September 4th 2011 Vol.18 No.36 シリーズ「ヘブライ人への手紙」最終回 ヘブライ人への手紙 13:9-25

手紙の最後で確認されている重要な事柄

A. 最後の勧め

1) 恵みによって心が強められること (9-13)

いろいろ異なった教えに迷わされてはなりません。食べ物ではなく、恵みによって心が強められるのはよいことです。食物の規定に従って生活した者は、益を受けませんでした。 わたしたちには一つの祭壇があります。幕屋に仕えている人たちは、それから食べ物を取って食べる権利がありません。 なぜなら、罪を贖うための動物の血は、大祭司によって聖所に運び入れられますが、その体は宿営の外で焼かれるからです。 それで、イエスもまた、御自分の血で民を聖なる者とするために、門の外で苦難に遭われたのです。 だから、わたしたちは、イエスが受けられた辱めを担い、宿営の外に出て、そのみもとに赴こうではありませんか。(9-13)

当時の人々にとって、伝えられてきた食べ物についての規定を守ることは非常に大切なことでした。これを守る事によって神様に相応しい清さを保つ事ができ、心を強く保つ事ができると考えられてきたのです。また聖所や神殿も、神様との関係を保つ上で、重要で神聖な場所でした。ところがイエス様の歩みは、この二つとはかけ離れたところでなされました。筆者はこの、手紙の最後の部分で、イエス様に出会いながらも、これらの古い考えに囚われ、また様々な異なった教えの影響を受けて、なかなか確信の持てない読み手に対し、規定ではなく、神殿ではなく、あなた方を自由にするために十字架で苦しまれたイエス様に心を向けなさいと勧めています。これは私達に対する警告でもあります。 私たちには食物の規定こそありませんが、何かを行うこと(あるいは行わないこと)によって、神様は私を祝福する、あるいは呪うと考えてしまう性質を持っています。それは人間の行いによって神様を満足させようとする人間中心主義です。神様はあなたと取引するつもりはありません。相応しいものを相応しいタイミングで与えてくださる方であって、行ないの対価として恵みを下さる方ではありません。子供は親と取引しようと試みます。「いい子にしてたら何くれる?」 しかし本当に子供を愛する親は子供の取引相手とはなりません。神様は私たちの天のお父さんです。 もう一つは、「サンデークリスチャン」となってしまうことへの警告です。イエス様は、全く神聖な場所とは言えないところで生まれ、死なれました。十字架は、本当はチャペルの中ではなく、教会の屋根でもなく、渋谷のスクランブル交差点に、人々が争っているその只中に、病と戦っている人々の病室に立っているのです。13節はとても挑戦的な勧めです。多くの人は、教会に来ることがイエス様に会いに来ることだと考えますが、実はここから出てゆくことが、イエス様の近くに向かうことだというのです。出て行って誰かに仕える時に、そこにイエス様はおられます。氷川丸という船をご存知ですか?1930年に作られ横浜とシアトルを結ぶ定期航路などで活躍し、1960年に退役してから、横浜港に係留されています。水の上に浮いています。船の形をしています。エンジンも動きます。しかしもう船ではありません。教会は港です。私たちはここで神様の恵みによって強くされ、新しい航海に出てゆく者たちです。あなたの信仰は、日曜日以外にこそ働いているはずです。なかなかそういきませんか? 神様を信頼しましょう。祈り求めましょう。他の誰でもなく、私たちを赦し、子として良いもので満たして下さる方の恵みによって強くされるのです。

2) 真のいけにえをささげること (14-17)

わたしたちはこの地上に永続する都を持っておらず、来るべき都を探し求めているのです。 だから、イエスを通して賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえる唇の実を、絶えず神に献げましょう。 善い行いと施しとを忘れないでください。このようないけにえこそ、神はお喜びになるのです。 指導者たちの言うことを聞き入れ、服従しなさい。この人たちは、神に申し述べる者として、あなたがたの魂のために心を配っています。彼らを嘆かせず、喜んでそうするようにさせなさい。そうでないと、あなたがたに益となりません。(14-17)

地上には最終ゴールはありません。どんなに素晴らしい教会(建物であれ、組織であれ)を作っても、そこは天国ではありません。しかし天国体験ができる機会が与えられています。礼拝です。多くの人々と共に、また数人で、二人で、一人だけでも礼拝できるのです。先週、自分を献げものとして神様の前に立ち礼拝する、ということをお話ししました。神様をほめたたえる礼拝の大切さが、今日も告げられています。それは、私達にとって間違いなく第一のことです。しかし、本当に礼拝中心に生きている人は、礼拝の場から出て行って働くはずです。真の礼拝は行いを生み出します。タンクを燃料で満たしても出て行かないなら、氷川丸と同じです。出て行って、あなたが神様の手足となって、目となって、耳となって、口となり愛するのです。時間や労力の犠牲を厭わず、喜んでそうする時、神様はそれを献げものとして喜んで受け取ってくださいます。イエス様も出て行って、人々のただ中で御自身を犠牲となさった方であることを忘れないで下さい。 後半の言葉には注意が必要です。服従と盲従は違います。判断を停止してついてきなさいというのはカルトの教祖です。「私に従うことが神に従うことです」と言う指導者がいるなら、そこは盲従を要求するカルトであって教会ではありません。私たちは自分で祈れます。聖書が読めます。人々の話を聞けます。常識があります。だから盲従する必要はありません。よく祈り、またぜひ多くの人と話すことによって判断して従って下さい。そうした上でユアチャーチが私に備えられた教会だと確信するなら、指導者が神様の導きに従って喜んで仕えていると確信するなら、牧師の導きを喜び従って下さい。ユアチャーチだけが教会ではありません。キリストの体の小さな一部分に過ぎません。私は教会を探している人に、いろいろな教会をじっくり試して決めることを勧めています

B. 最後の願い

1) リーダーのために祈っていてください (18-21)

わたしたちのために祈ってください。わたしたちは、明らかな良心を持っていると確信しており、すべてのことにおいて、立派にふるまいたいと思っています。 特にお願いします。どうか、わたしがあなたがたのところへ早く帰れるように、祈ってください。 永遠の契約の血による羊の大牧者、わたしたちの主イエスを、死者の中から引き上げられた平和の神が、 御心に適うことをイエス・キリストによってわたしたちにしてくださり、御心を行うために、すべての良いものをあなたがたに備えてくださるように。栄光が世々限りなくキリストにありますように、アーメン。(18-21)

読者にとって、筆者はどのような存在だったのでしょうか? そのことを考えるとき、私たちはユアチャーチだけではなく、キリストの体である教会全体のために働く指導者たちのことも祈ることが出来る事がわかります。バドとキャシーはちょうどこの筆者のように、普段は離れていても私達のことを祈り、心配していてくれています。今回、初めて会った方は、どうか祈りのリストに彼らを加えて下さい。また、より良い聖書理解や教会の在り方を研究して牧師たちに教える働きをしている人々や新しい聖書翻訳に取り組んでいる人々もいます。 この部分の後半は、筆者の祈りです。永遠の契約の血による羊の大牧者、わたしたちの主イエスを、死者の中から引き上げられた平和の神が、 御心に適うことをイエス・キリストによってわたしたちにしてくださり、御心を行うために、すべての良いものをあなたがたに備えてくださるように。栄光が世々限りなくキリストにありますように、アーメン。 神様は、私達が神様の意思を地上で行うために、全ての良いものを備えてくださるのです。そのために私たちは大胆に祈り求めることができます。自分の繁栄のためではありません。自分の満足をいくら求めてもきりがありません。決して満たされることはないのです。ところが、神様の意思を行うなら、私たちの心は満足を得るのです。

2) 交わりを保ち祝福されて歩み続けてください (22-25)

兄弟たち、どうか、以上のような勧めの言葉を受け入れてください、実際、わたしは手短に書いたのですから。 わたしたちの兄弟テモテが釈放されたことを、お知らせします。もし彼が早く来れば、一緒にわたしはあなたがたに会えるでしょう。 あなたがたのすべての指導者たち、またすべての聖なる者たちによろしく。イタリア出身の人たちが、あなたがたによろしくと言っています。 恵みがあなたがた一同と共にあるように。(22-25)

私たちの回りには、神様の恵みによって、素晴らしい人間関係が与えられています。毎週共に祈り合う人達もいれば、普段は会えない神の家族もおり、会ったこともないのに互いに祈り合うこともできます。これは神様の下さった素晴らしいプレゼントです。私はクリスチャンになる前、ひとつの信仰を持てば元々友達の少ない自分の人間関係はさらに狭くなるのだろうと思っていましたが、それは正反対でした。クリスチャンになったら、私には南極を除いて、全ての大陸に友ができました。観光ではなく、仕事でもなく、友を訪ねるために外国に旅行できるようになるとは思ってもいませんでした。もちろん、信仰を持っていない友人を大切にして、イエス様を紹介することが私たちの第一の務めです。しかしそのあなたを祈りで支えているのは世界中に張り巡らされている信仰のWorld Wide Web であるということをいつも感謝し、その関係を大切にしましょう。

メッセージのポイント
この長い手紙の最後は、全体の教えのまとめと大切なリクエストで締めくくられています。神さまの私たちに対する願いは、ただ神さまの恵みだけを支えに成長してゆくこと、ゴールを忘れず、神様を愛し人々を愛する神の家族として、互いに愛しあい、祈りあい、支えあう教会として歩んでゆくことです。特にリーダーたちのために祈ることと互いの交わりを大切にすることが、教会がこの社会で良い働きを続けてゆくことの土台となるのです。

話し合いのヒント
1) 食べ物ではなく、恵みによって心が強められるとはどういうことですか?
2) あなたはリーダーたちのためにどのように祈っていますか?