私たちに委ねられている良いもの

 

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私たちに委ねられている良いもの

(2テモテ 1:3-14) 

池田真理

 

 新しい年が始まりました。去年の暮れから、今年のテーマになる聖書箇所はどこか考えていたのですが、今回はあまり迷いませんでした。「あなたに委ねられた良いものを聖霊によって守りなさい」という言葉です。テモテへの手紙第二の1章にあります。私たちにはすでに委ねられている良いものがあります。でも、それは決して私たちが自分の力で守れるものではなく、聖霊様によらなければ守ることはできません。そのことを、今日は第二テモテ1章から考えていきたいと思います。まず3-5節です。

 

A. 信仰を引き継ぐ喜び (3-5)

3 私は、夜も昼も祈りの中で絶えずあなたのことを思い起こし、清い良心をもって先祖以来仕えている神に感謝しています。4 私は、あなたの涙を忘れられず、あなたに会って、喜びに満たされたいと願っています。5 また、あなたが抱いている偽りのない信仰を思い起こしています。その信仰は、まずあなたの祖母ロイスと母エウニケに宿りましたが、それがあなたにも宿っていると、私は確信しています。

 この手紙はパウロからテモテにあてられた個人的な手紙とされています。でも、聖書学者の間では、実際はパウロ自身の言葉ではなく、後代の人が何らかの形で編集したものだというのが通説です。でも、だからといって、この手紙の価値が下がるわけではありません。この手紙は確かにパウロの教えに基づき、パウロとテモテの信頼関係を軸に書かれています。その価値は時代を超えて普遍的なものです。だから、こうして新約聖書に含まれて私たちの手元に届いています。
 パウロとテモテがどのような関係だったのか、使徒言行録とパウロの手紙全体にヒントがあります。まず使徒言行録14・16章を読むと、二人の出会いの様子が伺えます。テモテはギリシア人の父とユダヤ人の母を持つ若者でした。でも父親のことは何も記録に残っていないので、おそらく父親は早くに亡くなり、祖母と母親と生活していたようです。そして、これもおそらくですが、テモテの住んでいた町にパウロがやってきて、まず祖母と母親がイエス様のことを信じるようになり、テモテも二人に続きました。そして、2回目にパウロがやってきた時、パウロの願いによって、テモテはパウロと共に旅をするようになります。その後、パウロはテモテを信頼し、自分の代理として様々な地域の教会に送り出したことが、多くのパウロの手紙から分かります。テモテの名前はほとんど全てのパウロの手紙に登場します。

 今日読んでいるテモテへの手紙第二は、パウロの処刑が現実的に近づいている状況が設定されています。パウロは獄中にいながらテモテを励まし、手紙の最後には急いで自分のところに来てほしいと願っています。今読んだ4節にも、「私は、あなたの涙を忘れられず、あなたに会って、喜びに満たされたいと願っています」とあります。おそらくテモテは、これより前に最後にパウロと別れた時に、これが最後になるかもしれないということを予感して涙を流しました。テモテにとってパウロは、先生であり父親であり、共に苦労して旅をしてきたいちばんの仲間でもありました。パウロにとってもテモテは信頼できる弟子であり、仲間であり、愛する子供でもありました。二人には、イエスを愛してイエスのことを人々に伝えたいという共通の願いがありました。その願いは最初はパウロからテモテの祖母と母親に、それからテモテに引き継がれた願いです。イエス様を愛する心が、二人の関係を強めました。

 私たちも、パウロとテモテのように、イエス様を愛する信仰を引き継いでいます。私たちに信仰を引き継いでくれた人たちに、私たちは感謝しますが、同時にその人たちはいつまでも私たちの先生であるのではなく、苦労を共にする仲間になります。反対に、私たちが誰かに信仰を引き継ぐときも、最初は私たちが先生役かもしれませんが、やがてイエス様を愛する心を共にし、共に支え合う仲間になります。そういう信頼関係は、それぞれがイエス様のことをまず第一に愛していなければ成立しません。反対に言えば、それぞれがまず自分でイエス様を信頼して愛しているなら、同じイエス様を信じる仲間との信頼関係は自然と強まります。そして、互いの中にイエス様が生きておられることを見られることが、生きる喜びになります。
 今年一年が、この生きる喜びをそれぞれがもっと味わえる一年になればいいなと思います。時には信仰を渡す側になり、時に受け取る側になり、互いに励まし励まされる関係がもっと私たちの間で実現しますように。そのために必要なのは、それぞれがイエス様を愛することですが、それは具体的にどのようなことを意味するのか、続きのパウロの言葉から聞いていきましょう。少しずつ読んでいきます。まず6-7節です。

 それでは、今度は私たちの向かうべき方向はどちらなのか、どうやって目指すのか、ヘブライ人への手紙から確認していきたいと思います。ヘブライ人への手紙11:1です。

 


B. 信仰を引き継ぐとは

1. 聖霊の力を燃え立たせる (6-7)

6 こういうわけで、私はあなたに注意したいのです。私が手を置いたことによってあなたに与えられた神の賜物を、再び燃え立たせなさい。7 神が私たちに与えてくださったのは、臆病の霊ではなく、力と愛と思慮の霊だからです。

 イエス様を愛して互いに支え合うために私たちがまずするべきことは、聖霊の力を求めることです。聖霊の力というと、何か不思議な現象が起こることを想像してしまいがちですが、それは聖霊の力の第一ではありません。聖霊は神様の霊であり、イエス様の霊で、私たちに神様への思い、イエス様への思いを与えることが聖霊の最も重要な働きです。聖霊の力なくしては、誰もイエス様を愛することはできません。私たちは、人生のどこかでイエス様に出会う時、すでに自分では分からなくても聖霊の力を受けています。そして、聖霊が私たちの理性にも感情にも働き、導いてくださって初めて、私たちはイエス様を信じる決心ができます。一度決心した後も、イエス様を信頼に足る方だと信じ、この方と共に人生を歩みたいと思い続けられるのは、聖霊が私たちに働いているからです。でも、私たちはそのことを忘れてしまいがちです。

 テモテは、パウロがもうすぐ死んでしまうかもしれないと悲しみ、恐れていました。そんなテモテにパウロは語りかけています。もう一度あなたの中に住む聖霊を燃え立たせなさい。聖霊は臆病の霊ではなく、あなたに力を与え、愛を教え、何が大切なことか見分けさせてくれるはずだ、と励ましたのです。私たちもこの言葉を心に留めましょう。

 それでは次の8節です。

 

2. 苦しみを共にする (8)

8 ですから、私たちの主を証しすることや、私が主の囚人であることを恥じてはなりません。むしろ、神の力に支えられて、福音のために、苦しみを共にしてください。

 大切な人の苦しみは、自分の苦しみ以上に辛く感じます。それによって私たちの内からイエス様への感謝と喜びが消えてしまうことがあります。でも、そんな時こそ、嘆くばかりではなく、それでも神様は良い方なのだと言い続けてほしいと、パウロはテモテに望みました。イエス様の福音は、私たちの置かれている状況によって左右されるような不安定なものではありません。私たちはそのことを確信して、大切な人の苦しみを痛みながら、イエス様を信頼し続けることができるでしょうか?神様への希望を失って絶望している人にとって、他の誰かが希望を失わないで信じている姿を見ることは、それ自体が希望になります。最初はそう思えなかったとしてもです。それが、私たちが互いに苦しみを共にするということです。
 パウロはさらにテモテを励ましています。9-10節です。

 

3. 神様の計画に参加していることを思い起こす (9-10)

9 神が私たちを救い、聖なる招きによって呼び出してくださったのは、私たちの行いによるのではなく、ご自身の計画と恵みによるのです。この恵みは、永遠の昔にキリスト・イエスにあって私たちに与えられ、10 今や、私たちの救い主キリスト・イエスが現れたことで明らかにされたものです。キリストは死を無力にし、福音によって命と不死とを明らかに示してくださいました。

 これは福音とは何かの復習です。この2節は原文では詩のように書かれており、おそらくみんなが暗記していたか、賛美歌の一節として歌われていました。テモテはもちろん覚えていたはずです。パウロは、そのなじみのある言葉で、テモテに原点を思い出しなさいと言っています。原点とは、私たちは共に神様によって選ばれたということです。それは私たちの行いによってではなく、私たちが優れていたからでもなく、ただ神様の計画と恵みによります。私たちが選んだのではなく、神様が私たちを選んでくださったということを、私たちも覚えておく必要があります。イエス様にある希望を伝えるために、神様は私たちを呼び出して、ご自分の計画に参加させてくださっています。

 この計画は私たちの計画ではなく、神様の計画です。続く11-12節を読みます。

 

4. イエス様への信頼を言い表す (11-12)

11 この福音のために、私は宣教者、使徒、教師に任命されました。12 そのために、私はこのような苦しみを受けているのですが、それを恥じていません。私は自分が信じてきた方を知っており、私に委ねられたものを、その方がかの日まで守ることがおできになると確信しているからです。

 パウロは自分の死が近いことを知っていました。でも、嘆いてはいません。なぜなら、パウロは自分の働きは神様に委ねられた働きであり、それは自分の死によって終わってしまうことはないと信じていたからです。パウロにご自分の計画の一部を委ねた神様は、同じようにテモテや次世代の人たちに働きを委ねているとパウロは知っていました。そして、自分を導き、自分に委ねたものを神様が守ってくださったように、彼らを導いて守ってくださると確信していました。だから、パウロがテモテを励ますために最も重要なことは、テモテを信頼していると言うことではありませんでした。そうではなく、テモテが信じ、自分が信じてきた主を信頼していると言い表すことが、テモテを励ますために最も大切なことだったのです。
 それでは最後の13-14節です。

5. 委ねられたものを聖霊によって守る (13-14)

13 キリスト・イエスにある信仰と愛をもって、私から聞いた健全な言葉を手本としなさい。14 あなたに委ねられた良いものを、私たちの内に宿っている聖霊によって守りなさい。

 今日ずっと繰り返し言われていたように、私たちの信仰は神様によって私たちに委ねられたものです。それはまず、私たち自身がイエス様を愛してイエス様と共に生きる希望を知るためです。でも、そこで終わりではなく、私たちから周りの人たちに伝わり、互いに支え合える喜びを知るためでもあります。誰かがイエス様を見失っている時、私たちはその人の代わりに隣でイエス様を信じ続け、その人の希望になれます。苦しみを共にしてきた仲間と遠く離れてしまって不安になる時、離れていても同じイエス様を愛していることを思い起こすことができます。私たちはそれぞれの場所で、それぞれに与えられた時間の中で、神様の計画に参加しています。聖霊様によって、自分に委ねられているものの価値を確かめてください。そして、イエス様を愛し、互いに愛し合うことができる喜びをもっと知ってください。

 


メッセージのポイント

私たちには、イエス様を愛し互いに愛し合う喜びが与えられています。それは私たちが自分の力で手に入れたのではなく、神様の恵みです。自分自身の困難や愛する人たちの苦しみによって喜べない時も、私たちに委ねられているその恵みは変わりません。どんな時でも互いの苦しみを共にし、神様の恵みを忘れないためには、聖霊様に頼るしかありません。聖霊様によって、イエス様を愛し互いに愛し合う喜びを燃え立たせましょう。

話し合いのために
  1. あなたにとって信仰を引き継ぐとは、どのような生き方をすることを指しますか?
  2. 聖霊様に頼って信仰を燃え立たせるとは、具体的にどうすればいいですか?
子供たちのために

7節と14節に焦点をしぼってみてください。神様はみんな一人ひとりに聖霊様として共にいてくださいます。不安な時も悲しい時も、みんなの中にはすでに神様が住んでいます。特に、自分のことが嫌いになる時、このことを思い出してください。