マリアとエリサベトの友情

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マリアとエリサベトの友情

待降節第三日曜日・ルカ 1:26-56

池田真理


 アドベント3週目に入りました。今日は、ルカによる福音書1章から、イエス様の母となったマリアと洗礼者ヨハネの母エリサベトの物語を読んでいきたいと思います。マリアとエリサベトは親戚同士でした。二人の年齢は正確には分かりませんが、少なくとも、当時の感覚で孫と祖母くらいに離れていたということが言えます。今日は、そんな二人の関係性を通して、神様は私たちに、共に神様を見上げて歩む友を与えてくださるということをお話ししたいと思います。少し長いですが、ルカ1章26-56節を読んでいきます。まず26-38節です。

A. マリアとエリサベトの物語

1. マリアの戸惑い (26-38)

26 六か月目に、天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。27 ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。そのおとめの名はマリアといった。28 天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」29 マリアはこの言葉にひどく戸惑って、これは一体何の挨拶かと考え込んだ。30 すると、天使は言った。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。31 あなたは身ごもって男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。32 その子は偉大な人になり、いと高き方の子と呼ばれる。神である主が、彼に父ダビデの王座をくださる。33 彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。」34 マリアは天使に言った。「どうして、そんなことがありえましょうか。私は男の人を知りませんのに。」35 天使は答えた。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを覆う。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。36 あなたの親類エリサベトも、老年ながら男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている。37 神にできないことは何一つない。」38 マリアは言った。「私は主の仕え女です。お言葉どおり、この身に成りますように。」そこで、天使は去って行った。

 「あなたは神様の子を産む」と突然告げられて、戸惑わない人はいないと思います。この時マリアに与えられた役割は、歴史上マリアただ一人に与えられたものですが、マリアが感じた戸惑いや不安や恐れは、私たちも必ず経験するものです。

 2千年前に実在したイエスという一人の人が実はこの世界を造られた神様で、神様は人となってこの世界に来られたのだということを初めて聞いて、戸惑わない人はいません。もしそれが本当なら、それまでそんなことを知らずに生きてきた自分の価値観が根底から揺るがされることになります。

 また、天使はマリアに「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる」と告げましたが、これは神様が全ての人に言っている言葉でもあります。私たちは皆、神様に愛されていて、神様は私たちと共にいてくださる方です。同じように、「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを覆う」という言葉も、私たちにも当てはまります。神様は私たちにも聖霊様を与え、私たちをご自分の偉大な計画の一部を担う者とされます。

 でも、このことは、私たちの心に不安と恐れを起こすものだとも思います。神様を信頼して生きるとは、時に、それまで自分では思いもしなかった人生を歩むことになったり、自分にはコントロールできない出来事に身を委ねていくことになったりします。神様が人となられ、私たちと共におられるということは、私たちが時に戸惑い、不安になり、恐れを感じるくらいに、私たちの生き方を変え、世界を変えてしまうことなのです。

 それは全て神様が起こしてくださる良い変化なのですが、神様は私たちの弱さを知っておられて、私たちが確信を持って進んでいくことができるように、しるしを与えてくださいます。そのしるしは、前回のヨセフでは夢の中の天使でしたが、今日のマリアの場合は目に見える人間でした。天使はこう告げました。「あなたの親類エリサベトも、老年ながら男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている。」続きの39-45節に進みます。

2. エリサベトがマリアを祝福する (39-45)

39 その頃、マリアは出かけて、急いで山里に向かい、ユダの町に行った。40 そして、ザカリアの家に入ってエリサベトに挨拶した。41 マリアの挨拶をエリサベトが聞いたとき、その胎内の子が踊った。エリサベトは聖霊に満たされて、42 声高らかに言った。「あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子様も祝福されています。43 私の主のお母様が、私のところに来てくださるとは、何ということでしょう。44 あなたの挨拶のお声を私が耳にしたとき、胎内の子が喜び踊りました。45 主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」

 ここでエリサベトがしたことは、マリアを祝福し、マリアの身に起こっていることは神様の働きによるものだと、マリアに確信を与えたことです。エリサベト自身、マリアに先立って子供を授かっていました。エリサベトは、自分の身に起こったことが神様の働きによるものだと知っており、同じ神様の力がマリアに働いているのだと分かりました。

 マリアは、エリサベトに祝福されて、やっと、自分の身に起こっていることを喜ぶことができました。46-56節は、マリアの歌です。

3. マリアの喜び (46-56)

46 そこで、マリアは言った。「私の魂は主をあがめ、47 私の霊は救い主である神を喜びたたえます。48 この卑しい仕え女に/目を留めてくださったからです。今から後、いつの世の人も/私を幸いな者と言うでしょう。49 力ある方が/私に大いなることをしてくださったからです。その御名は聖であり、50 その慈しみは代々限りなく/主を畏れる者に及びます。51 主は御腕をもって力を振るい/思い上がる者を追い散らし 52 権力ある者をその座から引き降ろし/低い者を高く上げ 53 飢えた人を良い物で満たし/富める者を何も持たせずに追い払い54 慈しみを忘れず/その僕イスラエルを助けてくださいました。55 私たちの先祖に語られたとおり/アブラハムとその子孫に対してとこしえに。」56 マリアは、三か月ほどエリサベトと暮らして、家に帰った。

 この歌から、マリアが「インマヌエル(神は私たちと共におられる)」を受け入れたことが分かります。神様は自分のような小さい者、身分の低い者のところに来られ、大いなることをなさろうとしていると信じました。マリアの戸惑いや不安は、エリサベトの祝福によって、確信と喜び、神様への賛美に変えられたのです。


B. 私たちは年の差を超えた友情に支えられている

 私たちは、このマリアとエリサベトの出会いから、様々なことを知ることができると思います。まず、二人が親戚同士であり、同時期に(たったの半年違いで!)それぞれイエス様とヨハネを産むことになったというのは、神様の深い配慮だと思います。この二人の女性が神様の大きな計画に戸惑いながらも共に励まして歩んでいけるように、との配慮です。

 神様は、私たちにもマリアとエリサベトのように励まし合える関係が必要だということを知っておられます。私は、この教会でたくさんのエリサベトに助けられ、励まされてきました。年齢や性別は関係ありません。私が自信をなくした時、神様のことが分からなくなってしまった時、それでも私は神様に愛されていて、神様の計画の一部を担っているのだと、思い起こさせてくれた人たちがいます。言葉で直接そう言ってくださった時も、言葉では言わなくてもそばにいてくださった時もあります。また、ただ神様を本気で信じている姿を見せてくださったことが、ご本人は無自覚のうちに、私を励ましてくださった時もたくさんあります。もし皆さんの中に、この教会にいながらそのような経験をされていない方がいたら、本当に残念で、申し訳なく思います。人間同士なのですぐには難しいかもしれませんが、よかったら苦しんでいらっしゃることを教えてくだされば嬉しいです。

 今日は自分のことを話しすぎかもしれませんが、私にとって忘れられないエリサベトを紹介させてください。私は大学4年間をカナダに留学しました。でも、その4年間は思い描いていた楽しい留学生活にはほど遠く、英語にもカナダにもなじめない自分との戦いで、2年目にはもう辛すぎて大学を中退して帰国するしかないかもと親に相談しました。本当に贅沢な、情けない悩みですが、その中で真剣に聖書を読み始めて、イエス様を信じる決心をしたので、私には必要な経験だったのだと思います。そして、イエス様はちゃんと私のことを分かっていて、エリサベトに出会わせてくれました。その人は、シスター・リタと言います。

 私の大学は元々カトリック系で、修道院とも関係が深く、大学の一角にシスターたちがボランティアで運営する学生のための憩いの場がありました。私はそこが居心地が良くてよく利用していたので、シスターたちとも知り合いになりました。シスター・リタはその中の一人で、英語の先生の仕事を引退し、当時もう70代でした。何の病気か私には分からなかったのですが、目を悪くされていました。

 ある日、何人かで話していた時、私はシスター・リタに、なぜシスターになったのか聞きました。すると、シスターは、「それは大事な話だから今度ゆっくり話すね」と言って、二人だけの時に話してくれました。シスターがシスターになる決心をした当時、結婚を約束した婚約者がいたそうです。でも、その年のクリスマスの礼拝で、自分は自分の人生を神様だけに捧げるように神様に言われていると確信したそうです。婚約者にもそのことを告げたら、その人は「リタがそうなら、私も一生結婚しない」と応えたそうですが、シスターの決心は揺るぎませんでした。結局、その婚約者の人はその後他の人と結婚して良い家族を持ったから本当に良かったと話していました。私はこの話を聞いた当時、イエス様を信じて一年か二年しか経っていませんでしたが、とても感動したのを覚えています。シスターは人から愛されていることを知っていて、その上で神様を一番に愛することを選んだのだと思いました。

 このエピソードだけでなく、シスター・リタには個人的に本当によくしてもらいました。シスターのおうち(修道院の一角)に何度もお邪魔して、畑仕事やジャム作りを一緒にしたり、認知症になったシスターたちの話を聞いてあげて、と連れて行ってくれたこともありました。私は何もシスターに返せないのに、シスターは何も私から求めないで、たくさん時間を一緒に過ごしてくれて、気にかけてくれて、励ましてくれました。留学生活で自信喪失していた私が、シスターの存在にどれだけ支えられていたか、当時よりも、後になって思い返して気が付きました。それだけでなく、シスターは、イエス様を愛して、イエス様のように人を愛するとはどういうことかを、私に教えてくれました。また、そのように生きてきた人生を見せてくれたことが、私にもそういう人生を送れるかもしれないという希望と憧れを与えてくれました。

 大学を卒業して日本に帰国してから、1回だけ、友達の結婚式に合わせてシスターたちにも会いに行きました。それがもう十年前で、その後再会することなく、シスター・リタは天国に行ってしまいました。でも、シスターから受け取ったものは一生私の中から消えないと思います。

 エリサベトは、自分からすれば孫の世代のマリアを祝福して、勇気づけました。「あなたには神様が共におられて、神様はあなたを通して偉大なことをなさる」と告げました。私も、シスターから、そしてこの教会の多くの方から、同じように励まされてきました。神様が出会わせてくださるそのような友の存在は、たとえ片方が先に天国に旅立っても、私たちを導き続けてくれます。この教会で、皆さんがそのような友に出会えることを願っています。そのために、私たちがそのような友になれるように、祈り求めていきましょう。

(お祈り)主イエス様、私たちの人生で起こること、この世界で起こることの全てを、あなたは知っておられます。私たちがその中で揺れ動き、時には倒れて動けないような時があることも、あなたは知っておられます。どうか、そんな時、私たちが互いに支え合うことができるように、私たちを必要な人と出会わせて、あなたの働きを担うことができるように、助けてください。自分が弱い時も強い時も、あなたの愛に支えられていることを、私たちが思い出せますように。互いの中にあなたが生きておられることを見て喜び、あなたを讃えることができますように。主イエス様、あなたのお名前によってお祈りします。アーメン。


メッセージのポイント

「神様は私たちと共におられる」こと(インマヌエル)、神様は私たち一人ひとりを知っておられ、それぞれの人生の中に入ってきてくださること、神様の霊が私たちのうちに宿っていること、私たちは神様の偉大な計画の一部を担わせていただいていること、これらのことを、一人で信じ続けることのできる人はいません。だから神様は、互いの存在を通してそれぞれが神様を喜び讃えることのできる友を、私たちに与えてくださいます。そのような友は、年齢や世代は関係なく、たとえ片方が先に天国に旅立ったとしても、私たちの歩みを助けてくれます。


話し合いのために

  1. あなたがマリアだとしたら、エリサベトの役割をしてくれた人はいますか?
  2. あなたは誰かに対してエリサベトの役割を持っていますか?

子供たちのために(保護者の皆さんのために)

イエス様を信じて生きていくことは、ひとりではできないことを話してみてください。誰でも、イエス様を信じたいのに信じられなくなったり、疑ったり、分からなくなったりする時があります。保護者の皆さんがそんな時に誰かに助けてもらった経験を話してみてもいいかもしれません。子供たちにとっては今は保護者の皆さんがエリサベトの役割を担っていますが、教会の他の大人たちと仲良くなれそうだったら、ぜひ仲良くしてみてほしいと思います。(今は会えないので難しいかもしれませんが…。)そして、やがてみんなも誰かにとってのエリサベトになってほしいと思います。