永原アンディ
(詩篇19編)
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聞こえない声を聞く
聖書は神様の言葉です。しかし聖書をよく読んでいれば神様の言葉をちゃんとキャッチしているかといえば、そう言い切ることはできません。いくら聖書をよく読んでいても、現実の生活の中で生きる力、喜びに成っていないならキャッチしているとは言えません。今朝は皆さんと、もっと十分に神様からの言葉をキャッチできるように一緒に学んでいきたいと思います。最初に5節前半 (NIV: 4a) までをお読みします。
A. 神様とあなたのホットライン
1)人が閉じたライン (1-5a)
1 【指揮者によって。賛歌。ダビデの詩。】
2 天は神の栄光を物語り大空は御手の業を示す。
3 昼は昼に語り伝え夜は夜に知識を送る。
4 話すことも、語ることもなく声は聞こえなくても
5 その響きは全地にその言葉は世界の果てに向かう。
ダビデはイエスより1000年前の時代に生きていた人です。詩人であり、王様であり、広い意味では預言者と言ってもいい人物です。古代イスラエルの歴史の中で、人々に最も尊敬され愛された人物です。しかし私たちが最も注目するべき彼のキャラクターは、神様ととても親しかったという点です。神様と会話をしながら生きた人でした。神様は、私たち人間をそのようなものとして作ってくださいました。神様はあなたがこのキャラクターを取り戻すことを願っています。人類がそのキャラクターを失った顛末は創世記の3章に書かれています。人は、神様と共に歩むことを捨て、自分の思い通りに生きることを選択しました。聖書はこのことを「原罪」と呼びます。私たちの経験する、悲しみ、苦しみ、痛み、恨みの起源です。神様に背を向けて、一見自由になった人類の不幸の始まりです。神様に背を向けた代償は大きかったのです。見かけの自由を得た代わりに、人類は神様とのコミュニケーションを失ったのです。
それでも神様は人々を見捨てることなく愛し続けられました。神様をこの目で見ることができなくても、天体の精密さ、自然の素晴らしさを見れば、誰もすべては偶然の出来事とは感じられないでしょう。声も同じです。神様の声は直接聞こえなくても、求める者の心には語りかけてくださいます。ダビデは当時、心に神様の言葉を聞くことのできる数少ない人々の一人だったのです。神様は、数多くの預言者を通して、人々が神様に向き直り、神様とのホットラインを取り戻すことを今も変わらず願っておられます。しかし世界は、ダビデの時代以降、ますます原罪の深刻な影響を受け、弱い者、小さい者により大きい苦しみが臨むようになってしまいました。ここで、ダビデは「その言葉は世界の果てに向かう」と言いますが、それが1000年後、今から2000年前のイエスの誕生で現実となりました。今では、迫害によって困難な国もありますが、世界中で神様の言葉をキャッチすることができるようになりました。5節後半から7節までを読みます。
2)イエスが再開したライン (5b-7)
そこに、神は太陽の幕屋を設けられた。
6 太陽は、花婿が天蓋から出るように
勇士が喜び勇んで道を走るように
7 天の果てを出で立ち天の果てを目指して行く。
その熱から隠れうるものはない。
神様を考えることなく、不幸がどこから来るかもわからないままに、戦争や犯罪や日常生活でのトラブルによって幸せではないと思っている人がたくさんいます。飢餓や紛争によって命の危険にさらされている子供達が大勢います。このような正義も愛も冷えた世界にしてしまったのは私たち人間です。
神様はそれでも、天体を間違うことなく運行させて、太陽のエネルギーを私たちに届け続けてくださっています(マタイ5:45)。一方、この<太陽>は神様の栄光、威厳の比喩でもあります。神様の正義の目から誰も逃れることはできないということです。気象変動のことを考えてみてください。緑地の砂漠化、海面の上昇。人間の果てしない欲望によって生じたものです。宇宙を作られた神様に責任はありません。私たちが、「神様、私の人生にあなたは必要ありません。私の思い通りにやります」と生きてきたのです。そしてその結果の全体が今の世界なのです。この影響は世界の細部まで及んでいます。あなたの周りの人間関係です。もしあなたが、世界の情勢に関心がなかったとしても、同じ原因からくる影響があなたやあなたの周りの人々を不自由にしています。
あなたが、この世界でも、ごく個人的な人間関係でも、このままではまずいと考えるなら、あなたが最初にできることは神様とのホットラインをそれぞれが取り戻すことです。どうしたら、神様とのホットラインを再開して正しく歩む事ができるのでしょうか?イエスはご自身を「道であり、真理であり、命である」と言われます。また「私を見ているということは神を見ているということ」だとも言っています。
「イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。あなたがたがわたしを知っているなら、わたしの父をも知ることになる。今から、あなたがたは父を知る。いや、既に父を見ている。」
神様ご自身でありながら同時にそこに至る道でもあるというのは、どういうことでしょうか?関係を自ら望んで断ち切った私たちには修復する手段も能力もありません。その大きな罪を償うことは不可能だということです。それで神様は、イエスという人としてこられ、私達のかわりに罪を引き受け、十字架で苦しみ死なれました。三日目によみがえり、今は、こられる以前のように、実際には見ることも聞くこともできない状態に戻られましたが、イエスによってホットラインは再開されているのです。ただ、ホットラインは再開しても、あなたがそこにつながらなければ通信はできません。契約を破棄してしまった人にも再契約の道が開かれたということです。再契約の内容はこうです。「私は道であり真理であり命である神イエスキリストと生きていきます。」
イエスに従う人となることによって、神様とのホットラインを確保して、あなたもダビデのように神様と親しく語りあいながら人生を歩むことができるのです。
ホットラインはイエスによって再開されました、再契約の手続きを済ませました、しかし安心するのは早すぎます。私たちが神様の声をよく聞きながら歩むために、さらに二つのことが必要です。その一つは「神様に対する信頼」です。8-12節を読みます。
B. ラインを守る二つのメンテナンス
1)信頼 (8-12)
8 主の律法は完全で、魂を生き返らせ
主の定めは真実で、無知な人に知恵を与える。
9 主の命令はまっすぐで、心に喜びを与え
主の戒めは清らかで、目に光を与える。
10 主への畏れは清く、いつまでも続き
主の裁きはまことで、ことごとく正しい。
11 金にまさり、多くの純金にまさって望ましく蜜よりも、蜂の巣の滴りよりも甘い。
12 あなたの僕はそれらのことを熟慮しそれらを守って大きな報いを受けます。
ダビデはこのように神様を信頼していました。世の中は情報であふれています。私のe-mail address には毎日何百というメッセージが入ってきますが、ほとんどは不要なもので、有害なもの、騙そうとするものも混じっています。さっさと捨てるわけですが、間違って捨ててはいけないものまでゴミ箱に入れてしまうこともあります。神様とのラインを、他としっかり区別しておかなければ、他の情報で頭の中がいっぱいとなり、神様の言葉をスルーしてしまう恐れがあるのです。私たちの欲望は、美味しそうなところに飛びつく傾向を持っています。そうしてフィッシングメールを開けてしまうのです。
律法とか定めとか命令とか戒めという言葉を聞くと、私たちの心は本能的に、避けたいな、窮屈だなと感じて耳を閉じてしまいがちです。しかしそれではせっかくラインが繋がっているのに、ミュートしてしまっていることいなります。それでは神様の言葉をキャッチすることはできません。イエスが与えてくださった大きな恵みの一つは、主の律法、定め、命令、戒めとは、宗教的戒律を守ることではなく「愛すること」だと教えてくださったことです。神様を愛する、互いに愛し合う、人々(世界)を愛することです。私たちが一番大切にしていることです。さてこの教会のどこに愛があるのでしょうか?愛はこの建物のどこかにあるのではありません。皆さん一人一人のなかにあります。あなたの中に、神様を愛する愛、互いにあ愛し合う愛、世界を・人々を愛する愛がるのです。建物ではなく、牧師やリーダーのことでもなく、皆さん一人一人が教会なのです。イエスの愛が人の魂を生き返らせます。その人は愛することに心を注ぐ人になるのです。その人には神様からの清い知恵が与えられます。喜びが与えられます。魂に与えられたエネルギーはその人の目をキラキラと輝かせます。そして愛する人として生きるのです。愛することを何よりも大切な行動の原則にするなら主の裁きに従って正しい判断ができ、それに従って行動することができます。そのような日々こそ金よりも尊く、楽しい幸せな日々だとダビデは紹介するのです。神様が、愛する人として生きるあなたに「素晴らしいものを与えてくださる。私にとって最高の人生のプランを用意していてくださる」と信頼していますか?そうであれば、神様はあなたの心の耳に絶えず語りかけて下さいます。それでは最後の部分を読みましょう。
b. 私たちを満ち足らせる唯一のもの
13 知らずに犯した過ち、隠れた罪からどうかわたしを清めてください。
14 あなたの僕を驕りから引き離し支配されないようにしてください。そうすれば、重い背きの罪から清められわたしは完全になるでしょう。
15 どうか、わたしの口の言葉が御旨にかない心の思いが御前に置かれますように。主よ、わたしの岩、わたしの贖い主
神様と私たちのホットラインが途切れないように私たちがするべきもう一つのことは祈りです。ダビデも祈りでこの詩を締めくくっています。ただここに歌われている祈りは特別な意味を持った祈りです。「罪から私を清め、私の心の思いと口から出る言葉があなたの思いにかないますように」という祈りです。ダビデはたくさんのひどい失敗をしましたが、ホットラインを閉じてしまうことはありませんでした。それはこの祈りが彼の心に常にあり、こう祈り続けたからです。
神様の声を聞き続けたければ、私たちの方からも発信し続けなければなりません。神様と私たちのコミュニケーションはラジオやテレビのように一方通行ではなく、電話のように双方向のものです。あなたが語りかければ神様は応えてくださいます。その答えに対して、また応答しましょう。応答は感謝でも、抗議でも、反対でも、賛成でもいいのです。神様との会話は、ダビデがしてきたように生涯途切れることなく続けることができます。神様の声は音声ではないので心で聞かなければなりません。また他の人を通しても、小さな自分の子供を通しても神様は語られることがありますから、どんな人に対しても謙遜に、その人を通して神様が教えてくださることを期待してください。普通ならお祈りをして終わるところですが、すぐに歌い始めましょう。最初の歌は今日のメッセージに対する応答の祈りの歌です。最初の歌だけではありませんが、大切なのは神様に向かって語りかけることです。しっかり声を出すとか、綺麗にハモるとか考えないでください。完成された音楽作品を神様に捧げようとしているのではありません。ホットライン上の会話を始めようとしているのです。心を込めて、主に向かって語り、祈り、聞いてください。自分の言葉でない言葉で歌っている時でも、自分の言葉で歌ってもいいのです。気が散るなら目をつぶって歌いましょう。言葉が正確である必要はありません。神様の前に手をあげたいと思ったら、そうしてください。立ち上がりたい。ひざまずきたい。手を叩きたい。自由にしてください。前の人が立ち上がっても、その人を神様が感動させてくださっていることを喜んでください。モニターが見えにくかったら、少し体を動かしてあげてください。
メッセージのポイント
ダビデにとって神様は、生活の中で親しく語りかけてくださる方でした。語られる言葉を糧に、与えられた良いものを活用して生涯を歩み通しました。ダビデの時代にも、今の時代にも、神様の言葉を聞かずに生きてゆく人は大勢います。人生に本当に必要な情報を得られずに歩めば困難や挫折に対処しようがありません。神様を信頼し、祈ることによって神様とのホットラインを持ち続けましょう。
話し合いのために
1) あなたはどのようにして神様の声を聞きますか?
2) あなたはなぜ神様を信頼できるのですか?
子供達のために
イエスと対話することについて、子供たちを励ましてください。なぜ神様を信じない人がいるのでしょうか?神様の声は普通には聞こえないし、見ることもできないからです。わたしたちは遠く離れた人とお話しすることはできませんが、携帯電話やスマートフォンがあれば地球の裏側の人とも話すことができます。また空気のように目には見えなくても確かに存在するのは神様だけではありません。神様は地球上のすべての人に語りかけています。イエスとお話しできる携帯電話はありませんがその代わりに、私たちは祈ることができます。祈りは神様との会話であること、こちらからの一方通行のお願いではないことを教えてください。