神をたたえよ!


❖ 見る

第1礼拝(日本語)

第2礼拝(日本語・英語)


❖ 聴く

第一礼拝 (日本語)

第二礼拝 (日本語/英語)


❖ 読む

神をたたえよ!

(詩編66編) 永原アンディ

A. 賛美の勧め (1-4)

1 【指揮者によって。歌。賛歌。】全地よ、神に向かって喜びの叫びを上げよ。
2 御名の栄光をほめ歌い 栄光に賛美を添えよ。
3 神に向かって言え。「あなたの業は恐るべきもの。大いなる力により、敵はあなたに屈服します。
4 全地はあなたに向かってひれ伏し、ほめ歌います。あなたの名をほめ歌います」と。〔セラ

 詩編の一つ一つに表題がついています。この66編の表題は「指揮者によって。歌。賛歌。」です。賛歌はほめたたえる歌のことですが、聖書では、その対象はもちろん神様です。他の教会でメンバーだった方は、ユアチャーチでは「賛美」という言葉があまり聞かれないことに気づかれていると思います。日本のキリスト教会の常識では、「賛美する」とは、キリスト教的な歌を歌うことです。でも私たちは、この言葉を二つの理由であまり使わないで来ました。一つは、それがキリスト教界の特殊用語、仲間内の言葉だからです。血縁はなくても兄弟姉妹、牧師を呼ぶのに牧師先生(教師先生、医師先生なんて言いません)と同じです。私たちが、教会の常識は社会の非常識という場合もあることを意識していないと教会の敷居はますます高くなってしまいます。もう一つの理由は、賛美という言葉を正しく用いたいと思っているからです。歌って賛美することもできますが、賛美する方法はそれだけではありません。あらゆる芸術的表現でも日常的な行動でも、神様をほめたたえることができます。また、教会で神様に向かって歌う内容は「賛美」だけではありません。今まで読んできた様々な詩編の内容は、賛美だけではなく、神様に対する願いや、叫び、愛が表現されていました。教会で歌うことは皆、間接的には賛美と言えるかもしれませんが、賛美以外の表現も大切にしたいので、私たちは、歌うことを「賛美する」とは言わないのです。

 しかし誤解しないでください。「主をほめたたえる」ことが大切ではないと言っているわけではありません。主をほめたたえることは礼拝(Worship)の頂点です。詩人たちはどんな境遇にあっても、主をほめたたえました。苦しい悲鳴のような詩の中にも賛美の節が含まれていたことを私たちは見てきました。私たちを用いてなされる神様の働きが完成するとき、全地は神に向かって喜びの叫びを上げる(1)でしょう。

 まだ神様の喜ばれる世界は完成していません。苦しみ、悩み、矛盾、不正義が至る所で見られます。しかし詩人は「主を信じる人は<今>主をほめたたえなさい」と勧めます。なぜでしょう?それは教会が、やがて完成する神の国の<アンテナショップ>だからです。私たちは今朝も主に向かって歌います。賛美の歌の時、そう思えるなら遠慮はいりません。思いきり喜びの叫びを上げましょう。そんな気分でないなら、周りに合わせる必要はありません。心にもなくほめたたえて歌わなくても、手を叩かなくてもいいのです。「あなたを素直にほめたたえられるように、私の状況を変えてください」と訴えながら聞いていても、神様は喜んであなたに必要なことをしてくださいます。


B. “私たち”の賛美 (5-12)

 この詩の特徴の一つは、「私たち」(5-12)「私」(13-20)と一人称の複数と単数が使い分けられていることです。5-12節では、神様が「私たち」にしてくださったことを歌っています。ここから、私たちがどのような方をほめたたえているのかということを知りたいと思います。

1) 私たちを使って偉大なことをされる方に (5-9)

5 来て、神の業を見よ 人の子になされた恐るべき業を。
6 神は海を乾いた地に変えた。人は大河を歩いて渡り そこで、私たちは神を喜び祝った。
7 神は力によってとこしえに支配し その目は諸国民を見渡される。背く者は自ら驕ってはならない。〔セラ
8 もろもろの民よ、我らの神をたたえ 賛美の歌声を響かせよ。
9 神は私たちに命をお与えになる。私たちの足をよろめかすことはない。

 この世界に生きる者は皆、この世界を創られた方の偉大さを知るべきです。神様はかつてイスラエルの民を用いてその偉大さを現されました。その民の中にイエスとしてこられ、イスラエル民族にとどまらず、世界の全てに力をあらわされます。その力の表し方はとてもユニークです。それは、ご自身は見えないかのように、信じて従う者と共にいて働かれるということです。旧約聖書の時代にはイスラエルの預言者たちを通してご自身を表され、今、イエスを信じて歩む者を通して働かれます。神様がご自身を人の目に見える形で表されたのは、旧約時代と(現在に至る)新約時代を結ぶイエスの生涯の33年間だけだったということです。今、私たちがイエスの体、教会としてイエスの意思を行う者とされています。ちっとも偉大ではない私たちを使って、イエスはこの世界を変えてくださいます。だから私たちは、主をほめたたえるのです。

2) 私たちを試練によって鍛錬される方に (10-12)

10 神よ、あなたは私たちを試み 火で銀を練るように私たちを練った。
11 あなたは私たちを網に追い込み 腰に重荷を付け
12 人が私たちの頭の上を乗り越えることを お許しになった。
私たちは火の中、水の中を通ったが あなたは私たちを広々とした地に導き出された。

 神様に愛されているということは、厄介な一面もあります。イスラエルの歴史を見るときそれは明らかです。いま「私たち」とは何を意味しているのでしょうか?それは教会と呼ばれる共同体です。かつてのイスラエルがそうであったように、地上に存在する教会は、決して理想の共同体ではありません。時に判断を誤り、神ではなく時の権力に従い、狭い原理主義に陥りやすい存在です。しかし、その度に神様は知恵を与え、改革者を起こし、教会を不要の物とはなさいませんでした。神様は意地悪で試練を与える方ではありません。私たちが神様の偉大な業を担うことができるように、私たちの神様への信頼を確かなものとするように鍛錬してくださいます。だから私たちは、主をほめたたえるのです。


C. “私”の賛美 (13-20)

1) 献げ物としての賛美を献げる私 (13-15)

13 私は焼き尽くすいけにえを携えて神殿に入り あなたへの誓いを果たします。
14 私が苦難の中で唇を開き この口をもって約束したことです。
15 肥えた獣を焼き尽くすいけにえとし 香りと共に雄羊を、雄山羊と共に雄牛を献げます。〔セラ

 この13節から主語が「私」に変わります。教会である私たちが、一人の人としても神様と向き合っていることを理解してください。私たちは、私たちですが、決して個として神様に向かい合っていないわけではありません。教会は共同体的としての信仰と個人的信仰のバランスの上に成り立っています。先にもお話ししたように、共同体としての教会は完全なものではありません。むしろ欠けだらけ、問題だらけと言ってもいいものです。自分自身もそうだし、他の人のこととなると私たちはもっと厳しい目で見てしまいます。でも、求められていることは、人がどうでも関係なく、それでも自分は主をほめたたえるということなのです。神様はそれをあなたの献げ物として喜ばれるのです。今、私たちには文字通りのいけにえが求められていません。イエスキリストが完全ないけにえとしてご自身を献げられたからです。そこで私たちは、一人一人が赦されたことを感謝してイエスに賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえる唇の実(ヘブル13:15)をささげます。一人一人の声は小さくても、神様は私たちを全体としてみているだけではありません。イエスは、神の家族全体を導くと同時に、一人一人の声を聞き分けてくださる方です。今日も喜んで賛美のいけにえを献げてください。

2) 賛美を人々に勧める私 (16-20)

16 神を畏れる人はすべてここに来て、聞け。神が私に成し遂げてくださったことを語ろう。
17 私の口は神に呼びかけ 舌をもって崇めます。
18 私が心に悪事を見ているなら わが主はお聞きにならないでしょう。
19 しかし、まことに神は聞き入れ 私の祈る声に心を向けてくださいました。
20 神をたたえよ。神は私の祈りを退けず 慈しみを拒まれませんでした。


 私たちがイエスを誰かに紹介する時、イエスがどのような方であるかを伝えるわけですが、その中には、「ほめたたえるべき方」ということが含まれていることを、今日は心に留めてください。主は罪に支配された古い私を、新しく生まれ変わらせてくださった神様です。その喜びに、たたえずにはいられない神様です。しかし私たちは時々その喜びを感じられなくなってしまいます。その時に、誰かの「神をたたえよ!」という声を聞いて、私たちは目を覚ますのです。だから「主をほめたたえたい」という気持ちを隠さないでください。たとえみんながうなだれていても「主をほめたたえたい」と感じるなら、立ち上がっても、手を叩いても、ジャンプしてもいいですから、素直に主をほめたたえましょう!それは、うなだれている人の邪魔になるものではありません。むしろ、ある人はあなたの賛美の献げ物によって力を得て、主に対する新しい信頼、喜びが心の中からあふれ出してくるかもしれません。私たちは皆、礼拝の中で一つの民であるとともに一人一人の魂としてあるのです。これから、主に向かって歌う時です。今日も正直な気持ちで主の前に出てゆきましょう。


メッセージのポイント

「賛美と礼拝」という表現を聞きますが、神様をほめたたえることは私たちの献げる礼拝の一部です。それはただ元気に神様に向かって歌うことではありません。神様がして下さったことを心から喜んでほめたたえることです。

話し合いのために

1) 賛美とは何ですか? 
2) 神様はあなたにどのような試練を与えられましたか?

子供たちのために

詩人は、神様をほめたたえることを勧めていますが、子供たちには、なぜイスラエル民族は神様を賛美したのか、出エジプトの話を用いて説明してあげてください。困った時に、呼び求め、助けていただいたことを感謝して、ほめたたえて歌うことを勧めてください。