May 8th, 2011 Vol.18 No.19 

神様と私達との契約 ヘブライ人への手紙8:7-13

A 破られた古い契約

1) 旧約聖書と新約聖書 (7,8)

もし、あの最初の契約が欠けたところのないものであったなら、第二の契約の余地はなかったでしょう。事実、神はイスラエルの人々を非難して次のように言われています。「『見よ、わたしがイスラエルの家、またユダの家と、新しい契約を結ぶ時が来る』と、主は言われる。(7,8)

先週からお話ししている旧約聖書と新約聖書の関係を続けて見てゆきましょう。今日の部分は、最初と最後を除いて全て旧約聖書、エレミヤ書31:31-34からの引用です。最初の契約は民の代表モーセを通してイスラエルの民と神様の間に立てられた契約です。それは旧約聖書の言葉です。従って新しい契約とは、イエス様の十字架を通して与えられる赦し、救いの契約。新約聖書の言葉です。気を付けたいことは最初の契約に欠けがあるといっても、先週お話ししたように、契約内容に問題があった、旧約聖書に問題があったということではありません。9節も続けて読んでみましょう。

 

2) 契約に忠実でなければ、権利は主張できない

『それは、わたしが彼らの先祖の手を取って、エジプトの地から導き出した日に、彼らと結んだ契約のようなものではない。彼らはわたしの契約に忠実でなかったので、わたしも彼らを顧みなかった』と、主は言われる。(9)

ここに書かれているように、それは契約自体ではなく、契約の当事者の一方である人間に問題があったのです。約束をしても、その約束にふさわしい行動が取られなければ、それは約束した相手に対する契約違反です。しかし民の違反にも関わらず、この契約の精神をもう一度、実現するために、キリストの十字架と復活を中心とする新しい契約が必要となったのです。神様は新しい契約を既に預言者エレミヤの時代に考えておられたのです。そのことが次の部分からよく分かります。

 

B 新しい完全な契約

1) 神様の憐れみによる新しい契約(10-12)

『それらの日の後、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこれである』と、主は言われる。『すなわち、わたしの律法を彼らの思いに置き、彼らの心にそれを書きつけよう。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。彼らはそれぞれ自分の同胞に、それぞれ自分の兄弟に、「主を知れ」と言って教える必要はなくなる。小さな者から大きな者に至るまで彼らはすべて、わたしを知るようになり、わたしは、彼らの不義を赦し、もはや彼らの罪を思い出しはしないからである。』」(10-12)

エレミヤは、イエス様の生まれる600年前頃の預言者です。神様は、やがて明らかになる新しい契約が用意されていることをこの預言者を通して教えてくれています。それは最初の契約を破った民に神様との関係を回復す事ができる可能性が与えられたということです。またこの箇所から、旧約聖書自体が新約を必要としていること、認めていること、聖書が旧約新約を通して66巻で完全な一つの聖書であることが分かります。

 

2) 今、聖書全体をどう読むか?(13,マタイ5:17-20)

神は「新しいもの」と言われることによって、最初の契約は古びてしまったと宣言されたのです。年を経て古びたものは、間もなく消えうせます。(13)

最初の契約は人の側から一方的に破られましたから、最初の契約単体としては、もう有効ではありません。そのような意味で、最初の契約は無効となったのです。しかし旧約聖書に記されている神様の言葉自体が時代遅れになったのではありません。この事についてイエス様はこう言っています。

「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである。はっきり言っておく。すべてのことが実現し、天地が消えうせるまで、律法の文字から一点一画も消え去ることはない。だから、これらの最も小さな掟を一つでも破り、そうするようにと人に教える者は、天の国で最も小さい者と呼ばれる。しかし、それを守り、そうするように教える者は、天の国で大いなる者と呼ばれる。言っておくが、あなたがたの義が律法学者やファリサイ派の人々の義にまさっていなければ、あなたがたは決して天の国に入ることができない。」(マタイ5:17-20)

ここでイエス様が注意しているように、それは決して旧約聖書が不要になるということではないのです。新しい契約は古い契約の精神を土台としたものですから、古い契約の意味を知らなければ正しく理解することはできません。また、旧約聖書読むとき、新約聖書の中心である十字架と復活の出来事を念頭におくなら、より明るいところで読むように、その内容をより良く理解することが出来ます。聖書全体を正しく読むために、旧約は新約を読むための、新約は旧約を読むための最適な照明です。最も素晴らしいことは、旧約聖書にも預言され、新約聖書でも明らかにされているように、神様の契約は、新約において対象はイスラエルだけではなく、すべての人に広げられているということです。イエス・キリストを主と信じるということ、クリスチャンになるということは、この神様の恵みの契約を結ぶということなのです。聖書は、私達にとって大事な契約書でもあるのです。

 

メッセージのポイント
旧約聖書には古い契約が記されています。ここでは、最初の契約が古びて、まもなく消え失せると書かれていますが、イエス様がおっしゃったように、それは決して旧約聖書が不要になるということではありません。新しい契約は古い契約の精神を土台としたものですから、古い契約の意味を知らなければ正しく理解することはできません。また、旧約聖書読むとき、新約聖書の中心である十字架と復活の出来事を念頭におくなら、より明るいところで読むように、その内容をより良く理解することが出来ます。聖書全体を正しく読むために、旧約は新約を読むための、新約は旧約を読むための最適な照明です。

話し合いのためのヒント
1) なぜ神様は古い契約が破られたのにさらに新しい契約を用意されたのでしょうか?
2) なぜ古い契約である旧約聖書もキリスト教の聖書の一部なのですか?