神様は約束を守りましたか?

池田真理

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神様は約束を守りましたか?(イザヤ 55:8-13)

 


 今日で今年も終わりです。今年一年は、みなさんそれぞれにとって、どんな一年だったでしょうか?嬉しいことも苦しいことも、たくさんあったと思います。大きな変化があった人もいれば、停滞に苦しむ人もいると思います。神様が祈りに答えてくださったこともあれば、現在進行形で求め続けていることもあると思います。今日は、みなさん一人ひとりに、神様が自分のこの一年の歩みをどう見ておられるのか、考えていただきたいと思います。ヒントは今年の元旦に読んだ聖書の箇所です。イザヤ書55章、最初に8-9節です。


1. 私たちの思いと神様の思いは違う (8-9)

8 わたしの思いは、あなたたちの思いと異なり
わたしの道はあなたたちの道と異なると主は言われる。
9 天が地を高く超えているように
わたしの道は、あなたたちの道を
わたしの思いはあなたたちの思いを、高く超えている。
 

 これは、私たちがどんな時でも忘れてはいけない、神様の真実です。神様の思いは私たちの思いをはるかに高く超えているということです。自分の願いが叶わない時、思いがけない苦しみに遭う時、私たちは神様になぜですかと叫びますが、神様の返事は、ここに言われている通りです。「わたしの思いはあなたたちの思いと異なる。 My thoughts are not your thoughts.」この返事を、私もみなさんも何度も聞いてきたと思います。聞いても、なかなか受け入れられない時もあれば、すんなり受け取れる時もあります。自分には悪いとしか思えないような状況を、それでも神様は良しとされていると信じることは、本当に難しいことです。神様はどんな時も良い方で、私たちに良いことをなさると、言うことは簡単ですが、本当に心からそう信じて、いつでも安心していられる人はいません。状況が良くなれば信じることは少し簡単になりますが、一度信じれば一生信じられるなんてことはありません。神様を信じることは、一人ひとりの毎日の戦いです。「なぜですか」と叫び続けて、それでも神様は良い方だと教えていただく経験の連続です。何年か前の年末のメッセージで、「今年一年、神様に叫んできたなら、それでいいのです」と聞いて、とても安心したことを覚えています。自分自身の悩み、大切な人たちの苦しみ、突然の別れ、それがなぜなのか、すぐには納得した答えが出ないかもしれません。でも、最初から、私たちには神様のなさること全てを理解することはできません。それでも、叫び続けていれば、神様は必ず私たちの心に語りかけてくださいます。分かったふりをして空元気を出す必要はありません。たとえ状況が変わらなくても、今は分からなくても、きっと良いことなのだと心から思えるように私たちを変えてくださいます。それは神様が私たちに起こしてくださる奇跡で、人間には与えることのできない素晴らしい経験です。この1年、皆さんはそんな経験をどれくらいされてきたでしょうか?私自身は、疑い深くて、神様に「まだ分からないのか、まだ信じないのか」と言われているような気がしたことが、何回かありました。でもそれは決して私を責めているのではなく、主は私の叫びを聞いてくださっているという確信を下さる経験でした。神様は、疑う私たちを叱るかもしれませんが、見捨てることは決してありません。マタイ14:28-32を読んでみましょう。

28 すると、ペトロが答えた。「主よ、あなたでしたら、わたしに命令して、水の上を歩いてそちらに行かせてください。」29 イエスが「来なさい」と言われたので、ペトロは舟から降りて水の上を歩き、イエスの方へ進んだ。30 しかし、強い風に気がついて怖くなり、沈みかけたので、「主よ、助けてください」と叫んだ。31 イエスはすぐに手を伸ばして捕まえ、「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」と言われた。32 そして、二人が舟に乗り込むと、風は静まった。

 イエス様を信じて歩むのは、時に水の上に一歩を踏み出すようなものです。イエス様が「来なさい」と言ってくださったから踏み出したけれど、そんなことができるだろうかと疑った途端に沈んでしまいます。そんな私たちを、31節にあるように、イエス様は「すぐに」捕まえて助けてくださる方です。これは、大きな人生の転機だけに言えることではありません。私たちが見えない神様の計画を信じて、状況が悪いままでも神様を信じる一歩を踏み出す時、それは水の上に一歩を踏み出しているのと同じです。人間の力ではできない、神様が起こす奇跡です。そして、そんな奇跡を経験しながら、すぐに疑って沈みかける私たちでも、神様は決して見捨てません。

 それではイザヤ書に戻って、10-11節に進みましょう

 


2. 「神様の言葉」は必ず実現する (10-11)

10 雨も雪も、ひとたび天から降れば
むなしく天に戻ることはない。
それは大地を潤し、芽を出させ、生い茂らせ
種蒔く人には種を与え、食べる人には糧を与える。
11 そのように、わたしの口から出るわたしの言葉も
むなしくは、わたしのもとに戻らない。
それはわたしの望むことを成し遂げ
わたしが与えた使命を必ず果たす。

 神様の言葉は必ず実現するということが言われています。それは、先に読んだ8-9節の神様の真実は決して変わらないということでもあります。神様の計画は必ず良いもので、私たちにはすぐには分からなくても、必ず実現するということです。なぜそう言えるのかの根拠はイエス様です。沈みかけたペテロをすぐに救ったように、イエス様は誰のことも見捨てません。また、多くの人の病気を癒し、孤独な人と食事を共にし、罪人の友人になりました。そして、なによりも、私たちを救うために十字架で自らの命を捧げられました。それは全て、世界の最初からあった神様の計画の通りでした。11節でこう言われています。「(それは)むなしくは、わたしのもとに戻らない。それはわたしの望むことを成し遂げ、わたしが与えた使命を必ず果たす。」これはイエス様のことです。イエス様は、神でありながら人となり、全ての人のために死ぬという使命を果たされました。イエス様の存在自体が、神様の計画の実現であり、神様がどういう方かを示す神様の言葉そのものでした。では、イエス様を通して私たちに届けれた神様の言葉、神様のメッセージは何かと言うと、愛です。神様は自分の命を私たちのために捧げるほど私たちを愛しているというメッセージです。
この神様のメッセージは、今も続いています。神様は自分を愛している、自分は神様に愛されていると信じるのは、実はとても難しいことで、一人ひとりが日々自分で確かめなければいけません。私たちが自分で確かめて実感し、確信を持って信じる時、神様のメッセージはまた一つ実現したことになります。それは先にお話ししたように、神様に叫び続けて、具体的な答えが得られなくても、水の上に一歩を踏み出して信じるということと同じです。神様はいつも良い方だと信じることも、神様の愛を信じることも、私たちにとっては水の上を歩くのと同じくらい不可能なことです。でも、神様の力によるならばできます。そして、それは必ず実現すると約束されています。十字架の愛が、むなしく使命を果たせずに終わることは決してありません。私たちのうちに少しずつ実現し、弱々しい一歩だとしても、水の上を歩く奇跡を起こしてくださいます。
そしてさらに、その奇跡と神様のメッセージは、私たちを通して他の人たちに伝えられています。力強くイエス様のことを言葉で語る必要はそんなにありません。イエス様が誰かということは、十字架の愛は何かということで、それを伝えるためには、言葉よりも実際に愛するという行動の方が重要です。それは神様への信頼がなければできません。この一年、私は自分のことで精一杯で、他の人を愛そうとしてもすぐに限界を感じてがっかりすることの連続でした。でも、それでいいのだとも思います。これまで、私に神様の愛を教えてくれた人たちも、みんな限界のある人間でした。それぞれに悩みを持っていて、当然ですが体力にも時間にも限界があります。それでも、私のために時間を割き、一緒に悩み、時には笑わせてくれて、励ましてくれました。そして、私には聞こえていない神様の言葉を語ってくれて、私が神様に叫ぶことを助けてくれました。その人たち自身は、そんなことをしているとは思っていなかったかもしれません。でも、私の感覚としては、彼らの中に生きているイエス様が、私の中にイエス様を生き返らせてくれました。それぞれに限界がありながら、イエス様を信頼して愛して生きるということは、そういうことなのだと思います。お互いの中にイエス様を発見し、忘れていた言葉を蘇らせ、聞こえていない言葉を届けるということです。自分を犠牲にして愛することも、無条件に愛することも、私たちにはとても難しいことです。それでも、少しでもイエス様のように愛したいと願うなら、それは私たちには見えなくても必ず届いています。雨や雪が大地に染み込むように人の心に染み込み、すぐに芽が出なくても、必ず芽を出させ、実を実らせます。私はこのユアチャーチという神様の家族の中で、確かにそれを受け取ってきました。そしてこれからも、神様が私たちを通して働かれることを信じて期待していきたいと思います。
それでは最後に12-13節です。

 


3. 喜びと平和という実り (12-13)

12 あなたたちは喜び祝いながら出で立ち
平和のうちに導かれて行く。
山と丘はあなたたちを迎え、歓声をあげて喜び歌い
野の木々も、手をたたく。
13 茨に代わって糸杉が
おどろに代わってミルトスが生える。
これは、主に対する記念となり、しるしとなる。
それはとこしえに消し去られることがない。

 私たちが、どんな状況にあっても神様の愛を信じ、神様は良い方であると信じるとき、荒れ野は豊かな土地になります。それは、私たちが水の上を歩くのと同じ神様の奇跡です。私たちにはできなくても、神様は荒れ野に雨を降らせ、大地を潤すことができます。そして、その奇跡は喜びと平和という実を実らせます。
今年一年を終えるにあたって、今皆さんの心には喜びと平和があるでしょうか?苦しみは変わらなくても、悲しみはそのままでも、神様には与えられる喜びと平和があります。どうぞ、それを受け取らないままで今日は帰らないでください。私たちの心に、イエス様の愛が染み込みますように。神様のメッセージが聞こえますように。一人ひとりの心に奇跡が起きますように。そして、まだ見えなくても、これから神様がしてくださることを楽しみにして、来年を迎えられますように。


メッセージのポイント

私たちには、神様のすること全てを理解することはできません。私たちには悪いと思えることでも、神様の計画の中では必ず良いものに変えられます。私たちが良いと思っていることでも、神様はもっと良いものを与えたいと思われているかもしれません。自分に見えていることだけで判断して希望を失ったり、自分に予想がつく範囲だけで妥協したりせずに、神様に期待しましょう。イエス様と共に歩む人生には、喜びと平和が約束されています。

 

話し合いのために

一年を振り返って、神様はあなたに喜びと平和を実現してくださいましたか?約束通り、良い時も悪い時も共にいてくださいましたか?

 

子供たちのために

「話し合いのために」を参考に、今年一年を一緒に振り返ってみてください。