永原アンディ
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喜べ! インマヌエルがあなたのために生まれる!
讃美歌「久しく待ちにし」より
(イザヤ書 7:10-14、マタイによる福音書 1:21-23)
今日から教会のカレンダーでは待降節、イエスの誕生を待ち望む4週間を過ごします。今歌われた歌は、それまでのイスラエルの困難な社会状況をよく反映しています。救い主というべき最強の国民的英雄が待ち望まれていました。イエスの誕生からおよそ700年前の預言者の言葉、イザヤ書7:10-14を読みます。
主は更にアハズに向かって言われた。「主なるあなたの神に、しるしを求めよ。深く陰府の方に、あるいは高く天の方に。」 しかし、アハズは言った。「わたしは求めない。主を試すようなことはしない。」 イザヤは言った。「ダビデの家よ聞け。あなたたちは人間にもどかしい思いをさせるだけでは足りずわたしの神にも、もどかしい思いをさせるのか。 それゆえ、わたしの主が御自らあなたたちにしるしを与えられる。見よ、おとめが身ごもって、男の子を産みその名をインマヌエルと呼ぶ。
救い主はイエス誕生の700年も前から、待ち望まれていたのです。そしてこの預言はイエスの誕生によって成就しました。マタイによる福音書 1:21-23読みます。
マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」 このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。 「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。
この世界に救い主は来られました。しかし、当時のほとんどの人は救い主を待ち望んでいたのに、イエスを救い主とは信じられませんでした。イエスが彼らの期待通りの軍事的リーダーでも、政治的リーダーでも、宗教的リーダーでもなかったからです。しかし、彼らの中でごく少数の人々は、イエスを救い主・神と信じました。彼らは、それを<良い知らせ>として人々に伝え、そしてそれは私たちにも伝わりました。「神は我々と共におられる」インマヌエルという良い知らせなのです。そう呼ばれるイエスは、何のためにあなたのところに来られたのか、この讃美歌の歌詞を手掛かりに確認してゆきましょう。
1. あなたを束縛から解放するために
来てください、来てください、インマヌエル、捕囚イスラエルを解放してください。試練の中で苦しみ、神の子から引き離されている民を。
喜べ、喜べ! インマヌエルがあなたのために生まれる。イスラエルよ!
この一節の背景は、イスラエルはバビロニアに敗れ、政治家や宗教家、技術者などの多くが連れ去られた事件(Babylonian captivity)です。この出来事が象徴しているのは、どのような時代の、どのような文化に生きていても、人は誰でも自分ではコントロールできない力によって悩んだり苦しんだりしているということです。イエスはこの束縛から私たちを解放するために来られました。この詩人は「神の子イエス」から離れていることこそが、人が自由になれない根本的な原因であると見抜いています。イエスが来られたのは、自分の偏見や、思い込みや、不安や、不満に捕らわれている私たちを、共にいることによって解放するためです。
2. あなたを死の恐れから救い出すために
来てください、エッサイの芽よ、あなたの民を、敵の爪から、
地獄から、墓穴から導き出して下さい。
喜べ、喜べ! インマヌエルがあなたのために生まれる。イスラエルよ!
二節の歌詞は、イエスが私たちを死の恐れから救い出すために来られたことを教えてくれます。当時と今とでは医療技術も社会情勢も違いますが、死は、今も私たちにとって、重く、大きく、避けることのできない問題です。自分自身の死についてはもちろん、愛する者の死に直面して、私たちの感情も、理性も全く無力であることを思い知らされます。だから、なるべく忘れていようするのですが避けることはできません。エッサイはダビデ王の父の名で、芽とあるのはインマヌエルと呼ばれる救い主がダビデの家系から生まれることが実現したことを表しています。ダビデの家系のヨセフの子として、この世に生まれたイエスは、私たちに永遠の命を与えるために来られました。私たちの肉の体は滅びても、魂は永遠に主イエスと共にあります。
3. あなたの現状を変えるために
来てください、来てください、私たちをなぐさめる夜明け
夜の闇、死の影を追い払って下さい
喜べ、喜べ! インマヌエルがあなたのために生まれる。イスラエルよ!
インマヌエルと呼ばれる方が来る事は、その人の人生に夜明けをもたらすことになります。だから、喜びなさい!インマヌエルがあなたのために生まれる!と謳われているのです。今は、闇の中にいるように思える状況にあっても、イエスはその闇を追い払う光として来られました。イエスが来られたことを知り、受け入れ、イエスと共に歩み始めた人は、イエスという光の中を歩んでいるのです。もしあなたが暗闇の中を歩んでいるようだと思えるなら、ぜひイエスと共に歩む人生を始めてください。
4. あなたに祝福された未来を与えるために
来て下さい、ダビデの鍵!王となって天の国を開き
私たちがそこに向かうの道を守って下さい。そして地獄への道を閉ざして下さい。
喜べ、喜べ! インマヌエルがあなたのために生まれる。イスラエルよ!
第4節の歌詞の鍵は「鍵」です。鍵には二つの機能があります。開くことと、閉じることです。イエスは、あなたのために閉じられていた神の国への扉を開き、地獄への道を閉ざすために来られたのです。鍵は自動ドアではありません。あなたが受け取って、あなたが開く、あるいは閉じるのです。目の前にある一番安易な道は、大きく開いている、地獄への扉を気にもとめず、そこを通っての向くままに歩き続けることです。イエスという鍵を受け取り、開いている扉を閉じ、閉じている扉を開くのは大きな決断であり、方向転換だからです。前の節で、イエスはあなたの今を変えるために来られたとお話ししましたが、もちろんそれはあなたの未来を変える事でもあるのです。それは神の国へと続く道の旅です。この祝福に満ちた旅をスタートするための鍵としてイエスは、あなたのところに来られたのです。
5. あなたが正しく生きるために
最後に第5節の歌詞から、この旅の道について考えたいと思います。
来てください来てください、アドナイ(主)よ!
威厳と栄光の中で天より律法を与えられたシナイの民に
喜べ、喜べ! インマヌエルがあなたのために生まれる。イスラエルよ!
私たちは自己実現を目的にすることが、返って自分を不自由にすることを、最初の節で確認しました。歩み始めることができることを第4節で確認しました。
それでは私たちが歩むべき道とはどのようなものなのでしょうか?イエスはご自分を指して「あなたがたの歩むべき道、求めるべき真理、生きるべき命です」と言われました。
イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを 通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。(ヨハネによる福音書14:6)
イエスが、道であり、真理であり、命であるということを、この歌ではインマヌエルと呼ばれる方がアドナイ(私の主)だという表現で教えてくれます。何週間か前に詩編のメッセージで神様の名前についてお話ししました。イスラエルの人々は、エロヒーム(私は在る)と紹介された神様の名前を、みだりに口にしないようにアドナイと言ったり、書いたりしていました。ですからこの歌詞は、神ご自身が、あなたの主として来ると言っているわけです。
祝福に満ちたあなたの将来は、イエスという道を歩くことによって約束されています。イエスを主、神として一緒に歩いてゆくということです。それが、神様がそのようなものとして創られた、私たち本来の生き方なのです。
モーセを通してシナイ山で神様に律法を与えられた民のように、あなたが新しい神の民となるように、インマヌエルの神様、イエス・キリストは来てくださいました。このことを喜び、今年もクリスマスをお祝いして、イエスと共に歩む新しい一年を期待して迎えましょう。
メッセージのポイント
イエスが来られたのは、私たちを悲しみ、苦しみ、不安、不満から解放するためです。彼がインマヌエル(神は私たちとともにおられる)と呼ばれたのは、それらの問題が、彼と共に生きることによって問題ではなくなってしまうからです。イエスの友となり、イエスと共に歩み、イエスを大切な人たちに紹介しましょう。
話し合いのために
1) インマヌエルとはどのような意味ですか?
2) イエスはあなたに何をしてくださるためにこられたのでしょうか?
子供たちのために
預言者イザヤはイエスの生まれる700年も前に、救い主イエスの誕生をこう預言しました。私たちを悲しみ、苦しみ、不安、不満から解放するためです。イエスがインマヌエル(神は私たちとともにおられる)と呼ばれたのは、それらの問題が、イエスと共に生きることによって問題ではなくなってしまうからです。インマヌエルの意味を知り、イエス様がそばにいてくださることを確認し、クリスマスのお祝いの心の準備をさせて下さい。