私は・・・します!

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私は・・・します!

(詩編 71) 永原アンディ

1 主よ、あなたのもとに逃れます。私がとこしえに恥を受けることのないようにしてください。
2 あなたの正義によって私を助け 救い出してください。私に耳を傾け、お救いください。
3 砦の大岩となり 絶えず入ることができるようにしてください。あなたは私を救うよう命じてくださいました。あなたこそわが岩、わが城。

4 わが神よ 悪しき者の手から 不正を働く者と抑圧する者の手から 私を救い出してください。
5 わが主よ、あなたこそわが希望。主よ、私は若いときからあなたに信頼し
6 母の胎にいるときから あなたに支えられてきました。あなたが母の胎から 私を取り上げてくださいました。私は絶えずあなたを賛美します
7 私は多くの人にとって驚きとなりました。あなたこそ、わが力なる逃れ場。
8 私の口はあなたへの賛美に満ち 日夜あなたの誉れをたたえます
9 年老いた時、私を見捨てず 私が力衰えても、捨て去らないでください。

10 敵が私についてたくらみ 私の魂を見張る者が共に謀り
11 「神が彼を捨て去った。追い詰めて捕えよう。彼を助け出す者はもういない」と言っています。
12 神よ、私から遠く離れないでください。わが神よ、私を助けるために急いでください。
13 私の魂に敵対する者が 恥を受け、滅ぼされますように。私の災いを望む者が 嘲りと辱めに包まれますように。

14 私は絶えず待ち望み 繰り返し、あなたを賛美します
15 日夜、私の口はあなたの正義を あなたの救いを語り継ぎます。しかし決して語り尽くすことができません。

16 わが主よ、私はあなたの力によって進みます。主よ、ひたすらあなたの正義だけをほめたたえます
17 神よ、若いときからあなたが教えてくださったので、今に至るまで私は奇しき業を語って来ました。18 神よ、私が老いて白髪になっても どうか捨て去らないでください。あなたの腕の業を、力強い業を 来るべきあらゆる代に語り伝えるその時まで。
19 神よ、あなたの正義は高い天にまで至ります。あなたは大いなる業を行われました。神よ、誰があなたに並びえましょう。
20 あなたは多くの苦しみと災いを私に思い知らせましたが 再び命を与えてくださいます。地の深い淵から再び引き上げてくださいます。
21 私を大いなるものとし 慰めを与えてくださいます。

22 わが神よ 私もまた竪琴に合わせて あなたのまことに感謝を献げます。イスラエルの聖なる方よ 琴に合わせてあなたをほめ歌います
23 私の唇は喜び歌い あなたに贖われた私の魂はあなたをほめ歌います
24 私の舌も日夜あなたの正義を唱えます。私の災いを望む者が恥を受け、辱められた、と。

 この詩の詩人の置かれている状況は前後の詩と同様に困難なものであることには変わりありません。しかしこの詩には、他の詩に見られない明るさがあります。その理由は、「私はこうします」という詩人の積極的な意志が見られるからです。神様は、私たちが何かをする、しないによって賞や罰を与える方ではありません。しかし、それは行動には意味がないということではありません。信仰はその人の心に意志を芽生えさせ行動を起こさせます。ヤコブは、信仰があれば行動は必要ないという人に対して、

「あなたには信仰があり、わたしには行いがある」と言う人がいるかもしれません。行いの伴わないあなたの信仰を見せなさい。そうすれば、わたしは行いによって、自分の信仰を見せましょう。

と言っています。健康な信仰は行動を伴うのです。主に従う人なら誰もがイエスを誰かに紹介したいと思っているでしょう。でも、それは口で説明しただけでは伝わりません。あなたの信仰は、行動として現れることによって他の人にわかるからです。
 そこで今日は、この詩編の中で何度も出てくる「私は・・・します」という言葉を手がかりに、信仰のTo Do List を考えてみましょう。週報のテキストにはそれらの箇所に下線が引いてあります。

 


1. 主のもとに逃げ込む (1)

主よ、あなたのもとに逃れます。私がとこしえに恥を受けることのないようにしてください。

 この新しい日本語訳が、原文のニュアンスをより正確に伝えているかどうかは議論があるでしょうが、主のそばに身を寄せることが、一人一人の意思によるものであること、いつの間にか離れてしまっていることがあることを気付かせてくれる良い訳になったと私は思います。イエスを主・神と信じ、従って歩んでいても、危機はやって来ます。いつの間にかイエスの思いから離れて歩んでいるということも起こります。しかしそのような時、私たちにはできることがあるのです。それが主のもとに逃げ込むということです。ところで、主のもとに逃げ込む方法を知っていますか? それは礼拝の中に身を置くことです。それは、日曜日を待たなくてもできることです。他の人々から離れ、できれば静かな場所で、少しの時間、他のことを考えず、イエスと二人きりの時間を持つのです。そして思いを伝えます(祈りです)。イエスは、最高のカウンセラーです。どんなことでも、長くても、遮らずに聞いてくださいます。そして必要なら、あなたの心に語りかけてくださいます。それは日曜日のメッセージの後のワーシップタイムで真剣に主に向かって歌うということでもあります。何度も失敗して逃げ込む事は恥ずかしいことではありません。あなたが主のもとに逃げ込むたびに、あなたの周りの人は、あなたに逃げ込む事のできる主がいることを知るのです。

 

2. 主をほめたたえる (6,8,14,16,22-24)

 今日の詩編に最も多く出てくる、信仰の現れとしての行動が「ほめたたえる」ことです。このことも、「主のもとに逃げ込む」ことと同様に礼拝することに重なります。絶えず (6) とか、日夜 (8)、ひたすら (16) とあるように、日々の生活の中で、主ご自身と主がなさることをほめたたえるのです。賛美の歌、感謝の歌を、一人でも、数人の人とでも、アカペラでも、楽器の伴奏をつけながらでも、私たちは歌い続けます。旧約の時代から、多くの人々とともに捧げる礼拝では弦楽器、打楽器、管楽器が用いられました。当時の楽器の形も、音も、リズムやメロディーも想像するしかありませんが、賑やかな楽器の音と大きな歌声が神殿を満たしたことでしょう。用いる楽器やメロディーやリズムは違っても、私たちがすることは、詩人と全く同じです。それは、どんなラブソングよりも熱く、どんな行進曲よりも勇ましく、自分の魂だけではなく人々の魂を揺さぶるのです。

 


3. 主の正義と救いを語り継ぐ (15)

 15節を読みます。

イエスは弟子たちを呼び寄せて言われた。「群衆がかわいそうだ。…

 イエスを知って新しい生き方を見つけた私たちは、世界に対するイエスの視点を持つようになりました。先週のメッセージを思い出してください。イエスは飢え渇いた四千人の異邦人を見て深く憐れんだのです。教会は約2000年間、このイエスの憐れみを共有し、主の正義と救いを語り継いできました。そしてそれが私たちに届き、私たち・ユアチャーチがここに存在するのです。私たちには前の世代から語り継げられた、主の正義と救いを次の世代に語り継ぐ責任が与えられています。それが、ユアチャーチがここに存在する理由の一つです。読んだ通りに、いくら主について語っても語り尽くすことはできません。一通りの説明をして受け入れてもらえなくても諦める必要はありません。イエスを紹介する方法は無限です。その相手にふさわしい伝え方もあるはずです。そしてその方法は、言葉にに限定されるものでもないのです。実はあなたの人生そのものが、主の正義と救いを雄弁に語っているのです。16節を読んでみましょう。

 

4. 主の力によって前進する (16)

わが主よ、私はあなたの力によって進みます。主よ、ひたすらあなたの正義だけをほめたたえます。

 主に救われたあなたには、その人生を歩み通す力が生涯にわたって与えられます。人生のどんな局面においても、主は必要な力を与えてくださるのです。そのことを信じる人は、自分にそんな力がないことを知っていても、次の一歩を踏み出し続けます。ところで、あなたの人生の歩みには、どのような意味があるのでしょうか? 自分の生涯の意味や価値について考えたことがありますか?神様は、あなたの人生にあなたの思っている以上に大きな意味を与えておられます。自分の人生の価値を安く見積もってはいけません。預言者イザヤを通して与えられた神様の言葉「あなたは高価で尊い」(43:4) は信じて従う者すべてに向けられた言葉です。教会は伝統的に「人は神の栄光を表すために生きる」ということを教えてきました。それは、「ご自身の似姿として、ご自身に代わって世界を治める存在として創造された人間として、神様の正義と救いを実現する」ということです。あなたが自分の力ではなく、主の力によって前進するとき、神様の正義と救いがそこに表されるのです。

 


メッセージのポイント

行動することが信仰ではありませんが、信仰は行動を生みます。私たちの信仰は、主の元に逃げ込む、主をほめたたえる、主の力で前進するという行動として現されます。行動となった信仰は、自分の生きる力となるばかりか、周りの人々にもそれをもたらします。

話し合いのために

1) 信仰はどのような行動として現れますか? 
2) 今あなたがするべき信仰の行動は何ですか?

子供たちのために

 神様を信じる人ができることを考えます。困った時に、苦しい時に、悲しい時に、神様のところに逃げ込むことを具体的に知ってもらいましょう。それは、実際には、同じ神様を神様を信じている親や、教会の人々に助けを求めることです。それらの人々に話を聞いてもらったり、祈ってもらったりすることを勧めてください。毎日楽しく元気に過ごすことのできる秘訣は、祈ったり、神様に向かって歌ったりすることですが、自分でも、家族とでも、教会のお友達とも一緒にできることです。