神様はなぜ苦しみをなくしてくださらないのか

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神様はなぜ苦しみをなくしてくださらないのか

ルカによる福音書 22:31-34

池田真理


 今日はイースターの1週間前の「棕櫚の日曜日」と呼ばれる日で、今週は受難週です。 イエス様の死と復活について改めて考えるべき時ですが、今回のメッセージの準備は少し大変でした。それは、ここのところ、私は神様を疑っていたからです。 私が抱えている個人的な苦しみと、ウクライナを始めとしてこの世界で起こっている多くの悲惨なことについて、神様が何もしてくださっていないように感じていたからです。 今すぐに消えてほしい苦しみを抱えている中で、そこでイエスが共にいてくださると言われても、一体何の助けになるのか、分からなくなっていました。 私たちは無力ですが、神様も無力なんじゃないでしょうか。神様には私たちを救う力があるのに、その力を使ってくださらないのなら、私たちにとって神様は無力です。

 でも、神様が無力になられたということは、実際とても重要なことなのだと改めて気がつきました。 そのヒントをくれたのは、これまでも何回かご紹介したのことのあるディートリッヒ・ボンヘッファーです。ナチスドイツに抵抗して処刑されたドイツの牧師です。 ボンヘッファーは、獄中からの手紙の中でこんな言葉を残しています。「私たちは、神の前で、神と共に、神なしで生きる。」 難しい言葉で、私も完全に理解できているとは思いませんが、今日は最後にこの言葉に戻って来たいと思います。

まずは聖書を読んでいきましょう。ルカによる福音書22:31-34です。

31 「シモン、シモン、サタンはあなたがたを小麦のようにふるいにかけることを願い出た。32 しかし、私は信仰がなくならないように、あなたのために祈った。だから、あなたが立ち直ったときには、兄弟たちを力づけてやりなさい。」33 シモンは言った。「主よ、ご一緒になら、牢であろうと死であろうと覚悟しております」と言った。34 イエスは言われた。「ペトロ、言っておくが、今日、鶏が鳴くまでに、あなたは三度、私を知らないと言うだろう。」

これは、イエス様が逮捕される直前のイエス様とペトロのやりとりです。ペトロはこの後、イエス様が預言した通り、イエス様との関係を3回否定します。そして、自分の弱さに打ちひしがれて泣きました。

A. 私たちは苦しみを通して罪を自覚する

 この経験によって、ペトロの間違った自信は打ち砕かれました。 ペトロだけでなく、私たちは誰でも、自分の力で自分の人生を正しく歩むことができるという自信を打ち砕かれる経験をしなければいけないのだと思います。 イエス様を信頼し続けるということも、私たち自身の力ではできません。 私たちの意志は弱く、私たちは傲慢で自己中心的で、それに気が付いても自分でどうしようもありません。 そういう私たちの罪の性質に気付かせてくれるという意味で、苦しみの経験は役に立ちます。

 でも、これは決して、私たちに罪の自覚を持たせるために神様が意図的に私たちを苦しませるという意味ではありません。イエス様がペトロに裏切りの予告をしたのも、ペトロが落ち込んだままでいてほしくなかったからです。 この世界から苦しみがなくならなくても、神様は決して意図的に私たちを苦しませているのではなく、私たちを見捨てているのでもないということを、ペトロとイエス様のやりとりから、さらに考えていきましょう。


B. 神様の望み
1. 私たちの罪の赦し

 まず、この箇所で最も印象的なのは、イエス様がペトロの裏切りを全て分かっていて、最初から赦していることです。 イエス様は、ペトロのことをペトロ自身よりもよく分かっていました。同じことが私たちにも言えます。 私たちの罪も弱さも、私たちが自分で自覚している以上に、イエス様には知られています。そして、私たちがそれに気がつく前から、もう神様は私たちを赦してくださっています。

2. 私たちが神様の苦しみを知ること 

でも、神様は、直ちに私たちの罪と弱さを取り除いてくださるわけではありません。 イエス様は、ペトロが過ちを犯すと知っていながら、それを止めることなく、ただ「あなたの信仰がなくならないようにあなたのために祈った」と言われました。

 そして、その後にペテロが見たのは、人々に捕えられ、暴行を受け、無抵抗なまま十字架に架けられた弱いイエス様でした。

私たちが苦しむ時にも、私たちがどんなに泣き叫んでも、私たちの前に現れるのは、一瞬で全てを変えてしまう魔法使いのような神様ではなく、私たちの罪に怒って罰を与えるような恐ろしい神様でもなく、ただ、十字架で死なれた神様だけです。 それは、一見、何の解決にもならないように思えますが、神様の望みは明確です。 神様は私たちに、ご自分が私たちのために苦しんでおられることを知ってほしいと望まれています。 私たちが苦しむ時、それは私たちの苦しみであると同時に、神様の苦しみでもあります。

3. 私たちが苦しむことは神様の望みではない  

神様は元々、私たちを弱くて罪深い者として造られたのではありませんでした。 また、この世界を苦しみの多い世界にしたのも人間で、神様が造られた元々の世界はこうではありませんでした。今の私たちの状態を誰よりも嘆いているのが神様です。

 でも、神様は、私たちとこの世界を一瞬で正しく造り変えてしまうような力を使うことはしませんでした。 それどころか、その正反対に、一切の力を放棄して無力になって、私たちと共に苦しみ、命を捧げる道を選ばれました。 なぜなら、神様は私たちに服従よりも愛を求めているからです。たとえそれが神様の側に大きな苦しみを伴うものだとしても、です。

4. 私たちが立ち直って他の人を励ますこと

イエス様はペトロに、「あなたが立ち直ったときには、兄弟たちを力づけてやりなさい」と言われました。 自分を裏切ることになる弱いペトロに対して、イエス様はまだなお期待をかけて、励ましました。このイエス様の思いが、私たち全てに対する神様の思いです。

 神様は元々私たちに、神様を愛し、人を愛する心を与えてくださいました。それは私たちが罪の中にいても、弱くても、なくなることはありません。神様は、そこに期待しています。私たちを一瞬で造り変えてしまうのではなく、私たちが神様を求める心と人を愛する心を自分の意志で取り戻すことを望まれました。 そして、それによって私たちが本来神様が望まれていた私たち自身を取り戻し、他の人にもそのことを伝えていくように、期待しています。 私たちにはそれができると、待っていてくださるとも言えます。そして、私たちを通して、この世界を変えていくという大きな働きを進めようとされています。


C. サタン(悪魔)は私たちが絶望するように誘惑する 
1. 神は無力で弱いと

でも、私たちは目の前の状況に心を支配されやすく、苦しい状況が続けば、なぜ神様は今すぐに苦しみを取り除いてくださらないのかと疑ってしまいます。そして、どんなに祈っても何も変わらない時、神様は無力で弱いと、絶望してしまうこともあります。それは、サタンの罠です。 イエス様はペトロにこう言われました。「シモン、シモン、サタンはあなたがたを小麦のようにふるいにかけることを願い出た。」

 サタンの目的は、私たちの心が神様から離れることです。私たちが自分の無力さを嘆き、神様の無力に絶望する時、喜ぶのはサタンです。「助けを求めても、神様は答えないし、何もしてくれないじゃないか」と私たちにささやき、私たちが絶望するように誘惑します。

2. それでも、「私たちは神と共に、神なしで生きる」 

 でも、今日お話ししてきたように、神様は何もしていないのではなく、私たちの叫びを無視しているのでもなく、誰よりも神様が一番苦しんでおられます。 そして、私たちが自分の抱える苦しみを自分だけのものとしないで、それが神様の苦しみでもあると知ることを望まれています。

私たちが苦しむ時、それは神様の苦しみを共に担っているのと同じです。 私たちが神様を愛し、人を愛することができるようになるために、この世界に神様の愛が実現するために、神様が担われている苦しみを、私たちも担っているということなのです。

 だから、「私たちは、神の前で、神と共に、神なしで生きる」というボンヘッファーの言葉は、私たちがこの世界の苦しみから目を逸らさず、同時に心を支配されずに生きていくことを表している言葉だと思います。 私たちは、神様が私たちのために、私たちと共に苦しんでおられると知っているので、今度は私たちが神様と共に苦しみ、神様の苦しみの足りないところで神様の代わりに苦しみを担います。

 私たちのために無力になられた神様は、無力な私たちにこの世界を委ねるという、大胆なことをなさいました。

この世界から苦しみをなくすのは、神様ではなく、私たちです。 私たちは、神様が誰かの絶望を希望に変えてくださるのをただ待っているわけにはいきません。神様は、私たちにその働きを委ねておられます。

(お祈り)神様、どうか私たちにあなたの霊を豊かに注いでください。 私たちはあなたなしには本当に無力で、すぐに自分勝手な道を歩んでしまう者です。 どうか私たちが目の前の困難な状況に心を奪われて、あなたがそこで誰よりも苦しんでおられるということを忘れてしまわないように、あなたの霊で私たちの心を導いてください。 自分自身の苦しみも、この世界で起こっている苦しみも、私たちの心をあなたから引き離すことがないように、守ってください。 あなたと共に、あなたの代わりに苦しむ力を、私たちに与えてください。世界で起きている悲劇を止めるために、私たちを用いてください。 私たちの主イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。


メッセージのポイント

個人の人生においても、世界情勢においても、なぜ神様は苦しみを取り除いてくださらないのかと疑問に思うことがたくさん起こります。どんなに願っても祈っても何も変わらない時、私たちは絶望します。でも、それはサタン(悪魔)の罠です。私たちは、十字架で無力になられた神様を信頼し、その神様は無力な私たちにこの世界を委ねられていることを忘れてはいけません。「私たちは、神の前で、神と共に、神なしで生きる」(ボンヘッファー)のです。

話し合いのために
  1. 神様はなぜ私たちの苦しみを取り除いてくださらないのでしょうか? 
  2. 神様は人間の罪の前に無力なのでしょうか? 
子供たちのために(保護者の皆さんのために)

なぜ神様はウクライナで起こっている戦争を今すぐに終わらせてくれないのでしょうか。苦しんでいる人や悲しんでいる人のことを、神様は放っておかれるのでしょうか。それぞれ考えて話し合ってみてください。