永原アンディ
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何に望みをかけるのか?(詩編 39)
A. 主との会話に戻ろう
1) 心は黙っていられない (1-4)
1 【指揮者によって。エドトンの詩。賛歌。ダビデの詩。】
2 わたしは言いました。「わたしの道を守ろう、舌で過ちを犯さぬように。神に逆らう者が目の前にいる。わたしの口にくつわをはめておこう。」
3 わたしは口を閉ざして沈黙しあまりに黙していたので苦しみがつのり
4 心は内に熱し、呻いて火と燃えた。わたしは舌を動かして話し始めた。
なぜ神に逆らう者の前で、詩人は「わたしの道を守ろう、舌で過ちを犯さぬように。神に逆らう者が目の前にいる。わたしの口にくつわをはめておこう。」と決めたのでしょうか?それは悪に対してであっても、私たちの反応は、神様をがっかりさせるようなものになりがちだからです。十字架の上のイエスのように、呪われたら、祝福やとりなしの言葉で言い返すことはできません。呪いの言葉や上毛時期の言葉が出てきてしまうのです。ですから誰でも、何回か失敗したら黙っていようと思うのです。でもなかなかうまくはいきません。詩人も、やはり黙っていられなくなってしまいました。でもよかったのは、彼が主に向かって語り始めたことです。次の部分を読んでみましょう。
2) 人には話せないことも主には話せる (5-7)
5 「教えてください、主よ、わたしの行く末をわたしの生涯はどれ程のものかいかにわたしがはかないものか、悟るように。」
6 御覧ください、与えられたこの生涯は僅か、手の幅ほどのもの。御前には、この人生も無に等しいのです。ああ、人は確かに立っているようでもすべて空しいもの。
7 ああ、人はただ影のように移ろうもの。ああ、人は空しくあくせくしだれの手に渡るとも知らずに積み上げる。
詩人は主に問いながら、自分の心を落ち着かせていきます。「私の人生の短さ、はかなさを悟るように教えてください。」という詩人の気持ちがわかるようになるにはみなさんには、まだしばらく時間がかかるでしょうか?40才になれば、人生はもう半分近く来てしまったと実感できるでしょう。50才にもなれば、残されている時間の方が少ないと、ちょっと焦ります。そして60才になれば、彼の気持ちが自分のこととしてわかるでしょう。しかも詩人は苦難の中にいます。命を狙われてもいます。それも遠くの敵ではなく、家族のような身近な人々でさえ気を許せないでいるようです。自分が積み上げて来た地位も名誉も尊重されず、財産は狙われています。「なんて人生とは空しいものなのだろう」と神様に言わずにはいられなかったようです。
しかしその感覚があるにも関わらず、詩人は絶望していません。あやふやな世界の中で、たった1つだけ確かな知識があります。詩人はそれを持っていたからです。
そのお話をする前に、旧約聖書の別の書を紹介したいと思います。この「空しさ」をよく知っているもう一人が書いています。「コヘレトの言葉」です。コヘレトとは人の歩むべき道を教える者つまり伝道者を意味する言葉です。何節か見てゆきましょう。まず1章1-3節です
エルサレムの王、ダビデの子、コヘレトの言葉。 コヘレトは言う。なんという空しさなんという空しさ、すべては空しい。 太陽の下、人は労苦するがすべての労苦も何になろう。
「エルサレムの王、ダビデの子、コヘレトの言葉」と書かれているように、伝統的にはダビデの子、ソロモンが書いたとされていますが、実際にはもう少し後代に書かれたもので、詩編の中にダビデまで遡れる部分があるように、ソロモン自身の言葉も含まれているようです。しかし「なんという空しさなんという空しさ、すべては空しい。」です。「太陽の下、人は労苦するがすべての労苦も何になろう」諦めているように聞こえます。あとでまたコヘレトを開きますが、その前に詩編に戻って8-10節を読みましょう。
B. 主に望みをかけよう
1) 最も空しいこと:空しいものに望みをかけること (8-10)
8 主よ、それなら何に望みをかけたらよいのでしょう。わたしはあなたを待ち望みます。
9 あなたに背いたすべての罪からわたしを救い神を知らぬ者というそしりを受けないようにしてください。
10 わたしは黙し、口を開きません。あなたが計らってくださるでしょう。
あ、人は皆、空しい。
コヘレトも、詩人も人の人生の空しさを知っています。しかし絶望していません。彼らは、絶望しなくても済む唯一の知識を知っているのです。詩人は「主よ、それなら何に望みをかけたらよいのでしょう。わたしはあなたを待ち望みます。」と言います。ここが空しい人生と、充実した人生を分けるポイントです。多くの人は空しくあくせくしだれの手に渡るとも知らずに積み上げるのです。
あなたはどうですか? 詩人と同じように、主に望みをかける事を知っていますか?まだ、20代、30代だから知らなくていいやと思わないでください。若くても、死を意識せずにいられないことが起こります。絶望する事が起こります。今みなさんは、この主のことを聞いています。なぜここで聞いているのでしょうか?主がチャンスを下さったからです。コヘレトの言葉に耳を傾けてください。彼は、先ほどの箇所の後も、空しい、空しいと言い続け、表面的には「だから美味しいものを食べて、楽しい事をしよう」と言っているような箇所もあり、そうかと思えば、さすが伝道者と言えるような、人生についての深い知恵も披露していますが。彼の結論はこうです。
青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ。苦しみの日々が来ないうちに。「年を重ねることに喜びはない」と言う年齢にならないうちに。太陽が闇に変わらないうちに。月や星の光がうせないうちに。雨の後にまた雲が戻って来ないうちに。 12:1,2
すべてに耳を傾けて得た結論。「神を畏れ、その戒めを守れ。」これこそ、人間のすべて。 12:30
私は21才の時に、主を信じました。それでも、もっと早く出会えたらよかったなあと思う事があります。一度主に従う決心をすればそこからは永遠の付き合いですが、「じゃあ、まだいいや」と思わないでください。空しい空しいと言いながら老人になってはいけません。人生は短いですが貴重です。
まだ迷っているなら、今日が決心の日となりますように。最後に残りの部分を読みます。
2) 主の元に身を寄せる (11-14)
11 わたしをさいなむその御手を放してください。御手に撃たれてわたしは衰え果てました。
12 あなたに罪を責められ、懲らしめられて人の欲望など虫けらのようについえます。ああ、人は皆、空しい。
13 主よ、わたしの祈りを聞き助けを求める叫びに耳を傾けてください。わたしの涙に沈黙していないでください。わたしは御もとに身を寄せる者先祖と同じ宿り人。
14 あなたの目をわたしからそらせ立ち直らせてくださいわたしが去り、失われる前に。
詩人は、おそらく病にも苦しんでいます。空しいという感覚はさりません。しかし、感情よりももっと深いところで、魂では主を信頼し呼びかけることをやめません。私たちがするべきことも同じです。主に呼びかけましょう。呼びかけ続けましょう。そして、そのままで、主の元に身を寄せるのです。彼がいうように、私たちは皆、例外なく地上では旅人です。しかし、旅の途上であっても、どんな時でも身を寄せることのできる、信頼できる方がいることを思い出しましょう。それは主イエス・キリストです。祈った後で私たちは数曲、歌います。全て、主に向かって歌う歌です。綺麗に合唱するためでも、人に聞かせるためでもありません。メロディーがわからなくても、スクリーンに映し出された言葉が、自分が主に対して伝えたい言葉なら、言葉だけで主に呼びかけてみてください。主は応えて、あなたの心に呼びかけてくださいます。期待して歌いましょう。それはあなたが主と出会い、語り合う貴重な時間です。
メッセージのポイント
様々な人間関係の中で、信頼や安心や満足を得るためにできることはいろいろありますが、一人一人の主との関係の関係の中に、信頼や安心や満足を得ていなければ、人間同士の関係の中でそれらを期待することは出来ません。主に望みをかけて、主の愛に基づいた人間関係を築きましょう。
話し合いのために
1) 詩人はなぜ黙っていようと思ったのでしょう?
2) 主の手が私たちを撃つのでしょうか?
子供たちのために
祈ることを勧めましょう。いつでもどこでも、声に出しても出さなくても、一人で祈れることを教えてください。祈ると、イエス様が確かにおられることをもっとよく感じられます。一人ぼっちではないことがわかります。大人たちも助けてくれますが、大人たちもイエス様のように完全ではありません。だから、お父さんや、お母さんが、イエス様の力や知恵をいただけるようにも祈りましょう。親や兄弟も病気や怪我をすることがあります。そんな時、とりなしの祈りができることを教えてあげてください。