聖霊様を頼ろう

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聖霊様を頼ろう

使徒言行録1〜8章、ヨハネによる福音書14:15−21

池田真理


 今日はペンテコステ(聖霊降臨日)です。聖霊様は神様の霊、イエス様の霊でもあり、神様とイエス様と聖霊様は同じひとりの方であると同時に、別々の三方でもあります。三者を厳密に分けて考える必要はありませんが、今日は聖霊様がどのような方なのか、使徒言行録を中心に読んで考えていきたいと思います。最初に、使徒言行録1:3-11を読みます。

A. 聖霊様なしに私たちは何もできない (使徒1:3-11)

使徒1:3 イエスは苦難を受けた後、ご自分が生きていることを、数多くの証拠をもって使徒たちに示し、四十日にわたって彼らに現れ、神の国について話された。4 そして、食事を共にしているとき、彼らにこう命じられた。「エルサレムを離れず、私から聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。5 ヨハネは水で洗礼を授けたが、あなたがたは間もなく聖霊によって洗礼を受けるからである。」 … 8 あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、私の証人となる。」9 こう話し終わると、イエスは彼らが見ている前で天に上げられ、雲に覆われて見えなくなった。10 イエスが昇って行かれるとき、彼らは天を見つめていた。すると、白い服を着た二人の人がそばに立って、11 言った。「ガリラヤの人たち、なぜ天を見上げて立っているのか。あなたがたを離れて天に上げられたイエスは、天に昇って行くのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになる。」

 私たちはよく、この時の弟子たちと同じように、イエス様が見えなくなって、寂しく、心細く、不安になって、ぼーっと上を見上げたまま動けない時があります。イエス様が私たちのために命を捧げて十字架に架かられたこと、それほど私たちを愛しておられることを、知識として知っていても、自分の小ささや弱さの方があまりにリアルで、前に進む力を失い、進むべき方向も分からなくなってしまいます。
 そんな時、私たちに必要なのは、ここでイエス様が言われている通り、今いる場所から無理やり動こうとするのではなく、聖霊様を待つことです。8節で言われているように、聖霊の力を受けた私たちは、地の果てにまで、それは物理的な距離でも心理的な距離でもありますが、自分では予想もしていなかった遠くまで、行くことができます。
 イエス様の死と復活を目の前で体験した弟子たちでさえ、イエス様は聖霊様を待つように言われました。まして私たちは、聖霊様の助けなしには何もできなくて当然です。

 それでは、聖霊様はどのように私たちを助けてくださるのか、今日は重要な点を4つだけお話しします。まず第一に、と言っても最も重要なことではありませんが、聖霊様の働きの一つは、超自然的な現象を起こし、人知を超えた神様の存在を私たちに半ば強制的に納得させるという働きがあります。それが起こったのが最初のペンテコステでした。使徒言行録2:1-6を読みます。

B. 聖霊様の働き
1. 超自然的な力 (使徒2:1-6)

使徒2:1 五旬祭の日が来て、皆が同じ場所に集まっていると、2 突然、激しい風が吹いて来るような音が天から起こり、彼らが座っていた家中に響いた。3 そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。4 すると、一同は聖霊に満たされ、霊が語らせるままに、他国の言葉で話しだした。5 さて、エルサレムには天下のあらゆる国出身の信仰のあつい人々が住んでいたが、6 この物音に大勢の人が集まって来た。そして、誰もが、自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられた。

 ペンテコステの出来事は、人間の耳に聞こえ、目に見える、不思議な現象でした。新約聖書には、このペンテコステから始まり、信徒たちの間で多くの不思議な現象やわざがなされていたことが記録されています。異言や預言、病気の癒やし、様々な奇跡などの、超自然的な力です。新約聖書の時代には、それらの超自然的な力が聖霊様が働いておられる証拠となり、人々を励ましました。
 現代においても、聖霊様がこういう超自然的な現象を起こされることがなくなったわけではありません。異言や預言は多くの教会で実践されていますし、病気が癒やされる奇跡も起こります。私たちもそういうことが起こればとても励まされます。でも、そういうことが起こらなくても、神様が私たちと共にいることには変わりがありません。
 だから、聖霊様による超自然的な力の現れというのは、あれば嬉しいですが、なくても困りません。大切なのは、私たちが不思議な力を持つことよりも、私たちの心が聖霊様によって神様の愛で満たされ、作り変えられていくことです。
 その一つの例として、ペトロがどのように変えられたか、使徒言行録4:8-13を読みます。注目したいのは、最後の一文です。

2. イエス様のことを伝える言葉 (使徒4:8-13)

使徒4:8 その時、ペトロは聖霊に満たされて言った。「民の指導者たち、また長老の方々、9 今日私たちが取り調べを受けているのは、病人に対する善い行いと、その人が何によって癒やされたかということについてであるならば、10 皆さんもイスラエルの民全体も知っていただきたい。この人が良くなって、あなたがたの前に立っているのは、あなたがたが十字架につけ、神が死者の中から復活させられたナザレの人、イエス·キリストの名によるものです。11 この方こそ、/『あなたがた家を建てる者に捨てられ/隅の親石となった石』/です。12 この人による救い以外に救いはありません。私たちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。」13 人々は、ペトロとヨハネの堂々とした態度を見、二人が無学な普通の人であることを知って驚き、また、イエスと一緒にいた者であることも分かった。

 ここには、イエス様を裏切って、イエス様との関係を三度否定した弱いペトロはいません。いなかの村の貧しい漁師に過ぎなかったペトロが、当時のユダヤ人社会の権力のトップや宗教的エリートたちを前に、恐れることなくイエス様のことを証ししています。ペトロをそのように変化させたのは聖霊様でした。
 ペトロにとって、自分が元々無学な漁師であったことや、イエス様のことを裏切った臆病者だったことは、もう重要ではありませんでした。重要なのは、そんな自分をイエス様は赦し、愛し、命を捧げてくださったということであり、そのイエス様のことを世界に知らせたいという願いが与えられていることでした。
 私たちには、ペトロと同じ確信と願いがあるでしょうか?迷いや不安が多いとしたら、それは自分や他人の思いに囚われて、聖霊様の助けを求めていないからかもしれません。聖霊様は、私たちの心がイエス様の方を見るように導き、私たちに語るべき言葉を与えてくれるはずです。

3. 私たちの偏見を崩す (使徒8-10章)

 聖霊様の働きとして次に注目したいのは、聖霊様が私たちの偏見を崩されるということです。これは、使徒言行録8−10章のあたりを読んでいると見えてきます。

 フィリポとエチオピアの高官の出会い、ペトロとローマの百人隊長コルネリウスの出会い、のちのパウロであるサウロとアナニアの出会い、これらは全て、聖霊様の導きによるものだったと書かれています。エチオピアの高官とコルネリウスは共に身分の高い異邦人で、聖霊様の導きがなければ、フィリポもペトロも、まさかその人々が神様を求めているとは思いもよりませんし、関わりを持つこともなかったはずです。サウロとアナニアについては、サウロはキリスト教徒を片っぱしから逮捕する迫害者だったので、アナニアは聖霊様にサウロのところに行けと言われても、最初は拒否しましたが、聖霊様に導かれ、サウロを許し、洗礼を授けました。

 神様を求める人、信じたいと純粋に願っている人たちは、私たちが関わりを避けている人たちや、私たちを苦しめる人たちの中にもいます。私たちは受け入れがたいと思うこともありますが、聖霊様はそんな私たちの心も変えて、神様の愛の大きさを教えてくださいます。

 それでは最後に、聖霊様の働きで最も重要なことを、ヨハネによる福音書のイエス様の言葉から教えてもらいたいと思います。ヨハネ14:15-21です。

4. イエス様の愛を教える (ヨハネ14:15-21)

ヨハネ14:15 「あなたがたが私を愛しているならば、私の戒めを守るはずである。16 私は父にお願いしよう。父はもうひとりの弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。17 この方は、真理の霊である。世は、この霊を見ようとも知ろうともしないので、受け入れることができない。しかし、あなたがたはこの霊を知っている。この霊があなたがたのもとにおり、これからも、あなたがたの内にいるからである。18 私は、あなたがたをみなしごにはしておかない。あなたがたのところに戻って来る。19 しばらくすると、世はもう私を見なくなるが、あなたがたは私を見る。私が生きているので、あなたがたも生きることになる。20 かの日には、私が父の内におり、あなたがたが私の内におり、私があなたがたの内にいることが、あなたがたに分かる。21 私の戒めを受け入れ、それを守る人は、私を愛する者である。私を愛する人は、私の父に愛される。私もその人を愛して、その人に私自身を現す。」

 聖霊様の最も大きな働きは、私たちにイエス様の愛を教え、私たちがイエス様の内に生きており、私たちの内にイエス様が生きておられると教えることです。

 ここでもう一つ大切なのが、イエス様が言われている「戒め」のことです。この戒めとは、直前の箇所にあります。13:34-35

ヨハネ13:34 「あなたがたに新しい戒めを与える。互いに愛し合いなさい。私があなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。35 互いに愛し合うならば、それによってあなたがたが私の弟子であることを、皆が知るであろう。」

イエス様が私たちに望まれているのは、私たちがイエス様に愛されていることを知り、イエス様を愛し、互いに愛し合うことです。その全てを、私たちは自分の力ではすぐに挫折してしまいますが、聖霊様は私たちにいつも新しい力を与えてくださいます。神様に愛されていることを確信して喜べるのも、自分の偏見や高慢さを捨てて人を愛せるのも、聖霊様が可能にしてくださることです。私たちにはできるはずのないことをできるようにさせてくださるので、私たちは聖霊様に期待し、自分たちの限界に落胆しません。
 皆さんの中で、神様に愛されているのか分からない方、誰かに対して怒りや憎しみを持っていて、とても許すことはできないと思っている方は、どうぞこの後のワーシップの時間、またこの1週間の歩みの中で、聖霊様に助けを求めてください。無理やり自分で心を変えようとするのではなく、聖霊様がしてくださることを待ってみてください。

 今日は最後に、エフェソの信徒への手紙にある祈りの言葉を少し言い換えてお祈りして、終わりにします。

(お祈り) 神様、あなたの霊と力によって、私たちの内なる人を強めてください。私たちの心の内にあなたが住んでおられることを教えてください。私たちがあなたの愛に根ざし、愛に基づいて生きられるように助けてください。あなたを信じるすべての人々と共に、あなたの愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれほどのものであるかを知り、人知をはるかに超えたあなたの愛を知ることができ、私たちの心を喜びで満たしてください。あなたは私たちの内に働いておられ、私たちが願い、考えることすべてをはるかに超えてかなえることのできる方です。あなたに栄光が世々にわたって、とこしえにありますように。私たちの主、イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。


メッセージのポイント

神様がご自分の命を捧げるほどに私たちを愛してくださっているという事実を、ただ知識として理解する以上に、心から喜んで受け入れることができるのは、聖霊様の働きによります。聖霊様の働きは、超自然的な現象として現れることありますが、多くの場合は私たちの心に起こしてくださる変化として分かります。神様に愛されているのか分からない時、人を愛することができない時、ただ聖霊様を頼りましょう。

話し合いのために
  1. 使徒言行録2章のペンテコステの出来事を読んで、または別の教会で異言や預言など超自然的な出来事を経験したことを振り返って、あなたの感想は?
  2. 聖霊様によって自分の心に変化が起きた経験をシェアしてください。
子供たちのために(保護者の皆さんのために)

イエス様を信じるということ自体が聖霊様の働きであり、子どもたちがイエス様を信じているとしたら、自分ではよく分からなくても、すでにみんなには聖霊様が共にいてくださっているのだと伝えてください。エフェソ3:14-21の祈りの「あなたがた」の部分を子どもたちの名前に置き換えて、一緒に祈ってあげてください。

エフェソ3:14-21 このようなわけで、私は、天と地にあって家族と呼ばれているあらゆるものの源である御父の前に、膝をかがめて祈ります。どうか、御父が、その豊かな栄光に従い、その霊により、力をもってあなたがたの内なる人を強めてくださいますように。あなたがたの信仰によって、キリストがあなたがたの心の内に住んでくださいますように。あなたがたが愛に根ざし、愛に基づく者となることによって、すべての聖なる者たちと共に、キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれほどのものであるかを悟り、人知をはるかに超えたキリストの愛を知ることができ、神の満ちあふれるものすべてに向かって満たされますように。私たちの内に働く力によって、私たちが願い、考えることすべてをはるかに超えてかなえることのできる方に、教会により、また、キリスト・イエスによって、栄光が世々にわたって、とこしえにありますように、アーメン。