永原アンディ
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預言の成就があなたに届く(ミカ4:3, 5:1-3, ルカ2:1-7, 9:23-25)
0. 預言者ミカ (ミカ4:3)
今日の最初のテキストの著者ミカは、先週、紹介された預言者イザヤと同じ時代の人です。イエスの時代から、さらにさかのぼった紀元前700年代イスラエルは南北に分裂し、北が王国はアッシリアに滅ぼされる前後の時代です。ミカはイザヤと同様に南の王国で預言者として活動していました。イザヤほど注目されませんが、今日紹介する預言以外にも、全人類にとって重要な預言をしています。中でも有名なのはニューヨークの国連ビルの建物の礎石に刻まれている4章3節の預言です。
主は多くの民の争いを裁き、はるか遠くまでも、強い国々を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げずもはや戦うことを学ばない。
ミカの預言は、貧しい人々が権力者や裕福な人々から虐げられていることを、神様の正義に反していると厳しく批判するものです。しかしそのような状態は神様の介入によって正され、やがて最終的な平和が実現すると預言しているのですから、国連本部にふさわしい言葉です。しかし、ここには誰によってその平和がもたらされるかは触れられてはいません。それがはっきりと示されているのが、次の章、5章1-3節です。
1. 2700年前の預言 (ミカ5:1-3)
エフラタのベツレヘムよお前はユダの氏族の中でいと小さき者。お前の中から、わたしのためにイスラエルを治める者が出る。彼の出生は古く、永遠の昔にさかのぼる。まことに、主は彼らを捨ておかれる産婦が子を産むときまで。そのとき、彼の兄弟の残りの者はイスラエルの子らのもとに帰って来る。彼は立って、群れを養う主の力、神である主の御名の威厳をもって。彼らは安らかに住まう。今や、彼は大いなる者となりその力が地の果てに及ぶからだ。
先週聞いた通り、当時のイスラエルは隣国の侵略、国内では少数の富んだ者が多くの貧しい者を苦しめるという、弱い者、小さい者にとっては二重の苦しみの時代だったのです。そのような時代に、ミカは「それでも希望を持ちなさい。救い主というべき者がやがて来られるから。」と預言しました。預言の中で、救い主が生まれるとされたベツレヘムは小さな町でしたが、イスラエルで最も偉大だったダビデ王の出身地として知られていました。長い歴史の中で、ダビデは理想化され、人々は彼のような偉大な王が救い主として出現することを願っていました。しかし、イスラエルの社会は堕落してゆくばかりで、理想的な指導者も現れませんでした。やがて南の王国も滅ぼされ、それ以降周辺の強国に支配され続けました。700年が経過して、イエスの生まれた時、ユダヤはローマ帝国の支配のもとにありました。
2. 預言の成就の始まり (ルカ2:1-7)
そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。
生まれる直前のイエスは、父母と共にベツレヘムを目指して旅をしていました。イエスの両親となる二人が暮らしていたのは、北のガリラヤ地方、ガリラヤ湖のほとりにあるナザレという小さな村です。彼らは、日本で言えば“本籍地”で登録しなければならなかったのです。父といっても、直前の第1章に記されているようにマリアのお腹の中のイエスは聖霊によって身篭った子、実子ではありません。それでも父ヨセフはマリアの言ったことを信じて、その子の父となることを受け入れました。
イエスは、ローマ支配の下で救世主を期待する人々の考え通りに、ダビデの家系に、そのゆかりの街ベツレヘムで生まれました。しかし、王子として生まれたわけではなく、しかも育ったのは、何も良いものは出ないだろうと言われていた(ヨハネ 1:46)ナザレだったので、30才になって公に活動し始める前まで、人々には気付かれることなく静かに暮らしていました。
その後、十字架の死に至るまでイエスが活動したのはたった3年間です。その活動は、ユダヤ人にとってはほとんどスキャンダルとしか思えないようなものだったのです。当時の人々は、イエスが神の教えに背く者だと考えました。律法を守ることよりも愛を行うことを教えたからです。むしろ当時の人々こそ、神様の教えの核心である愛を見失っていたのですが、それを認めることができたのは、イエスの弟子となったごく少数の人々だけでした。
大半の人にとって、救い主は、裕福で、高貴で、有能な将軍で、ナショナリストであるべきだったのです。ところが、彼らにとってイエスは、正反対、人々を惑わす、怪しげな出自の魔術師のように映ったのです。
3. 今日あなたに成就するミカの預言(ルカ9:23-25)
しかしどちらが正しかったのでしょうか?国家としてのイスラエルは消滅してしまいました(現在のイスラエルは第二次世界大戦後に成立)が、イエスの教えは2000年の間、私たちの社会にも影響を与え続けてきました。2000年前、イエスの誕生をミカやイザヤの預言の成就と信じた人々が小さなコミュニティーを始めました。イエスを主と信じる信仰の共同体 “教会” の始まりです。イエスの短い地上での活動の後、2000年間、彼の誕生は、良い知らせ=福音として語り継がれてきたのです。
預言は世界で最初のクリスマスの成就しましたが、実は(2)の題を「預言の成就の始まり」としたことでもわかるように、まだ完了したわけではありません。先週のイザヤの預言と同様に、世の終わりまで完了を待つことになるでしょう。
最後に一番重要なことをお話しします。正直なところ、私は世の終わりの完了についてはあまり興味がありません。私の関心は、預言が「あなたに成就する」ことなのです。なぜ2000年後の今でもイエスを主、神と信じる人がいるかといえば、最初の弟子たちよりも後の、イエスにも、パウロにも会ったことのない、世界中の人々が預言を、自分に向けて語られたものだと受け止め、信じたからです。あなたがイエスを自分の主と信じ受け入れるとき、この預言はあなたにも成就するのです。
ミカは4章で、正義がもたらす平和を、全く正反対の状況の中で期待し、預言しました。そして続く5章で、それは特別な方が介入して実現するものだと預言しました。
ルカは、それが政治や経済や地位や軍事で特別なのではない、愛において特別な方、イエスなのだと彼の福音書で証言しているのです。
今も、どこの国も「自分たちさえ良ければ」と考えているように見えます。もっと正確にいうなら、「自分さえ良ければ」と考える権力者の下では、その国の民も欲望の対象でしかありません。実は、この国際状況はスケールを落として、一国の中、会社/学校などの組織の中、家族の中でも支配的です。その結果、ハラスメント(harassment)、虐待(abuse)がどこででも起こります。イエスは、神様が作った元々の人間関係は「愛」に基づくものだったはずだと言いたかったのだと思います。人はそれを捨て「欲望」に基づいて関係を築いてきました。余りにもあからさまなので「自己実現」といった格好良いい言葉を使ったりもしますが、本質は欲望以外の何物でもありません。そして欲望は、政治や経済や地位や軍事で優位に立とうとしてぶつかり合うのです。皮肉なことに「自己実現」に励めば励むほど、実現は遠退き、欲望はいつまでも満たされません。
イエスは、自己実現とは全く異なるアプローチ、「愛」に基づく関係を実現することを提案します。しかし愛は私たちの内側にはないものです。愛に立つためには、イエスに従う者、イエスと共に歩む者になるしかありません。愛に基づく人間関係は、愛である方につながる者だけが築くことができるのです。イエスは、このような表現で勧めています。
それから、イエスは皆に言われた。「わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを救うのである。人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の身を滅ぼしたり、失ったりしては、何の得があろうか。(ルカ9:23-25)
どうかあなたもイエスに従う者、イエスと共に歩む者として、自分の一番近い人間関係のなかで平和を実現する人として歩んでください。自分の無力に絶望してはいけません。イエスはそのために来られたのです。そのことのためなら、イエスは喜んで力を貸してくださいます。
メッセージのポイント
ミカの預言はイエスの誕生で成就しましたが、完結したわけではありません。現在進行形で今あなたに届こうとしています。ミカの預言は、あなたがイエスと出会い、イエスを主と受け入れて新しい人生を歩み始める時、あなたにも成就するのです。
話し合いのために
1) ミカはどのようなことを預言しましたか?
2) ミカの預言はあなたの生活にどのおよう意味があるのでしょうか?
子供たちのために
イエスの誕生がこのように預言されていたことを紹介して下さい。それが600年後イエスの誕生で実現したこと両方のテキストに触れて伝えましょう。その上で、預言の成就はあの時始まったけれど、実は今も完成していないと告げて下さい。その人が心にイエスを主と信じた時、預言はその人にも成就することになります。