神よ、沈黙しないでください

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神よ、沈黙しないでください

 詩編 83

永原アンディ

 

A. 神様は沈黙しているのか?

 

1) 神様が沈黙しているように感じられる時 (2)

 

神よ、沈黙しないでください。
神よ、押し黙らないでください。
静まり返らないでください。

 

イスラエルの民は感じていました。「神様、怠けていないで行動してください」
神様に向かってひどい言葉ですが「沈黙していないでください」と現代語に訳されているこの言葉は、直訳すればそのような意味の言葉なのです。

 皆さんも、このような気持ちになったことがないでしょうか?「神様、何で私のために働いてくれないのですか?怠けてないで私を助けて」

 次の部分を読んでいくと分かりますが、この時、イスラエルは敵対する国に取り囲まれていました。 圧倒的に不利な状態に置かれていたのです。 

 彼らがこのように叫んだのにはもう一つの理由があります、それは民族の歴史の中で、神様が彼らの絶体絶命の危機を何度も救ってくださったという、民族としての記憶があったからです。

彼らの神様に助けられてきたという記憶は確かに神様が彼らを憐んで救ったこと事実に基づくものです。しかしその記憶は彼らに誤解を持たせました。3(2)節を読みます

 

2) 耳を閉ざす私たち (3−9, 創世記10:14,15, 16:11, 19:37, 25:29-34 エレミヤ5:21, 使徒7:57)

 

御覧ください。
あなたの敵が騒ぎ立ち
あなたを憎む者は頭をもたげました。

 

 民は神様に「あなたの敵が、あなたの民に襲いかかっています」と神様に訴えています。 確かにイスラエルは神様がご自身を、他の民族に先っだって特別な形でご自身を表されたという意味で「神の民」ということはできます。しかし彼らが全く疑いもなく、神の民である私たち以外は神様の敵だというのは、明らかに彼らの誤解です。 今日は読みませんがこの後、神の敵と表現された人々の名前が出てきます。主な敵は、 アブラハムの甥、ロトの子孫とされるモアブ人、アンモンで、それに協力する三つのグループが挙げられています1)ノアの3人の息子セム、ハム、ヤファトの中のハムの子孫と考えられるペリシテ、アモリ人(地名:ビブロス=ゲバル)2)ヤコブの兄エサウの子孫とされるエドム人、アマレク(人)3)アブラハムの最初の子の子孫と考えられるイシュマエル人、ハガル人(もう少し詳しく確かめたい人は、創世記の参照箇所を読んでください) 言ってみれば “遠い親戚” です。その領土争いの中で自分は神様の側に立っている、私の敵は神様の敵という思い違いをしているのですが、それはあらゆる宗教の持つ傾向なのです。 このことはBの部分でお話しすることにして、 この危機に際して神様が本当に沈黙していたのかを考えてみましょう。 彼らはそう感じていましたが、実際は聞こうとせず、耳をふさいでいたのです。エレミヤは彼らに向かってこう預言しています。「これを聞け、愚かで思慮のない民よ。彼らには目があるのに、見ず 耳があるのに聞くことがない」 (エレミヤ5:21)、その状態は、神様がイエスとして現れても変わることはありませんでした。むしろイエスを十字架につけ、イエスに従う者にも同じようにしました。使徒言行録にはこのように記録されています。ステファノが最初の殉教者となる部分です。「人々は大声で叫びながら耳を覆い、ステファノ目がけて一斉に襲いかかり」(使徒7:57)ました。 ユダヤ人だけではありません。神様の語りかけに耳をふさいで、自分の思いを遂げようとする性質は誰もが持っている「罪の性質」なのです。特にそれが集団的に起きるとブレーキが効かなくなります。それが宗教原理主義が暴走する原因です。宗教原理主義と聞くとイスラム教を連想するかもしれません。しかし、元々はトランプ氏の岩盤支持層となっているキリスト教原理主義を指す言葉です。つまり世界は「自分は正しい、神様は自分の側にいる(あるいは真理は自分にある)」と思い込んでいる勢力同士の激突によって多くなダメージを被っているということです。

 


B. 敵とは誰か?

 

1) 二元論的思考を超えて(10-18, 民数記31、士師記4、5)

 

 次に続く部分も、詩人は熱心に、神様に訴えかけています。かつて自分たちを苦しめたものに対して、ああもしてくださいました、こうもしてくださいましたよね?(民数記31、士師記4、5)今、休んでないであいつらをボコボコにしてやってください!という内容です。 

 宗教は国家や民族と結びついて、仲間になって“救われる”か敵のままで”滅びる”というアプローチを続けてきました。 この世界を荒廃させる悪循環のアプローチをやめさせるために神様はイエスという一人の人として来られました。どういうことでしょう?

 私たちは、二元論的(あるいは二者択一的)思考で物事を考えてしまいがちです。神様の事に関しても例外ではありません。敵と味方、善と悪、正義と不義、神の国と世界、義人と罪人、信者と異教徒・・・それは単純でわかりやすいのですが、現実はそんなに単純ではありません。

イエスによれば、神の国はイエスを信じる者の中にすでに存在していると同時に、いまだ発展途上のもの、まだ到達できていない目的地です。 神様は「全ての」人をご自身に似た姿に作られ、世界の管理を委ねられました。 それをキリスト教、キリスト教国の特権だというのは傲慢です。

 世界の中に、国の中に、イエスを信じる個人の中にさえ、善と悪、正義と不義、良心と罪の性質は同居しています。 神様は辛抱強くそれを断罪なさいません。

 難しいことではないのです。イエスを信じる者こそ、自分は真理を持っていると言い張るのではなく、自分の中に完全な正義はなく、赦されてはいても罪の性質は残っており、神様について、聖書についての知識も不完全であることを知って人を裁かないことです。

 

2) イエス-あらゆる和解の中心(19, コロサイ1:19,20)

 イエスが律法主義を厳しく非難したのは、それが人を二者択一で切り捨てる思考だったからでもあります。二者択一思考で他を裁く者はイエスに従う者ではありません。では、イエスに従う者とは、どのように生きる者を指すのでしょうか?19節を読みます。 

こうして彼らは知るようになります あなたの名は主 あなただけが 全地の上におられるいと高き方であることを。

 詩人は、彼らの敵に対して上から目線でこう言いますが、本質はお話ししてきたように、どの民族、国、宗教も同じです。つまり、自分の存在の危機に直面しなければ、主を知ろうともしないし、求めようともしないのです。 誰もが、イスラエルの敵ではなく、すべての人が神様の敵だったのです。イエスは私に従いなさいとおっしゃいました。私の名前がついている宗教に入りなさいとおっしゃったのではありません。 イエスは、こっちに来いと言わず、ご自分から近づいていかれました。それも当時の宗教指導者たちが近づくべきではないと言われていた人々のところへです。

神は、御心のままに、満ちあふれるものを余すところなく御子の内に宿らせ、その十字架の血によって平和を打ち立て、地にあるものであれ、天にあるものであれ、万物をただ御子によって、御自分と和解させられました。(コロサイ1:19,20)

 イエスは組織を作ることには興味はありませんでした。 イエスがしたのは友達になることです。人から嫌われている人、病気で苦しんでいる人、悲しんでいる人を見返りを求めず、寄り添い、慰め、励まし、癒されました。 それがイエスの歩んだ道です。そしてイエスの弟子とは、イエスと同じように歩む人です。あなたがその道を歩めば、あなたが接する人は、イエスに出会うことになるのです。あなた自身が 、キリストの体 “教会” なのですから。 

 


(祈り) 神様、あなたが決して私たちを忘れて休んでいる方ではないことを感謝します。私たちを素直にあなたの言葉に耳を傾ける者としてください。ときに、自分の思いで人をあなたの敵と見立ててしまう私たちを赦してください。自分の欲望とあなたの計画を取り違えて、あなたを悲しませることの多い者です。それでも、あなたに従って、あなたと共に歩みたいと願います。どうぞ私たちを導いてください。私達のものの見方が、少しでもあなたの広い視野に近づきますように、どうぞ日々語りかけ教えてください。感謝して、期待して、主イエス・キリストの名によって祈ります。

 


メッセージのポイント

私たちは、二元論的(あるいは二者択一的)思考で物事を考えてしまいがちです。神様の事に関しても例外ではありません。敵と味方、善と悪、正義と不義、神の国と世界、義人と罪人、信者と異教徒・・・それは単純でわかりやすいのですが、現実はそんなに単純ではありません。イエスが律法主義を厳しく非難したのは、それが人を二者択一で切り捨てる思考だったからでもあります。二者択一思考で他を裁く者はイエスに従う者ではありません。

 

話し合いのために
  1. 神の敵とは何ですか?
  2. 二元論的思考のどこに問題がありますか?

 

子供たちのために

敵とは何かについて話し合ってみましょう。スポーツをする時、ゲームをする時、敵味方に分かれますが、それは普段は仲の良い兄弟や友達です。 民族、人種はどうでしょう。人間は差別をしたり、暴力で人の命を脅かしますが、神様はそれを望んでおられるのでしょうか?いいえ、神様はすべての人をお作りになったのですから、本当は、そのような敵はいないはずなのです。それなのに大人たちは敵を作って攻撃します。どうしたら、世界中のすべての人が仲良くなれるでしょうか?