ユアチャーチの信徒への手紙

池田真理 (永原アンディ)

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ユアチャーチの信徒への手紙

(テサロニケの信徒への第一の手紙 1:1-10)

 


 今年はユアチャーチ25周年目に当たる年です。ユアチャーチの昔について知りたい人はウエッブサイトのメッセージの索引で2013年9月ごろ何人かの人がリレーシリーズで行なった20周年の時のメッセージシリーズを読んでみてください。今朝は、今年のこと、そして未来のことをお話ししたいと思います。二年前にも同じ箇所からメッセージをしたのですが、25周年の年を迎える私たちの状況に相応しいと思うので、もう一度取り上げることにしました。


A. ユアチャーチとは何か?

 

1)  互いの信仰、希望、愛を支え合う家族

1 パウロ、シルワノ、テモテから、父である神と主イエス・キリストとに結ばれているテサロニケの教会へ。恵みと平和が、あなたがたにあるように。2 わたしたちは、祈りの度に、あなたがたのことを思い起こして、あなたがた一同のことをいつも神に感謝しています。3 あなたがたが信仰によって働き、愛のために労苦し、また、わたしたちの主イエス・キリストに対する、希望を持って忍耐していることを、わたしたちは絶えず父である神の御前で心に留めているのです。

 パウロは最初の挨拶もそこそこに、テサロニケの教会の信仰による働き、愛のための労苦、忍耐をよく知っていますよ、と手紙の内容に入ってゆきます。3節をもう一度読みましょう。

3 あなたがたが信仰によって働き、愛のために労苦し、また、わたしたちの主イエス・キリストに対する、希望を持って忍耐していることを、わたしたちは絶えず父である神の御前で心に留めているのです。

 多くの人が教会とは礼拝のための建物だと考えています。そして教会の活動とは、その建物の中で行われる、日曜日の礼拝や聖書の勉強会、祈り会、聖書を使った英語教室などのことだと考えられています。けれども教会の本質は「イエスに従って歩む人々の集合」です。イエスは「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」(マタイ 18:20) と言われました。そこに教会の原点があります。ですから、実は世界中のイエスに従う人々は目に見えない一つの大きな教会に属しているのです。しかし人の行動範囲は限られています。そこで、実際に関係を保てる範囲で、目に見える一つ一つの教会が存在するのです。
ですからユアチャーチは、日曜日や金曜日だけ活動しているのではありません。月曜から土曜日まで、ユアチャーチのメンバーがいるところにユアチャーチはあるのです。皆さんがユアチャーチだからです。皆さんが、そこにいる人々を愛する時、ユアチャーチはそこにあって愛の働きをしています。しかしその働きは労苦が伴い、忍耐を要するものです。一人で行うには荷が重すぎます。だからイエスは「2人、3人が」と言われたのです。私たちは、自分の状況だけを見て歩むなら簡単に絶望してしまうような世界で、イエスを見上げて歩む者とされました。何があっても愛し続けるには、イエスが共にいてくださる人々の集まりが必要です。それが教会です。ユアチャーチは互いの信仰、希望、愛を支え合う大きな家族として成長してきました。

 

2) 神様の愛によって選ばれている

4 神に愛されている兄弟たち、あなたがたが神から選ばれたことを、わたしたちは知っています。

 私たちは皆、自分で決めてここに集っているように思えますが、神様の目からみれば、あなたを選んでここに連れてきてくださったのです。選ばれるのは、私たちが優れているからではありません。むしろ神様は、弱い者、小さな者を用いて偉大なことをされるのです。神様はあなたと他の人々を組み合わせ、用いてユニークな働きをなさいます。ユアチャーチが始まった時からいる人も、途中から加わった人も、神様によって別の場所に移された人も、神様のユアチャーチを通しての働きに、その時々に用いられてきました。神様は、私たち一人一人に良い計画をお持ちです。同じように、それぞれの教会にも計画を持っておられます。イエスは選んだ人を一人にはしておきません。イエスをかしらとする一つの教会に属する人は、必ず目に見える一つの教会に置いて用います。そうでなければ、あなたの働きは目に見える形にはならないからです。
もちろん、集い始めたばかりで、まだ自分がユアチャーチのメンバーになるように招かれているという確信がないなら、すぐにメンバーになる必要はありません。じっくり観察して、他の教会にも行ってみて決めてください。しかし、イエスはあなたがどれかの教会のメンバーとなることを望んでいるということだけは忘れないでください。目に見える教会は人間の集まりです。人間の集まりである以上、問題のない教会は一つもありません。皆さんの中には、そう確信を持って教会のメンバーになったのに、そこで居場所を失ってここにきてくださった方もいます。完璧な教会が存在しない以上、そのような配置転換は起こります。わたし自身、ユアチャーチを始める前に三つの教会に仕えましたが、そこにい続けることは出来ないと思い、ユアチャーチを始めたのです。

 

3) 聖霊に導かれて進む

5 わたしたちの福音があなたがたに伝えられたのは、ただ言葉だけによらず、力と、聖霊と、強い確信とによったからです。わたしたちがあなたがたのところで、どのようにあなたがたのために働いたかは、御承知のとおりです。
6 そして、あなたがたはひどい苦しみの中で、聖霊による喜びをもって御言葉を受け入れ、わたしたちに倣う者、そして主に倣う者となり、

 なぜ、小さい者、弱い者が神様の働きを担うことができるのでしょうか?それは聖霊の働きによるのです。 パウロはテサロニケで主イエスの福音を伝えるのに、「言葉だけによらず、力と聖霊と強い確信によるものだった」と書いています。力とは、癒しや奇蹟のことです。それは聖霊が働いて起こされることです。そしてそれらのことは伝える者にも、伝えられる者にも大きな確信を与えました。特に困難な状況の中に教会がおかれるとき、神様は聖霊として介入され力を表され、私たちは確信を持って進んでくることができました。 ユアチャーチは聖霊が働かれることを、いつも期待しながら歩んできました。去年の暮れもそうでしたが、それ以前にも聖霊が強く働いてくださらなければ、これ以上前には進めないというときがなんどもありました。これからも期待していきたいと思います。このことはユアチャーチの礼拝の形にも良く現れています。ただ形式張ったことを嫌ってこのような礼拝をしているわけではありません。私たち一人一人が、神様の呼びかけを聞き、慰められ、力付けられ、それに応えて、ここから出て、それぞれが置かれているところで「愛する」ために、私たちにとって相応しい礼拝形式だと考えてきたからです。パウロの言う言葉の部分がメッセージの時であり。そのあと歌う時が、神様と会話する時、聖霊に満たされる時です。この時を大切にすることで、私たちの歩みに力と確信が与えられるのです。

 


B. コミュニティーの希望となる

 

1) 生き方の良いモデルになろう

6 そして、あなたがたはひどい苦しみの中で、聖霊による喜びをもって御言葉を受け入れ、わたしたちに倣う者、そして主に倣う者となり、

7 マケドニア州とアカイア州にいるすべての信者の模範となるに至ったのです。

8 主の言葉があなたがたのところから出て、マケドニア州やアカイア州に響き渡ったばかりでなく、神に対するあなたがたの信仰が至るところで伝えられているので、何も付け加えて言う必要はないほどです。

 ユアチャーチが他の教会の模範になると言うのは傲慢に聞こえますが、教会は互いに、良い影響を与え合うことができるのだと思います。ユアチャーチもいくつかの教会のあり方から教えられて、今の姿があります。私たちが生き生きと主の働きに仕える時、他の教会の励ましになることができるのです。しかし、他の教会の模範になることが私たちの目的ではありません。結果としてそうなるのです。私たちの目的は与えられている勤めを忠実に果たすことです。その勤めとは、神様を愛し(礼拝)、互いに愛し合い(支え合い)、世界を(人々を)愛することです。
私たちが置かれているところで、それぞれイエスの愛を行うことで、ユアチャーチは愛を行う教会となるのです。私たちはこの目的がぶれないように歩んできました。この目的のためには、何かを始めることも、何かをやめることも恐れないで歩んできました。この新しい時、新しい四半世紀に主が何をしてくださるか、主に尋ねながら進んでいきましょう。

 

2) どんな時でも希望を指し示そう

9 彼ら自身がわたしたちについて言い広めているからです。すなわち、わたしたちがあなたがたのところでどのように迎えられたか、また、あなたがたがどのように偶像から離れて神に立ち帰り、生けるまことの神に仕えるようになったか、
10 更にまた、どのように御子が天から来られるのを待ち望むようになったかを。この御子こそ、神が死者の中から復活させた方で、来るべき怒りからわたしたちを救ってくださるイエスです。

 パウロはテサロニケの人々が偶像から離れて神様に立ち返り、神様に仕える者となったことが、他の地域にいる人たちに伝えられている、と記しています。偶像とは自己中心、罪の象徴です。偶像礼拝は、単純に木や石で出来たものを拝むことではありません。現代の偶像はもっと巧妙で、独裁者であったり、自分の力や地位や財産である場合であることの方が多いのです。それらの全ての共通点は神様から私たちを引き離すものだという点です。

不確実で、希望の見えない社会の中でも、私たちは主イエスがともにいてくださるという希望を持っています。一人一人の健康状態、経済状態、人間関係は様々でも、私たちはおかれた状況の中で輝いています。希望を指し示すのに、難しい言葉はいりません。どんな時でもイエスを見上げて歩み続ける人の内に、周りの人々は希望や安心や平和を見出します。どんなに福音の内容を言葉で伝えようとしても、限界があります。その人の中に、深い喜びが感じられなければ、その人の語る福音には誰も耳を傾けません。私たちは、私たちの人生を変えたイエスを紹介したいと思っています。そのために必要なことは、聖霊による喜びに満たされることです。そうすれば、人々の方から「あなたの喜び」の秘密を知りたいと思うのです。


メッセージのポイント

私たちはユアチャーチという大きな家族の一員です。この家族は全ての人に開かれています。それぞれの置かれている状況は違っていても、ただイエスの従って歩みたいという願いだけは同じです。イエスに従って歩むなら、憎しみや不寛容、利己主義によって傷ついた世界・人間関係を癒す者となれます。

 

話し合いのために

1) ユアチャーチとは何ですか?
2) ユアチャーチは何のために存在しますか?

 

子供たちのために

ユアチャーチが、イエスに従って共に歩もうとしている大きな家族である事を伝えてください。それは、ユアチャーチでのお友達や、親以外の大人達も信頼できる家族の一員だということです。核家族的環境に置かれている子供達が多いと思うので、ユアチャーチがユニークな大家族である事は、今回に限らず時々伝えてください。