“ハレルヤ” サンドイッチ

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“ハレルヤ” サンドイッチ

詩編 113

永原アンディ


1 ハレルヤ。主の僕たちよ、賛美せよ。主の名を賛美せよ。
2 主の名がたたえられるように今より、とこしえに。
3 日の昇る所から日の沈む所まで主の名は賛美される。
4 主はすべての国を超えて高くいましその栄光は天を超える。
5 私たちの神、主のような方がほかにあろうか。高きところに座し
6 天にあっても地にあっても低きに下って御覧になる方。
7 弱い人を塵の中から起こし貧しい人を芥の中から高く上げ
8 高貴な人々と共に民の中の高貴な人々と共に座らせてくださる。
9 子のない女を家に住まわせ子らを授かり喜ぶ母にしてくださる。ハレルヤ。

今日取り上げる詩編113編は、ハレルヤではさんだ素晴らしい中身のサンドイッチです。 神様の恵みのサンドイッチであり、それぞれの素材は神様の性質です。

神様の性質は、私たちの心を喜ばせ豊かにするだけでなく私たちの魂に必要な栄養です。体に必要な栄養素が一つだけではなくバランスよく取る必要があるのと同様に、神様の性質について一つを無視したり、一つだけを強調することは魂の病気につながります。ですから好き嫌いせずに魂の栄養をバランスよく受け取っていただきたいのです。

A. どれも欠かせない大切な素材
1. 主の栄光 (4,5)

まず4、5節に注目します。

4 主はすべての国を超えて高くいましその栄光は天を超える。
5 私たちの神、主のような方がほかにあろうか。高きところに座し

神様が私たちの能力や考えを遥かに超えた方であること、地上のどんな権力よりも強く、優れた方であることが記されています。 神様はご自身の姿に似せて私たちを創られました。そこで、私たちは、神様のことを“私たち”の姿を想像して考えます。 例えば“私たちのように”人格があり、感情があると想像します。それは全く間違いではありませんが、「神が私たちに似ている」ということと「神が私たちをご自身に似せて創られた」ということの間には決定的な差があることを私たちは忘れがちなのです。

だから私たちは目に見える世界を見て絶望したり、神様が私たちを見捨てたのではないかと恐れます。思い通りにことが運ばず神様を恨んだり、神様はいないことにしようと考えます。 しかし、神様が私たちを実際に“創造”したのであって、偶然に発生した私たちが頭の中で神様を“想像”したのではありません。 神様は私たちのように時間と空間に縛られてはいません。その神様に信頼を置く私たちには、時間と空間を超えて必要を満たしていただけます。

2. 主の謙遜 (6)

二番目の素材は「主の謙遜」です。

6 天にあっても地にあっても低きに下って御覧になる方。

 この詩編で歌われた神様の謙遜を実際に人が見聞きできる形で表されたのが一人の人イエス・キリストとしてこの世界に来られたことでした。 高さにおいて誰もかなわない神様は、この出来事によって、低さにおいても誰もかなわない方であることを私たちは知ったのです。 私たちが尻込みして降りていけないところにまで、神様は降りてゆかれることを、私たちはイエスにおいて見たのです。 私たちには気の毒に思えても助けることができないと思うような人々のところにも来てくださるのです。例えばあの姦淫の罪で引き出された女性に寄り添われたイエスのように。

3. 主の正義 (7,8)

三つ目はここ数回の主題としてお話ししてきた主の正義です。7,8節を読みます。

7 弱い人を塵の中から起こし貧しい人を芥の中から高く上げ
8 高貴な人々と共に民の中の高貴な人々と共に座らせてくださる。

 神様の正義がどのようなものであるか、この節で明らかです。 それは次にお話しする「主の憐れみ」と強く結びついている事柄です。弱い人を起こし、貧しい人を高く引き上げる、それが神様の正義の全てだと言っても言い過ぎではないと私は思います。

 これらに比べれば、民族の正義、国の正義は、弱い者、貧しい者を苦しめ続ける悪人の言い訳に過ぎません。今、東ヨーロッパで起こっている侵略戦争でもそうですが、キリスト教は他の宗教と同様に、彼ら悪人に都合よく利用されるものであることを知っておかなければなりません。 私たちは “キリスト教” を信頼しているのではなく、主イエスを信頼しているのです。 私たちは “キリスト教の正義” ではなく、主の正義に従いたいのです。

4. 主の憐れみ (9)

主の正義の強い意志は、私たちの窮状を憐れんでやまない主の心に基づいています。9節をもう一度読みましょう。

9 子のない女を家に住まわせ子らを授かり喜ぶ母にしてくださる。ハレルヤ。

イエスに従って歩んでいる皆さんにとっては、主が皆さんを深い憐れみの思いで見ていてくださることをよくご存知でしょう。 イエスを信じている、ということは私たちが主の憐れみなしには生きられない者であることを自覚しているということです。

しかし私たちはこの根本的なことを忘れて、自分の力で生きているかのような錯覚に陥っていることがよくあります。それは、自分に対しては自己嫌悪や絶望となって現れ、人に対しては無慈悲、あるいは卑屈な態度となって現れます。 

ですから私たちは今もう一度、自身が主の憐みのうちに生かされているということを意識しましょう。深い、決して裏切ることのない主の憐れみによって生かされているのですから何の心配もいらないのです。


B. それでもパン(賛美)が決め手 (1-3)

最後に初めの3節に戻ります。

1 ハレルヤ。主の僕たちよ、賛美せよ。主の名を賛美せよ。
2 主の名がたたえられるように今より、とこしえに。
3 日の昇る所から日の沈む所まで主の名は賛美される。

主の栄光、謙遜、正義、憐れみ。それらが私たちに必要な心の栄養素であることをわかっていただけたかと思います。しかし同時に、私たちが簡単にその必要を忘れてしまうことも、自分のこととして痛切に感じていることだと思います。 また、私たちはそれら具材のうちのどれかだけを選り好みして歩んでいることも多いのです。

詩人が、この詩をハレルヤ(主をほめたたえよ)でサンドイッチにしたのには理由があります。 それは、神様の恵みの四つの要素を偏らずいただくのには、<主をほめたたえる>ということが私たちの主要な生活習慣である事が欠かせないからです。 「主は全てにおいて讃えられるべきお方です」と自分に言い聞かせたり、人々と励まし合わないと、私たちの心は、目に見える重い状況に沈み込んでしまいます。

これからも、主の栄光、謙遜、正義、憐れみを覚え、感謝し、ほめたたえながら歩みましょう。

(祈り)

神様、あなたはただ私たちをはるかに超えているだけでなく、誰よりも近くにいてくださいます。
私たちがあなたに生かされていること覚えて感謝します。私たちがあなたの体の一部として、あなたの栄光、謙遜、正義、憐れみを少しでも表しながら生きてゆく事ができるように私たちを導いてください。

どうか今起こっている戦争、紛争にあなたが介入してくださり、人々を苦しみから解放してください。それぞれが自分にできることを通して用いてください。

感謝し、期待して、私たちの主イエス・キリストの名によって祈ります。


メッセージのポイント

神様の性質は、私たちの心を喜ばせ豊かにするだけでなく私たちの魂に必要な栄養です。体に必要な栄養素が一つだけではなくバランスよく取る必要があるのと同様に、神様の性質について一つを無視したり、一つだけを強調することは魂の病気につながります。 その全てをいただいて信じて従う者にふさわしく歩みましょう。 

話し合いのために
  1. あなたにとって一番魅力的な素材はなんですか?
  2. “ハレルヤ”サンドイッチのパンとは実際には何を指していますか?
子供たちのために(保護者の皆さんのために)

神様とはどんな方かということを考えさせて、神様の素晴らしさの多様性を気付かせてください。出て来なかった要素について紹介してください。それらをバランスよく受け取るために私たちが礼拝することがサンドイッチのパンのように大切であることを教えてください。