永遠の王を迎えよう

池田真理


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Byzantine icon of Nativity, in the Byzantine and Christian Museum in Athens
Ricardo André Frantz (User:Tetraktys) [CC BY-SA 3.0], via Wikimedia Commons


永遠の王を迎えよう(マタイによる福音書 2:1-12)

讃美歌「牧人ひつじを」より

 

今なおみ使い 翼をのべ
疲れしこの世を おおい守り
かなしむ都に なやむひなに
慰めあたうる 歌をうたう

讃美歌『天なる神にはみ栄えあれ』

 今日クワイヤが二番目に歌った讃美歌『天なる神にはみ栄えあれ』には、天使たちが歌っているということが何回も出てきます。そして、その歌を聞きなさいとも言われています。天使たちが歌っているというのは、この讃美歌だけではなく、どのクリスマスの讃美歌にも物語にも出てくるテーマです。天使たちは人間に救い主誕生の知らせを伝える役割を担っていましたが、彼ら自身も大きな喜びに満ちていました。人間を救う救い主の誕生を人間が喜ぶのは当然ですが、天使たちもそれを喜んでいたということを、私たちはあまり考えないんじゃないでしょうか。イエス様の誕生を喜んだのは人間だけではなく、神様も喜ばれたのです。それは、神様も待ち続けていた約束の時が来たからでした。イエス様の誕生は、何百年も前から人間に約束されていたことでした。旧約聖書のイザヤ書はイエス様誕生の700年以上前に書かれた預言書ですが、今日はその一部を読んでいきたいと思います。まずイザヤ9章です。


A. 永遠の平和をもたらす王(イザヤ8:23b-9:6)

 先に/ゼブルンの地、ナフタリの地は辱めを受けたが/後には、海沿いの道、ヨルダン川のかなた/異邦人のガリラヤは、栄光を受ける。 1 闇の中を歩む民は、大いなる光を見/死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。2 あなたは深い喜びと/大きな楽しみをお与えになり/人々は御前に喜び祝った。刈り入れの時を祝うように/戦利品を分け合って楽しむように。3 彼らの負う軛、肩を打つ杖、虐げる者の鞭を/あなたはミディアンの日のように/折ってくださった。4 地を踏み鳴らした兵士の靴/血にまみれた軍服はことごとく/火に投げ込まれ、焼き尽くされた。5 ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。権威が彼の肩にある。その名は、「驚くべき指導者、力ある神/永遠の父、平和の君」と唱えられる。6 ダビデの王座とその王国に権威は増し/平和は絶えることがない。王国は正義と恵みの業によって/今もそしてとこしえに、立てられ支えられる。万軍の主の熱意がこれを成し遂げる。

 この預言は、紀元前8世紀に古代のユダヤ人の王国が南北に分裂し、片方は滅亡の危機にあった頃に書かれたと言われています。アッシリアという強国と戦争になり、やがてユダヤ人の国は負けてしまいます。そんな時に書かれたので、この預言の言葉は戦争を想起させる言葉が多く使われています。でも、ここには昔の人たちの願いだけにとどまらない、現代の私たちにも通じる預言の言葉があります。

1 闇の中を歩む民は、大いなる光を見/死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。

負けることが確実な戦争を戦いながら、それでも希望を信じるのは難しいことです。でもイザヤはその希望を語っています。その希望というのは、ユダヤ人がアッシリアに戦争に勝つことではありませんでした。

5 ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。権威が彼の肩にある。

一人の新しい王が現れる。その王によってすべての争いは終わり、絶望の時代は終わり、平和が訪れる。しかも、その王の支配は永遠に続き、平和が途絶えることはない。それがイザヤの預言した希望でした。
 私たちが生きる現代にも、今まさに戦争や内戦の中にある国があります。日本は戦争をしているわけではありませんが、今年は災害の多い年でした。どの時代もどの国にも、苦しむ人がおり、救ってほしいと叫ぶ人たちがいます。現実として、人間の力でこの世界からすべての苦しみを完全に取り除くことは不可能なのです。でも、苦しみの中で希望を失わない方法はあります。それを自分で手に入れ、他の人に伝えることもできます。それが、イザヤが預言した新しい王が成し遂げてくださることです。その王は人間の王ではありませんでした。「その名は、『驚くべき指導者、力ある神/永遠の父、平和の君』 he will be called Wonderful Counselor, Mighty God, Everlasting Father, Prince of Peace.」神様自らが私たちの王となってくださるということです。神様が私たちを支配し、ご自分の国に住まわせてくださる時、私たちは永遠の平和と自由を手に入れることができます。
 でも、神様ご自身が私たちの王となり、私たちを支配すると言っても、それは力で私たちを圧倒して強制的に従わせるというやり方ではありませんでした。神様のやり方は、一見、回りくどくて分かりにくい方法でした。自ら一人の人間となって、私たちの世界に本当に入ってこられたのです。そして、自らの命を私たちのために捧げられました。ルカによる福音書1:26-38を読んでいきましょう。


B. 人となられた神様 (ルカ 1:26-38)

26 六か月目に、天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。27 ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。そのおとめの名はマリアといった。28 天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」29 マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。30 すると、天使は言った。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。31 あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。32 その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。33 彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。」34 マリアは天使に言った。「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。」35 天使は答えた。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。36 あなたの親類のエリサベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている。37 神にできないことは何一つない。」38 マリアは言った。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」そこで、天使は去って行った。

 神様ご自身が私たちの王様としてこの世界に来られると言っても、もしそれが突然天から降ってくるような登場の仕方だったら、人間は選択の余地なく従うしかなくなります。神様が天使の大軍を連れて天から降ってきて「私が神だ。私に従いなさい」と全世界に呼びかけたとしたら、従わない人間がいるでしょうか。神様が人間を支配するためにはそれが一番簡単な方法です。でも、それは神様の望みではありませんでした。人間が自動的に神様に従うのではなく、自分の意志で神様を自分の王として迎える決心をすることを神様は望みました。神様は人間に選択肢を与えたということです。人間が神様を疑う余地をわざと残したとも言えます。だから、天から突然現れるということはありませんでした。でも反対に、普通の人間の夫婦の間に生まれたら、その子は人間であって神様ではありません。そこで神様は、マリアという一人の女性を聖霊の力で包み、マリアから生まれる一人の男の子としてこの世界に来られました。イエス様は確かにマリアから生まれた一人の人間の赤ちゃんでした。でも同時に、人間の夫婦の間に生まれたのではなく、神様の不思議な力によって生まれた神様の子でした。こんなことが起こったのは後にも先にも歴史上この時だけです。神様はイエス様として、人間の世界に、人間の歴史に、入ってこられたのでした。人間の王となり、人間をご自分の永遠の平和に招き、そこに住まわせるためです。
 このことは神様の念願でもありました。天使たちも待望していました。天使はヨセフにもゼカリアにも羊飼いたちにも、まず「恐れるな」と言いましたが、マリアには違いました。マリアに言った第一声は「おめでとう!Greetings!」です。マリアが戸惑うのは分かっていても、「恐れるな」と言うより前にまず喜びを伝えずにはいられなかったようです。今日は最後に、神様がこの時をどんな思いで待っておられたのか、イザヤ書の他の箇所から読み取りたいと思います。


C. 神様の願い (イザヤ 43:1-2)

イザヤ43:1-2
1 ヤコブよ、あなたを創造された主は/イスラエルよ、あなたを造られた主は/今、こう言われる。恐れるな、わたしはあなたを贖う。あなたはわたしのもの。わたしはあなたの名を呼ぶ。2 水の中を通るときも、わたしはあなたと共にいる。大河の中を通っても、あなたは押し流されない。火の中を歩いても、焼かれず/炎はあなたに燃えつかない。

 神様は私たちに「あなたはわたしのもの」と言われています。そして、「わたしはあなたを贖う」と言われています。贖うという言葉は、買い戻すという意味です。神様は、私たちをご自分のものとして買い戻して、私たちと共にいたいと願われました。それは、神様が私たちを最初から愛して、私たちと愛し合う関係を築きたいと願ってこられたからです。私たちが造られ、命を与えられた目的もそこにあります。私たちは神様に愛され、神様を愛するために命をいただいたのです。そして、神様は今も私たちと共にいたいと願っておられます。イザヤを通してこう言われました。「恐れるな、わたしはあなたを贖う。あなたはわたしのもの。わたしはあなたの名を呼ぶ。」同じように、天使はマリアに告げました。「主があなたと共におられる。」イエス様は、神様は本当にこの通り私たちと共にいたいと願っておられるのだと、私たちに示すためにこの世界に来られました。イエス様が来られるまでは、預言者の口を通して、限界のある人間を通してしか、神様は語ることができませんでした。でも、今から2000年前に、自らご自分の愛を証明することができる時が来ました。それがイエス様の誕生の時でした。神様はイエス様としてこの世界にこられ、私たちにご自分の愛を示されたのです。
 神様は、私たちがイエス様を信じて、ご自分のところに戻ってくることを望んでおられます。神様の支配の元に戻るとも言えます。支配という言葉は抑圧的な印象がありますが、正しい王様の支配する国には平和があります。神様の与えてくださる平和は神様の愛と切り離せません。私たちのうちに神様に愛されている確信と神様を愛したい願いがあるなら、平和は実現しているはずです。置かれた状況がどんなに苦しくても、神様を信じる希望が残るはずです。その平和と希望は、永遠に消えることはありません。だから、神様に私たちの王になっていただきましょう。私たちの力によってではなく、私たちに注がれる聖霊様の力によって、マリアと共にこう言いましょう。「お言葉どおり、この身に成りますように。」主が共におられる喜びが、私たちのうちに増し加えられ、主の平和が私たちと私たちの周りの人たちの間に実現していきますように


メッセージのポイント

神様は私たちが喜びと希望のうちに生きることを願っておられました。そのために、どんな争いや苦しみの中にも平和をもたらす王を私たちに与えると約束されました。イエス様がその約束された王です。イエス様を心にお迎えして、神様の永遠の平和を知りましょう。

話し合いのために

イエス様の与える平和とはどんなものですか?どうすれば手に入れることができ、保つことができますか?

子供たちのために

イエス様が王様であるということはあまり馴染みがないかもしれません。決して間違うことのない正しい王様、国民のことを一番に考える良い王様を想像してみてください。そんな王様の治める国があったら、私たちはみんな幸せに暮らすことができると思います。実際のこの世界にはそんな国はありませんが、私たちの心の中には持つことができます。みんなはその国を自分の中に持っているでしょうか?