闇に輝く光

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闇に輝く光

イザヤ 8:23-9:6

池田真理

 クリスマスの季節に入りましたが、今年はいつもとはずいぶん違うクリスマスになってしまいました。コロナという闇の中で迎えるクリスマスを、私たちはどのように迎えればいいのか、アドベント第1週目の今日は、旧約聖書イザヤ書9章から考えていきたいと思います。最初に全体を読みます。

8:23 
しかし、抑圧された地から闇は消える。
先に、ゼブルンの地とナフタリの地は辱められたが
後には、海沿いの道、ヨルダン川の向こう
異邦人のガリラヤに栄光が与えられる。

9:1 
闇の中を歩んでいた民は大いなる光を見た。
死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が輝いた。

2
あなたはその国民を増やし
その喜びを大きくされた。
彼らはあなたの前に喜んだ。
収穫を喜ぶように
戦利品を分けて喜び踊るように。

3
彼らの負う軛、その肩の杖、虐げる者の鞭を
あなたがミデヤンの日のように
打ち砕いてくださった。

4
地を踏み鳴らした兵士の靴と血にまみれた服は
すべて焼かれ、火の餌食となった。

5
一人のみどりごが私たちのために生まれた。
一人の男の子が私たちに与えられた。
主権がその肩にあり、その名は
「驚くべき指導者、力ある神
永遠の父、平和の君」と呼ばれる。

6
その主権は増し、平和には終わりがない。
ダビデの王座とその王国は
公正と正義によって立てられ、支えられる
今より、とこしえに。
万軍の主の熱情がこれを成し遂げる。

A. イザヤは闇の中で光を確信していた

1. アッシリアという具体的な敵

 このイザヤの預言は、紀元前8世紀頃にイスラエルの人々が置かれていた、具体的な危機的状況で語られました。その頃、イスラエルの王国は南北二つに分裂し、更にアッシリアという強国に攻撃を受け、北王国はすでに滅亡寸前でした。8:23(英語では9:1)に出てくる「ゼブルンの地、ナフタリの地、ガリラヤ」などの具体的な地名は、すべて既にアッシリアに占領された北王国の土地です。また、4節(英語では5節)に出てくる「兵士の靴」は、ヘブライ語ではなくアッシリア語がそのまま使われていて、アッシリア軍の脅威を直接指しています。多くの人が死に、捕虜にされ、イスラエルの人々にとって暗黒の時代でした。

2. 未来の希望をすでに実現したこととして語る

 でも、イザヤはここで希望を語っています。暗黒の時代は必ず終わり、敵は去って、平和が訪れると預言しています。5節(英語では6節)には、「一人のみどりごが私たちのために生まれた。一人の男の子が私たちに与えられた」とありますが、これは新しい王の誕生を指しています。新しい王が即位し、暗黒の時代は終わると、イザヤは預言したということです。現実には、北からはアッシリアの脅威が迫り、南にもエジプトという強国があり、イスラエルにとっては厳しい状況が続きました。それでも、イザヤは未来の希望を確信していました。そして、やがてくる戦争の終わりと平和の訪れを、もうすでに実現したかのように、過去形で語っています。闇の中に光はすでに輝き、争いは終わり、人々は解放され、喜んだ、と過去形で語ります。イザヤは、目の前の状況が暗くても、未来の希望を確信しているのなら、その希望はもう実現したのと同じことなのだと、私たちに教えてくれます。

3. 神様ご自身が王となられると預言する

 そして、イザヤの預言は、おそらく彼自身が思っていた以上に、時代を超えた普遍的な希望の預言になりました。おそらく、イザヤは自分と同時代の特定の王が平和をもたらす王となってくれることを期待して、この預言を語りました。でも、5-6節(英語では6-7節)を読むと、その王はただの人間の王ではないことが分かります。5節(英語では6節)の後半には、「その名は『驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君』と呼ばれる」とあります。これは、明らかに神様ご自身のことを指しています。

また、6節(英語では7節)ではさらに、その王の国は永遠に続くとされています。神様ご自身が王として即位し、神様の国が永遠に続くと、イザヤは預言したということです。神様ご自身がこの世界に来られて、王となられるということは、イエス様が来られるまでは誰も想像もしたことがありませんでした。まして、イザヤはイエス様よりも700年も前の時代に生きていた人です。イザヤが自分の預言の内容を、どれほど本当に理解していたかは分かりません。でも、一人の人間の王を神様と同等に扱うことは神様への冒涜にあたり、イザヤがそう意図したわけではないことは確かです。イザヤは、神様を信頼して人々を導く正しい王を望み、神様の霊に導かれていたので、このような預言ができたのだとしか言えません。イザヤの預言は、イエス様がこの世界に来られた時に実現しました。イザヤはその時を自分で見ることはありませんでしたが、暗い時代の中で神様を求め続け、希望を持ち続けました。 

私たちは、イザヤとは違い、イエス様を知っています。だから、私たちはイザヤ以上に、闇の中でも光を確信できるはずです。

B. 私たちはイザヤ以上に、闇の中でも光を確信できるはず

1. 私たちの具体的な敵とは?

 イザヤの時代のイスラエルの人々にはアッシリアという具体的な敵がいたように、私たちには今、コロナウィルスという世界共通の敵がいると言えます。でも、これはコロナが始まった最初の頃から言われていることですが、本当の敵はウィルスではなく、私たちの心の中にいます。それは、目の前の目に見える状況によって、不安と恐れに支配されてしまう、私たちの弱い心そのものです。イザヤが暗い時代においても希望はすでに達成されたと語ったのは、人々が何に信頼をおくべきかを思い出させるためでした。私たちが信頼すべきなのは、神様は良い方であるという事実です。どんな状況に置かれても、神様が良い方である事実は変わりません。そのことを疑わせる私たちの心の弱さこそが、私たちの本当の敵です。

 これはコロナという世界共通の苦しみだけでなく、一人ひとりが抱える苦しみの中でも言えることです。私たちを苦しめる病気や特定の誰かが私たちの敵であるわけではありません。その苦しみの中で私たちを不安と恐れで支配し、希望はないと思わせる私たちの心の闇こそが、本当の敵です。

2. 私たちはすでに実現した希望を語る

 私たちは、イザヤがはるか遠くに見ながら確信していた希望が、すでに実現した時代に生きています。どんな状況に置かれても、神様は良い方であると確信できる証拠を与えられているとも言えます。「一人のみどりごが私たちのために生まれた。一人の男の子が私たちに与えられた。」このイザヤの言葉は、二千年前のクリスマスに、天使によってこう言い直されました。

今日ダビデの町に、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、産着にくるまって飼い葉桶に寝ている乳飲み子を見つける。これがあなたがたへのしるしである。(ルカ2:11-12)

今から二千年前、神様は一人の人となられて、この世界に来られました。イエス様の誕生は、この世界を造られた神様が、私たちを愛し、この世界を愛しておられることのしるしです。そして、その愛は、ご自分の命を犠牲にするほどに深い愛でした。私たちは、このイエス様の愛を受け取ることによって、どんな時でも希望を失いません。「なぜこんなことが起こるのか」と、答えの出ない暗闇に置かれたとしても、イエス様はそこで私たちと共に苦しみ、導いてくださることを確信できます。イエス様のように、いつも私たちと共におられ、私たちを見放さずに愛してくれる人は、他にいません。イエス様は、私たちがこの世界に生きている間だけでなく、死んだ後も、共にいたいと願われています。だから、私たちの希望は、この世界の状況にも、体の死さえにも、揺るぐことはありません。

3. 神様の国は私たちの内から始まっている

 それでは、どうしたら私たちは、イザヤのように力強く、自分の心の闇に支配されずに、イエス様の希望を人々に伝えることができるのでしょうか?それは、イザヤがこの預言全体で語っていることに答えがあります。神様に、私たちの王様になってもらうことです。私たちの心の中心にイエス様を招き入れ、イエス様という王様に仕える僕になることです。僕になると言うと抑圧的な響きがありますが、イエス様は人間には考えられないほど良い王様です。王様なのに僕の身分になり、僕の代わりに死ぬことさえ厭わなかった王様です。イエス様の僕になるということは、イエス様が生きたように、自分を犠牲にしても人を愛して生きる生き方をすることです。不完全な私たちには、自分の心の闇を完全に消し去ることは一生できません。それでも、神様を誰よりも愛し、イエス様の生きたように人を愛して生きる時、私たちは自分の内にも、他の人にも、希望を広げることになります。
 最後に、イザヤの最後の言葉に注目したいと思います。

万軍の主の熱情がこれを成し遂げる。

神様は、私たちを愛する熱情のために、自ら人となられてこの世界に来られました。その主の熱情が、私たちの心を変え、私たちを動かします。どうぞ、このクリスマスに、心の中心にイエス様を招いて、イエス様の熱愛を受け取ってください。そして、私たち自身が暗い世界に希望をもたらす光となりましょう。

(祈り) 神様は、私たちを愛する熱情のために、自ら人となられてこの世界に来られました。その主の熱情が、私たちの心を変え、私たちを動かします。どうぞ、このクリスマスに、心の中心にイエス様を招いて、イエス様の熱愛を受け取ってください。そして、私たち自身が暗い世界に希望をもたらす光となりましょう。


メッセージのポイント

コロナという闇の中で迎えるクリスマスですが、イエス様はどんな闇の中でも輝く希望を私たちに与えてくださいました。神様が人としてこの世界に来られ、私たちのために死なれたのは、私たちの心とこの世界を愛で支配するためです。私たちの心の闇をイエス様の愛の光で照らしていただき、私たちの周りからこの世界に、イエス様の愛が広がることを求め続けましょう。

話し合いのために
  1. 私たちの(あなたの)敵とは?
  2. イエス様はどのように私たちの(この世界の)闇を照らしてくださるのでしょうか?
子供たちのために(保護者のために)

コロナの影響で、思い通りにできないこと、あきらめなければいけないことが、大人にも子供たちにもたくさんあります。教会でも、今年はクリスマスをみんなで集まってお祝いすることはできません。でも、クリスマスの喜びは、コロナにも何にも奪われません。どんな状況でも、神様が私たちを愛しておられ、いつも共におられる事実は何も変わりません。今年のクリスマスは、それぞれの家庭で、もう一度心にイエス様をお迎えする準備をしてください。クリスマスの話を直接するよりも、それぞれの辛かったことや悲しかったことを話して、イエス様はその時どこにおられたのか、一緒に話してみてください。