池田真理
(ルカ2:8-20, コリントの信徒への第一の手紙 2:1-5 )
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イエス様に会いに行こう!
1. 選ばれる (8-14)
8 その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。9 すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。10 天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。11 今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。12 あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」13 すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。14 「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」
イエス様が生まれたという良い知らせを天使が知らせたのは羊飼いたちでした。私たちはこの場面を何度も読んでいて、このことにあまり疑問を感じなくなっているかもしれませんが、少し考えてみると不思議なことです。なぜ羊飼いたちだったのでしょうか?それは一つには、イエス様が来られたのは羊飼いたちのような貧しくて弱い者のためだったからです。でも、貧しくて弱い人たちは他にもたくさんいるのに、なぜ羊飼いたちだったのか、その理由は私たちには分かりません。
この問いは、クリスマスの物語全てに通じています。先週、マリアとヨセフの物語を聞きましたが、なぜ神様はマリアとヨセフを選んだのでしょうか?それも私たちには分かりません。さらに言うならば、なぜイエス様が生まれたタイミングは2000年前のその時だったのかも、私たちには分かりません。それは全て、神様が選ばれたことです。羊飼いもマリアもヨセフも、私たちには分からない、神様だけが知っている理由によって選ばれました。
このことは、私たちがどうやってイエス様と出会ったかにも言えることです。自分がどのようにイエス様に出会ったか、信じるようになったか、それは人それぞれ具体的な出会いや出来事をたくさん語ることができると思います。今イエス様を信じて生きている皆さんは、これまでの人生のどこかで、自分でイエス様についていこうと決心されました。それは確かに皆さんの理性による選択です。でも同時に、それは神様があなたを選んだということでもあります。なぜ皆さんだったのか、神様にしか分からない理由があります。羊飼いやマリアやヨセフが選ばれたのと同じように、私たちには分からないけれど、神様には見えている、神様の計画によって選ばれたということです。私たちが他の人と比べて何かが優れているわけではありません。なにかふさわしいという条件を満たしていたからでもありません。ただ神様が私たちを神様の計画の中で用いるために選んでくださったから、イエス様と出会うことができました。
これを聞いていて、自分はイエス・キリストを知らないから選ばれていないのだと思う方がいたら、それは誤解です。ここにいらっしゃること(このウェブページを開いたこと、録音を聞いていること)に、すでに神様の力があなたに働いていて、神様はあなたを選ばれていると私は信じます。そして、実はイエス様はあなたの近くにいて、あなたにも神様の素晴らしい計画を伝えたいと願っています。
さて、天使は羊飼いたちにこう言いました。「あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」羊飼いたちは、その言葉の通り、イエス様に会いに出かけ、会うことができました。15-16節に進みましょう。
2. 会いに行く (15-16, 1コリ 2:1-5)
1 初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。2 この言は、初めに神と共にあった。3 万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。4 言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。5 光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。
羊飼いたちは、天使が言った通り、飼い葉桶に寝かされているイエス様を見つけました。天使が彼らに教えたのは、その子は馬小屋にいるということだけだったので、彼らはその日に馬小屋で出産した女性がいないか、ベツレヘムの町を尋ねて歩いたでしょう。でも、イエス様を探し当てることができました。
私たちも、この羊飼いたちのしたことをすればイエス様に会うことができます。天使が教えてくれたヒントに従ってイエス様に会いに行くことです。天使のヒントというのは、イエス様がどういう方であるかを教えるものです。天使は、イエス様は馬小屋の中で生まれ、飼い葉桶に眠っている赤ちゃんだと言いました。生まれたばかりの赤ちゃんは自分の力では何もできず、100%大人の力に頼らなければいけない弱い存在です。まして、イエス様は貧しい馬小屋で生まれました。神様であり救い主であるというには程遠い誕生の仕方です。でも、それがイエス様です。イエス様は神様でありながら人間になり、私たちのために貧しく弱くなった方です。イエス様がこういう方だということ知るなら、私たちはイエス様を見つけることができます。
少し抽象的なので、もう少し具体的にお話しするために、パウロの言葉を読みたいと思います。今年の初めのメッセージでも取り上げた、1コリント2:1-5です。
1コリ2章 1 兄弟たち、わたしもそちらに行ったとき、神の秘められた計画を宣べ伝えるのに優れた言葉や知恵を用いませんでした。2 なぜなら、わたしはあなたがたの間で、イエス・キリスト、それも十字架につけられたキリスト以外、何も知るまいと心に決めていたからです。3 そちらに行ったとき、わたしは衰弱していて、恐れに取りつかれ、ひどく不安でした。4 わたしの言葉もわたしの宣教も、知恵にあふれた言葉によらず、“霊”と力の証明によるものでした。5 それは、あなたがたが人の知恵によってではなく、神の力によって信じるようになるためでした。
注目していただきたいのは2節です。「わたしはあなたがたの間で、イエス・キリスト、それも十字架につけられたキリスト以外、何も知るまいと心に決めていた」とパウロは言っています。パウロはコリントの人たちにイエス様のことを教えに行ったにもかかわらず、自分自身がそこでイエス様のことを知ろうとしていたと言っています。「それも十字架につけられたキリスト」だけを、と強調しています。これは、天使が羊飼いに与えたヒントにも関係しています。イエス様は、私たちのために人間として生まれただけではなく、私たちのために死なれた方だということです。そのイエス様を知ることだけに、パウロは集中していたと言っています。人々にイエス様のことを教える立場にあったパウロがそう言っているのは、自分が弱いということを知っていたからです。そして、自分は弱いけれども、その自分のためにイエス様は死なれた方で、それほど自分を愛してくださっているのだと確信していました。だから、パウロは自分の無力さ、弱さ、不安の中でこそ、イエス様のことをもっと知ることができると知っていました。パウロはイエス様のことを人々に教えるために生涯を費やしましたが、パウロが目指していたのは、自分の弱さの中でイエス様に会いに行くことだったということです。
貧しい馬小屋で生まれ、十字架で苦しまれて死なれたイエス様は、とても無力でした。それは私たちのためです。だから私たちは、自分の弱さの中でこそ、イエス様を知り、恐れと不安の中でこそ、イエス様に会うことができます。パウロと同じように、私たちも生涯をかけてイエス様に会いに行きましょう。それは、神様なんていないと思われるような苦しみの中でこそ、一番近くにいてくださるイエス様を発見する旅です。天使は羊飼いたちに言いました。「あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」「見つけるであろう」というのは、「見つけなさい」という命令ではなく、「必ず見つけられる」という約束です。神様が私たちにこのことを知らせてくださったので、私たちは自分の力ではなく、神様の約束をただ信じてイエス様に会いに行きます。そして、実はイエス様はずっと共に歩んでくださっていたということを必ず知ることになります。
さて、最後に、イエス様を見つけて喜んだ羊飼いたちが、次にどうしたのかを読んでいきましょう。17-20節です。
3. 他の人に伝える (17-20)
17 その光景を見て、羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。18 聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。19 しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。20 羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。。
羊飼いたちは天使の知らせを他の人たちに伝えました。でも、それはにわかに信じがたい内容でした。馬小屋で生まれ、飼い葉桶に寝かされている子供が、神様が送られた救い主となる子だと言われても、信じられなくても当然かもしれません。でも、羊飼いたちはまさしくそれが天使の言ったことだったので、喜ばずにいられませんでした。彼らは、目の前の貧しい光景の中に神様の大きな計画が始まっていることを感じていました。
このことは何よりマリアを励ますものでした。マリアが天使に会ったのは妊娠する前のことです。その後のマリアの1年は、苦難の連続だったとも言えます。ヨセフと結婚する前に妊娠するというだけでも大きな問題だったのに、臨月を迎えてからベツレヘムへの旅をしなければならなくなったことも大きな負担でした。さらに、出産は馬小屋でしなければならなくなりました。マリアが天使の言葉を信じていたにしても、これで本当にいいのだろうかと不安もあったかもしれません。そこに羊飼いたちがやってきて天使の言葉を告げたので、「やはりこれでいいのだ」と思えたと思います。神様の計画のすべてを理解することはできなくても、確かにその計画があるということを確認できるのは大きなことです。
私たちも、この羊飼いたちとマリアのように、お互いを支え合うことができます。ある時は羊飼いのように、神様はここにおられるという喜びを他の人に伝え、ある時はマリアのように、そのことを他の誰かから聞いて確認します。今日はイエス様に会いに行くということを中心にお話ししましたが、私たちは自分でイエス様に会いに行き、そして会えた喜びを他の人と分け合うことで強くなれます。私たちはみんな弱く、ひとりでイエス様を信じ続けられる人はいません。天使のヒントはなんだったか、イエス様がどういう方か、他の人の口を通して聞かされる必要があります。そして、弱いままの自分で、イエス様に会いに行く旅の途上にあるということを確認する必要があります。それは自分ひとりだけではなく、これを共に聞いているすべての人に言えることです。
皆さんは、神様に選ばれてここにいます。それは、それぞれがイエス様に会いに行くためです。それが、神様が私たちに与えてくださった、生きる道というクリスマスプレゼントです。
メッセージのポイント
羊飼いたちは、神様に良い知らせを受け取るように選ばれ、イエス様に会いに行き、イエス様を見つけた喜びを他の人に伝えました。私たちのイエス様との歩みも同じです。羊飼いたちが飼い葉桶で寝ている無力なイエス様を見つけたように、私たちも自分の弱さの中にこそ神様の力が働くのだと知ります。そのことを私たちは自分自身で体験し、また他の人の体験を聞くことで確かめることができます。どんな状況でもイエス様は共におられることを信じて、今日もイエス様に会いに行きましょう。
話し合いのために
1) イエス様が共におられると実感した経験を教えてください。
2) イエス様が遠いと感じるのはどんな時ですか?そんな時どうすればいいですか?
子供たちのために
メッセージのポイントとは少し違いますが、クリスマスの物語でなぜ羊飼いが登場するのかをみんなで考えてみてください。なぜ神様は羊飼いたちに良い知らせを知らせたのでしょうか?それは一つには、神様が身分の高い人やお金持ちよりも、貧しくて弱い人たちを愛しているからです。でも、貧しくて弱い人たちは他にもたくさんいたはずなのに、この羊飼いたちが選ばれた理由は、私たちには分かりません。それは、私たちがなぜ神様をしっているかの理由と同じです。羊飼いたちがなにか優れていたからでも、私たちが優れていたからでもありません。ただ神様が一方的に選んでくださったからです。子供達は親を通して神様を知っていると思いますが、その家の子に生まれるように自分で選んだのではありません。イエス様を信じるということも、みんなが自分で決める前に、神様がみんなを選んでいるということを知ってほしいと思います。それは他の人と比べて何かが優れているから選ばれているという意味ではありませんが、みんなが神様を選ぶ前に、神様がみんなを選ばれていると知ってほしいと思います。