく、神様の権威が備わっていることを聖書は証明しています。体が生きているより、もっと素晴らしい命があることを知らせるため=体の死より、もっと恐ろしい死を知らせるために、イエス様はラザロを蘇らせ、ご自身も蘇らました。イエス・キリストを信じるなら決して死ぬことはありません。肉体のことを言っているのではありません。肉体の制約を超えて、神様と共にいられるということです。 どんなに辛いこと、悲しいこと、怖いことが起こっても神様と一緒にいる人は乗り越えることができます。イエス様を信じる人は永遠に神様と共にいられるからです。

 

2)目に見える状態に支配されやすい私達 (マタイ28:1-10)

さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方に、マグダラのマリアともう一人のマリアが、墓を見に行った。 すると、大きな地震が起こった。主の天使が天から降って近寄り、石をわきへ転がし、その上に座ったのである。 その姿は稲妻のように輝き、衣は雪のように白かった。 番兵たちは、恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになった。 天使は婦人たちに言った。「恐れることはない。十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、あの方は、ここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ。さあ、遺体の置いてあった場所を見なさい。 それから、急いで行って弟子たちにこう告げなさい。『あの方は死者の中から復活された。そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる。』確かに、あなたがたに伝えました。」 婦人たちは、恐れながらも大いに喜び、急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走って行った。 すると、イエスが行く手に立っていて、「おはよう」と言われたので、婦人たちは近寄り、イエスの足を抱き、その前にひれ伏した。 イエスは言われた。「恐れることはない。行って、わたしの兄弟たちにガリラヤへ行くように言いなさい。そこでわたしに会うことになる。」 (マタイ28:1-10)

マリアたちはよみがえりを信じて墓に行ったのではなく、正式に埋葬するために行ったのです。あれだけ念入りに教えられていたにもかかわらず、弟子たちは皆、イエス様がいないという現実に押しつぶされそうになっていました。復活を目で見なければ信じられなかったのです。ここで「おはよう」と訳されている言葉はギリシャ語の普通の挨拶の言葉で朝でも昼でも夜でも使え、さようならにも使える言葉ですが、元々の意味は「喜びなさい」です。彼女たちには本当の意味でこの言葉が身にしみたはずです。クリスチャンとはイエス・キリストに出会い、彼を生涯の主と認め、彼と共に歩む者です。復活された主イエスに会えば、誰でもどんな状況に置かれていても喜びを得られます。  与えられている命の本当の姿、その尊さを知れば、死は恐れるべきものではない事がわかります。東日本大震災で、この国は今生きている多くの人が経験したことのない困難に直面しています。太平洋戦争(人口が8000万から7000万に減り、原子爆弾によって亡くなった人は約30万人) を知らない私達にとっては生まれて初めての大惨事です。戦争に負けた後、もうこの国は完全に滅びてしまうと多くの人が考えました。しかし、経済的には世界で最も進んだ国と言われるまでそれから50年もかからなかったのです。その後、再び経済的には低迷し始めますが豊かな国であることは変わりません。私達がここから経済的に立ち直ることは、敗戦に比べれば簡単なことです。しかし、この戦後の半世紀余り、心が豊かな国となったとは言えないのです。私達が目指すのは震災からの復旧ではありません。経済的にもとに戻ったとしても、あるいはそれ以上になったとしても決定的に欠けているものは変わらないのです。必要なことはこの国の多くの人が、本当の命の意味を知ることです。そうでなければ、心が貧しいどころか、魂は死んでいるような状態のまま変わらないからです。今は、神様の憐れみによって誰もが弱い者を喜んで助けたいという気持ちにされていますが、経済的な繁栄が回復されれば愛は冷えます。今クリスチャンには、クリスチャンでなければできない働きが与えられています。神様の愛による日本の復興です。私達がこれから10年20年30年忠実に愛の働きを続けてゆくなら、この国は、経済的にも、精神的にも最も豊かな国になります。それは、よみがえられた主イエス様を信じる人々によってなされるのです。なぜなら、クリスチャンは神様が災いを益と変えてくださる方であることを固く信じているからです。

 

3)聖書があなたに知らせたいこと

肉体は滅びる、世界は終わる。しかしクリスチャンは死んでも生きる、その魂は永遠に主と共に生きる、という約束をいただいています。 人にとって、生きているとは、単に心臓が動いているとか、脳が活動していることではありません。肉体の滅びが終わりではないのです。聖書が教える人間の「命」とは、肉体の有無に関わらず、神様と共に生きるということです。神様は時間と空間を超えた方ですから、この方とともにいられるということはその人もまた時間や空間の制約を受けないということです。だから聖書はこの命を「永遠の命」と呼ぶのです。目に見える世界だけが私達のステージではなく、それは第一幕に過ぎません。この第一幕だけを見、それが全てだと考えるなら、神様は大変不公平な方だと考えるしかありません。しかし、ほとんど何も地上での経験をできないままに世を去った子供や、大変な苦しみの中で地上の生を終えた人にも次の幕が用意されているのです。このことを知っているなら、この地上のどんな苦しみも、悲しみも乗り越えることができます。この地上で経済的な格差を無くす努力も必要ですが、この真理を知っているのか、いないのかの「魂の格差」は人の人生にもっと大きな影響を持つものです。この真理を伝えるために、イエス様は死から蘇られました。目には見えませんが、聖霊と呼ばれる、霊的な存在としていつも信じる者のそばを離れず、力を与え、知恵を与え、慰めを与え、悔いのない人生を歩ませてくださいます。イエス・キリストは2000年以上前から、あなたを招いていてくださいます。「魂の格差」は、あなたの決意一つで解決できる簡単な問題です。あなたの命は、どこから来て、どこへ行くかもわからない、頼りなくはかないものではないはずです。あなたの命は、目的もわからないまま、その時その時の状況によって流されてゆくものではないはずです。どうぞ差し出されている永遠の命を受け取ってください。それは復活されたイエス・キリストを主と信じて従ってゆく人生です。キリストの体である教会の一員として歩んでゆく人生です。

 

メッセージのポイント
人にとって、生きているとは、単に心臓が動いているとか、脳が活動していることではありません。肉体の滅びが終わりではないのです。聖書が教える人間の「命」とは、肉体の有無に関わらず、神様と共に生きるということです。神様は時間と空間を超えた方ですから、この方とともにいられるということはその人もまた時間や空間の制約を受けないということです。だから聖書はこの命を「永遠の命」と呼ぶのです。目に見える世界だけが私達のステージではなく、それは第一幕に過ぎません。この第一幕だけを見、それが全てだと考えるなら、神様は大変不公平な方だと考えるしかありません。しかし、ほとんど何も地上での経験をできないままに世をさった子供や、大変な苦しみの中で地上の生を終えた人にも次の幕が用意されているのです。このことを知っているなら、この地上のどんな苦しみも、悲しみも乗り越えることができます。この地上で経済的な格差を無くす努力も必要ですが、この真理を知っているのか、いないのかの「魂の格差」は人の人生にもっと大きな影響を持つものです。だから私たちは、全ての人にイエス様のことを知らせたいのです。

話し合いのために
1) ラザロのよみがえりとイエス様ご自身のよみがえりの違いは?
2) 体が生きているよりもっと素晴らしい生命とは何ですか?