星の数ほどの祝福の約束

Evgeni Tcherkasski による Pixabay

❖ 見る

礼拝・英語通訳付

❖ 聴く(礼拝・日本語/英語訳)


❖ 読む

星の数ほどの祝福の約束

ローマ4章・創世記15:1-6

池田真理

 今日はローマ4章全体を読んでいきます。内容的に途中で切るわけにはいかないので4章全体にしましたが、途中は大幅に省略して読んでいきます。では、最初の1-3節です。


A. 信仰の父アブラハム(1-3, 創世記15:1-6)

1 では、私たちがアブラハムを肉による先祖としていることについては、何と言うべきでしょう。2 もし、彼が行いによって義とされたのであれば、誇ってもよいが、神の前ではそれはできません。3 聖書は何と言っていますか。「アブラハムは神を信じた。それが彼の義と認められた」とあります。

 パウロがここでアブラハムの話を始めたのは、アブラハムはユダヤ人にとって英雄だったからです。でも同時に、パウロはここで、アブラハムはユダヤ人にとってだけでなく、全ての人にとっての英雄であると説明しようとしています。アブラハムは、神様を信頼して人生を歩んだ人だったという点で、私たち全てにとっての信仰の核心を示してくれる人だからです。

 その核心は、このローマ4章で何度も繰り返されるこの言葉にあります。「アブラハムは神を信じた。それが彼の義と認められた。」この言葉が書かれている元々の旧約聖書の箇所を読んでおきたいと思います。創世記15:1-6です。

1 これらのことの後、主の言葉が幻の中でアブラムに臨んだ。「恐れるな、アブラムよ。私はあなたの盾である。あなたの受ける報いは非常に大きい。」2 アブラムは言った。「主なる神よ。私に何をくださるというのですか。私には子供がいませんのに。家の跡継ぎはダマスコのエリエゼルです。」3 アブラムは続けて言った。「あなたは私に子孫を与えてくださいませんでした。ですから家の僕が跡を継ぐのです。」4 すると、主の言葉が彼に臨んだ。「その者があなたの跡を継ぐのではなく、あなた自身から生まれる者が跡を継ぐ。」5 主はアブラムを外に連れ出して言われた。「天を見上げて、星を数えることができるなら、数えてみなさい。」そして言われた。「あなたの子孫はこのようになる。」6 アブラムは主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。

ここでアブラハムがどのように主を信じたのか、主がそれを義とされたとはどういうことなのかは、16節以降からわかります。4節から15節の内容は、これまでのローマ書の中で何度も出てきたことなので、今日は省略します。それでは16節に飛んで、16-17節を読みます。


B. 信仰によって義とされるとは

1. 義とされるとは世界の相続人になること (16-17)

16 従って、相続人となることは、信仰によるのです。こうして、恵みによって、アブラハムのすべての子孫、つまり、律法に頼る者だけでなく、彼の信仰に従う者も、確実に約束にあずかれるのです。アブラハムは、神の前で、私たちすべての者の父であって、17 「私はあなたを多くの民の父とした」と書いてあるとおりです。彼はこの神、すなわち、死者を生かし、無から有を呼び出される神を信じたのです。

 神様はアブラハムと彼の子孫に世界を受け継ぐと約束されました。パウロはそれを「世界の相続人になる」(13節)ことと表現しています。それが、神様に義とされるということです。これは、前回お話しした、神様のパートナーとしての身分を回復するということと同じです。私たちは、元々、神様の姿に似せて造られ、神様と共に世界を治めるパートナーとしてこの世界に置かれました。義とされるとは、その本来の目的と役割を取り戻すことです。そして、アブラハムと同じように、多くの人の父となり母となっていくことです。それは具体的にどういうことなのかは、続きの18-22節でパウロが説明してくれています。


2. アブラハムの信仰 (18-22)

18 彼は、望みえないのに望みを抱いて信じ、その結果、多くの国民の父となりました。「あなたの子孫はこのようになる」と言われているとおりです。19 およそ百歳となって、自分の体がすでに死んだも同然であり、サラの胎も死んでいることを知りながらも、その信仰は弱まりはしませんでした。20 彼は不信仰に陥って神の約束を疑うようなことはせず、むしろ信仰によって強められ、神を賛美しました。21 神は約束したことを実現させる力も、お持ちの方だと確信していたのです。22 だからまた、「それが彼の義と認められた」のです。

 アブラハムが多くの人の父になったというのは、単に神様が約束通りに彼に多くの子孫を与えて、子孫が繁栄したからではありません。そうではなく、血のつながりとは関係なく、彼の信仰と生き方が多くの人に受け継がれていったからです。

 アブラハムの信仰がどういうものだったか、今日の箇所が教えてくれるのは二つのことです。一つは、彼が自分の悲しみに支配されずに、神様を信頼し続けたことです。神様は長い間アブラハムに子供を与えてくださいませんでした。アブラハムは、神様に祈り求めても祈りが聞かれない悲しみを知っていた人です。神様は良い方であり、神様が聞いてくださらない願いは自分には必要のない願いだからだと分かっていても、それを受け入れるには葛藤があり、時間がかかります。アブラハムは葛藤しながら、それでも神様を信頼することをやめませんでした。

 アブラハムの信仰のもう一つの面は、人間の常識にとらわれずに、神様を信頼したことです。人間の常識で考えれば、アブラハムとサラはもう子供を望めない年齢になっており、神様の約束は到底実現不可能に思われました。でもアブラハムは、その非常識な神様の約束を信じました。彼は、人間には不可能なことでも神様には可能であることを信じ、同時に、神様は約束を守る誠実な方であると信頼していたからです。

 このように、アブラハムはどんな時でも神様を信頼し、自分の願いや考えを超えて働く神様の意志を信じました。神様のパートナーとして生きるとは、そういうことです。神様は良い方であると信頼し、自分には見えていない神様の計画を信じて、希望を見失わないで生きることです。百歳のアブラハムに予想外の展開が待っていたのですから、年齢は関係ありません。そして、その希望を次の世代に受け継いでいくことが、世界の相続人としての、また信仰の父、母としての、私たちの役割です。

 でも、アブラハムは神様から直接、祝福の約束を聞くことができましたが、私たちはどのようにして、私たちにも祝福の約束がされていると知ることができるのでしょうか?最後の23-25節を読みます。


3. 私たちの信仰 (23-25)

23 しかし、「それが彼の義と認められた」と書かれてあるのは、アブラハムのためだけではなく、24 私たちのためでもあります。私たちの主イエスを死者の中から復活させた方を信じる私たちも、義と認められるのです。25 イエスは、私たちの過ちのために死に渡され、私たちが義とされるために復活させられたからです。

 私たちは、アブラハムのように直接神様からの言葉を聞けることはあまりありませんが、イエス様の十字架を通して、神様からの語りかけを聞くことができます。イエス様は、私たちのために命を捧げられた方です。たとえ私たちの祈りが聞かれず、状況が何も変わらなかったとしても、イエス様が私たちのために死なれた事実はもう取り消されることはありません。だから、私たちもイエス様を通して、まだ実現していない祝福の約束と、私たちには全てを見ることのできない神様の良い計画を、信じることができます。

 最後にもう一度、創世記の15:5-6を読みます。

5 主はアブラムを外に連れ出して言われた。「天を見上げて、星を数えることができるなら、数えてみなさい。」そして言われた。「あなたの子孫はこのようになる。」6 アブラムは主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。

神様は、私たちにも、星の数のように数えきれないほどの多くの祝福を約束してくださっています。私たちがそれを信じようと信じまいと、神様が良い方であり、私たちを愛しておられることに変わりはありません。でも、神様は私たちがしっかり約束を受け取って、どんな時も希望を信じて生きることを望んでおられます。そして、そのように神様を信頼して生きることのできる平和と喜びを、次の世代に受け継いでいくことが、世界の相続人として、また神様のパートナーとして、私たちに与えられている役割です。


(お祈り)神様、あなたがこれまでにも多くの恵みをくださってきたことをありがとうございます。でも、私たちは時に、自分ではどうしようもない問題にぶつかって、自分の小ささと、生きることの難しさを感じます。どうか、それでも、あなたは私たちの必要を知っておられて、希望と喜びのうちに人生を歩むことを、最後まで希望を持ち続けることを、願われていると、信じることができるように助けてください。あなたの十字架の愛を、あなたの霊によって、私たちの心に注いでください。そして、私たちがあなたの愛とあなたのくださる希望を、次の世代に受け継いでいくことができるように、私たちを用いてください。主イエス様、あなたのお名前によってお祈りします。アーメン。


メッセージのポイント

アブラハムは、人間の常識や自分の悲しみに支配されずに、ただ神様を信頼し、祝福の約束を信じました。神様は私たちにもたくさんの祝福を約束してくださっており、私たちは生きている間にその全てを見ることはできないでしょう。主を信頼して生きることは、どんな時でも私たちを変わらずに愛しておられる方を信じて、その平和と希望を次の世代に受け継いでいくことです。

話し合いのために

1) 「世界の相続人になる」とは?
2) 目の前の状況が良くなる兆しはない時、それでも主を信頼できる根拠は何ですか?

子供たちのために(保護者のために)

ローマ書よりもぜひ創世記15章を一緒に読んで、神様とアブラハムのやりとりについて感想を話し合ってみてください。アブラハムは人間の常識や自分の悲しみに支配されずに、神様の言葉を信じました。それは、彼が神様は良い方であると信頼していたからです。私たちは、アブラハムのように直接神様からの言葉を聞くことはあまりないかもしれませんが、イエス様という「神様の言葉」を知っています。私たちのために自分の命を捧げてくださったイエス様は、私たちがどんな状況に置かれても、私たちを愛し、たくさんの祝福をくださる方です。