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ソロモン王の限界を超えて
(詩編 72) 永原アンディ
この詩を表題通りソロモンに帰すことはできませんが、ソロモンが父ダビデに次ぐ有名な王で、知恵に関しては父を凌ぐ存在であったことは列王記からも明らかで、その片鱗がこの詩にも見られます。民のことをよく心に留めていた、古代イスラエル史の中の数少ない良い王様だったことは確かです。しかしダビデもそうであったように、また聖書の中で好意的に扱われている多くの人々と同様に、手放しでは誉められない点も彼は多く持っていました。列王記にはダビデ以降のイスラエルの王たちの歩みが記されています。そして、それぞれの王についての記述の結びのところで短い評価がなされています。ソロモンの生涯のまとめの部分には「彼の心は、父ダビデの心とは異なり、自分の神、主と一つではなかった。」(I列王記11:4) とあります。
A. どんなに優れた王にも限界がある
1. 王の良心 (1-7, 12-14)
神よ、あなたの公正を王に あなたの正義を王の子にお授けください。彼が正義によってあなたの民を 公正によって苦しむ人を裁きますように。山々が民に平和を 丘が正義をもたらしますように。王が民の中の苦しむ人を裁き 貧しい人の子らを救い 虐げる者を砕きますように。王が、太陽と月のあるかぎり 代々にわたってあなたを畏れますように。王が、刈り入れ後の牧草に降る雨のように 地を潤す豊かな雨のようになりますように。王の治世に正しき人が栄え 月の失われるときまで平和が豊かにありますように。(1-7)
王が、叫び声を上げる乏しい人を 助ける者もない苦しむ人を救い出しますように。弱い人、貧しい人を憐れみ 貧しい人の命を救い虐げと暴力からその命を贖い 王の目にその人たちの血が 貴いものでありますように。(12-14)
ソロモンは父ダビデの生き方を見てきました。父を尊敬し、自分も正しく国を治めるられるよう神様に求める態度が少なくとも即位当時にはあったのです。それがこの詩にも表れています。彼は、「知恵に優れた王」として世界的にもなの知られた王でした。その知恵で正しく治めていたので尊敬されてもいたのです。知恵は彼に強大な権力と莫大な富をもたらし、ダビデが実現できなかった神殿の建設も実現しました。しかし聖書は偉人伝ではありません。完全無欠な人間はいないどころか、ソロモンほど知恵のある人でも見事なほどに堕落してしまうことを率直に記録しています。
2. 腐敗しない権力はない (8-11)
先に読んだ部分と交互に出てくるところを読んでみます。
8 海から海まで、川から地の果てまで 王が支配しますように。9 砂漠に住む者が王の前に身を屈め 敵が塵をなめますように。10 タルシシュと島々の王たちは献げ物を携え シェバやセバの王たちが貢ぎ物を納めますように。11 すべての王が彼の前にひれ伏し すべての国が彼に仕えますように。
先ほどの部分とはずいぶんトーンの異なる願いです。民の幸せではなく、自分の利益のための願いです。他の国は彼にとっては自分に富をもたらすために支配しなければならないものなのでした。彼には、様々な民族出身の妻、側室合わせて1000人がいました(列王記11:3)。列王記の記者は、ソロモンの堕落の原因を彼の妻たちにあるとみています。海外出身の妻たちがそれぞれの神を持ち込んでソロモンを神様から引き離したと言っています。しかしそれは、きっかけにすぎません。初めから持っていた彼の負の部分が、妻たちの偶像礼拝を触媒に表れ、ダビデのようには神様との一致を保てなかったということです。
王を与えてくださいと懇願されて「どんな王であれ、必ず民は苦しむことになる」と警告したのはサムエル(サムエル記上8)でした。彼の警告は、今でも有効です。
どんなに優れた知性と優しい心を持っていたとしても、人を苦しめ悲しませてしまう利己心や欲望がない人はいません。正義の理想に燃えた革命家が権力を持つとやがて冷酷な独裁者に変わっていった例を私たちは沢山知っています。誰もが独裁者になるわけではありませんが、どんなに良い指導者に見えても、絶対の信頼を置こうとすれば必ず失望します。そしてそれは国家のリーダーだけではありません。もっと小さな、教会や家庭のようなコミュニティーのリーダーにしても同じことが言えます。
しかし、私たちはこの歴史の中でただ一人だけ、誰一人傷付けず悲しませず、平和と喜びを与える王、リーダーを知っています。それが私たちの主、イエス・キリストなのです。
B. すべてのものの王である神 (15-20)
15 王が命を得、シェバの黄金を受けますように。人々が王のために絶ず祈り 日夜、王を祝福しますように 16 地には一面の麦 その実りはレバノンのように 山々の頂まで豊かに波打ち 町には人が地の青草のように栄えますように。17 王の名がとこしえに続き その名が太陽のある限り栄えますように。すべての国民が彼によって祝福を受け 彼を幸いな人と呼びますように。
18 神である主をたたえよ イスラエルの神を ただひとり奇しき業を行う方を 19 栄光に輝く主の名をとこしえにたたえよ 栄光が全地を満たしますように。アーメン、アーメン。20 エッサイの子ダビデの祈りの終り。
1. 完全な王、イエス
信頼してきた人に裏切られるのは辛いことです。人間だけではありません。価値観や、主義・主張や哲学、国家や政党や教会あるいはもっと小さなグループでも、それは起こります。最初からあなたを利用するつもりで近づいてくるようなものもありますが、善意で始まった場合でも問題は起こります。人間は変わりやすいものなのです。普通の信仰を持った牧師が、突然独善的な教義に取り憑かれたり、牧師の権威を強調して自分の帝国(神の国ではなく)を作り始めるといったことが起こるのです。
しかしそのようなことがあって、私たちは初めて人間の王ではダメなのだと悟ったのです。イエスは誰も満足させることのできなかった私たちの心を満たしてくださいました。イエスは完全な王です。それは将棋で名人も負かすAIのような機械的な完全さではありません。弱さも強さも喜びも悲しみも、自分のこととして知っていて、私たちの弱さにも強さにも喜びにも悲しみにも、自分のことのように付き合ってくれる方です。従わなかったら酷い目にあうからでも、従って行ったらご褒美をもらえるからでもなく、ついて歩くことが何よりも嬉しく感じられ、平和でいられ、自分らしく生きられるから、私たちは主イエスの従って歩んでいるのです。そして、イエスは私たちの方で背を向けない限り、永遠に私たちを見放すことのない方なのです。
2. イエスに従って生きる幸せ
イエスを王と認めるなら、どのようなレベルであれ人間の指導者に失望する必要がなくなります。自分も王ではないのですから、自分に失望する必要もありません。イエスがあなたを選び、あなたがイエスに応えてここにいるのです。イエスがすぐ近くにいてくださるなら、その人があなたとどのような関係の人間であれ、あなたと同様の弱さ、不完全さ、罪深さを持っていることを率直に認めることができます。イエスなしには、イエスが勧めるように互いに赦し合いながら生きるということはできません。イエスとともに歩んでいるなら誰に対しても上から目線になることも、卑屈になることもないのです。
メッセージのポイント
どんなに優れた知性と優しい心を持っていたとしても、人を苦しめ悲しませてしまう利己心がない人はいません。正義の理想に燃えた革命家も権力を持つとやがて冷酷な独裁者に変わってしまいます。私たちはこの歴史の中でただ一人だけ、誰一人傷付けず悲しませず、平和と喜びを与える王として、イエスを信じ、彼に従って生きているのです。
話し合いのために
1) ソロモン(ダビデ)王の弱点(優れた点)はどんなところですか?
2) イエスはどのような意味で完全な王なのでしょう?
子供たちのために
この詩を用いずダビデ、ソロモンの優れていたところ良いところと、彼らの残念な点をサムエル記2と列王記1のエピソードから紹介してもいいとおもいます。人間の権力者には限界があることを知り、イエスを王として信じ従って行く素晴らしさを伝えて下さい。