願い求める

Image by Vicki Nunn from Pixabay

❖ 見る
日本語のみ
英語通訳付


❖ 聴く(日本語)

❖ 聴く(英語通訳付)


❖ 読む

願い求める

詩編 86 

永原アンディ

 何々してくださいという願いの言葉が、何度も繰り返さる詩編はそれほど多くありませんが、今日の詩編はその一つです。神様に願い求めることは大切なことです。 願いすぎるのは良くないのではないか?私たちは人間関係から類推してそう思います。あなたが誰かに会うたびに、いつも、ああしてください、こうしてくださいと言っていたら、嫌な人だなあと思われてしまうでしょう。しかし神様との関係なら、神様が気を悪くする心配はありません。間違った願望なら教えてくださいますから、大胆に願うべきです。さらに願うことは礼拝の大きな要素でもあるのです。詩人が何をどのように願っているかを皆さんが知って、真似してみることをお勧めしたいと思います。まず、7節までを読みましょう。

A. 嘆き願う私たちに、神様が答えてくださることを求める (1-7)

1 【祈り。ダビデの詩。】主よ、私に耳を傾け、答えてください。 私は苦しむ者、貧しい者です。2 私の魂を守ってください。 私は忠実な者です。 あなたに信頼する僕を救ってください。 あなたこそわが神。3 わが主よ、私を憐れんでください。 私は日夜あなたを呼び求めます。4 あなたの僕の魂を喜ばせてください。 わが主よ、私の魂はあなたを仰ぎ見ます。5 わが主よ、あなたは恵み深く、赦しを与える方。 あなたを呼ぶすべての者に 慈しみに富んでおられます。6 主よ、私の祈りに耳を傾け 嘆き願う私の声を聞いてください。7 苦難の日に私はあなたを呼び求めます。 あなたは必ず答えてくださいます。

この部分の最初と最後にほとんど同じ願いがなされています。私に耳を傾け、答えてください、私の祈りに耳を傾け 嘆き願う私の声を聞いてください というものです。詩人には、神様が聞いていてくださるという実感が感じられないのです。苦しい、乏しい困難な状況の中で、神様は聞いているのだろうか?という疑いは誰にでもやってきます。 だからといって、そこで黙っていては何も始まりません。何も変わりません。そんな時、皆さんも声をあげてみるべきです。これは神様を信じていない人が絶望している時にも勧められることです。そんな時こそ、「私の信じる神様はあなたの神様でもあるのだから叫んでみてください。きっと答えてくださるから」と勧めましょう。 

さらに詩人はこの短い部分の中で 私の魂を守ってください。あなたに信頼する僕を救ってください。私を憐れんでください。あなたの僕の魂を喜ばせてください。と、立て続けに願います。それは、神様がそのようなことをしてくださる方だと知っているからです。知っているのだけれど今はそう感じられない。だから求めるのです。それは正しい願いです。


B. 神様がどのような方かを告白する (8-10)

 詩人は次の3節の部分では、例外的に願うことをしていません。この詩においては異質な部分です。ここでは神様がどのような方であるかという告白がなされています。読んでみましょう。

8 わが主よ、神々のうちに、あなたに並ぶ神はなく あなたの業に並ぶものはありません。9 わが主よ、あなたが造られた国々の民は皆来て 御前にひれ伏し その名を崇めます。10 まことに、あなたは大いなる方 奇しき業をなさる方 あなただけが神。

 神様がどのような方であるかの告白は、礼拝の重要な要素です。この部分があるからこそ、願いが、願いだけに終わらず礼拝となるのです。感覚的には、自分は困難の中にいるのに神様は聞いてくれていないと思えても、神様が、背を向けたり、不在であったりすることはありません。

 困難な状況は相変わらずでも、詩人の思いには、打ち消すことのできないこの真理が基礎としてあるのです。それは、私たちの思いの基礎でもあります。感情がどうであれ、置かれている状況がどうであれ、礼拝し続けるということは、この告白を日々繰り返すことでもあるのです。


C. 導きを願い、変えられることを求める (11-13)

11 主よ、あなたの道を示してください 私はあなたのまことの内を歩みます。 私の思いを一つにし あなたの名を畏れる者にしてください。12 わが神、主よ 心を尽くしてあなたに感謝を献げ とこしえにあなたの名を崇めます。13 あなたの慈しみは私を超えて大きく 私の魂を深い陰府から 救い出してくださいました。

 この部分で教えられることは、詩人の願いが神様の現実への介入であるだけではなく、未来につながる導きを求めることでもあるということです。あなたの道を示してください と願わないということは、私は勝手に自分の道を行きます といっているのと同じです。

 そのように願っていても、他にも頼るものがあって、時々それらが示す道に従ってしまうことがあれば、やはり道を誤ってしまいます。イスラエルの歴史がその良い実例でした。彼らは基本的には神様に従っていても、他のものを頼って迷い出してしまうことを繰り返しました。だからここに出てくるもう一つの願い、私の思いを一つにし あなたの名を畏れる者にしてください もともになされなければならないのです。


D. 恵みのしるしを求める (14-17)

14 神よ、傲慢な者が私に逆らって立ち 荒ぶる者の群れが私の命を狙っています。 彼らは自分の前にあなたを置くことをしません。15 わが主よ、あなたは憐れみ深く、恵みに満ちた神 怒るに遅く、慈しみとまことに富む方。16 私を顧み 憐れんでください。 あなたの僕に力を与え あなたの仕え女の子を救ってください。17 恵みのしるしを私に現してください。 私を憎む者たちはそれを見て恥じ入るでしょう。 主よ、あなたは私を助け、慰めてくださいます。

 この部分で新しく発せられた願いは、力を与えてください と 恵みのしるしを私に現してください です。前にも出てきた、憐んでください、救って下さいと言わなければならないように、状況は良くなってはいないのですが、「力与えてください」には受け身であるだけではなく、「それでも私は前に進みます」という決意が含まれています。そして、前進するためには、聖霊の力が不可欠なのです。そして最後に私たちの前進に欠かせないものとして「恵のしるしを求めています」それはちょうど道標のようなものです。力を与えられて、神様の示された道と信じて進んで行くとき、それが険しいものであったとしても、疲れ果てて休み休みの前進となっても、道しるべのように「この方向で間違っていない」と思わせてくれる、神様のしるしが現されます。私は今年、65歳、高齢者、年金生活者となるのですが、この時々のしるしがなければ、ここに立っていなかったと思います。皆さんもどうかしるしを求め、また与えられたしるしを見逃さないように、神様とともに歩み続けてください。


(お祈り) 神様、あなたは私たち一人一人の魂の状態をよくご存じです。今どうか一人一人の必要を満たしてください。あなたから語りかけていただかなければ、立ち上がることも、前に進むこともできません。歩いていてもその歩みに確信を持てないでいる者もいます。どうぞあなたの道を示してください。


メッセージのポイント

神様に自分の願いを言い表すことは、とても大切です。自分の声が神様に届いていないのではないか?神様は自分の声を聞こうとしてくれていないのではないか?私たちは困難に直面すると、簡単にそのように思えてしまうのです。詩人も同じでした。「聞いてください、そして答えてください」 すべてはそこから始まります。神様は、私たちの現在の苦しみからの出口も、将来に向けての不安への答えも持っておられます。そして願い求める者に答えてくださいます。

話し合いのために

1. あなたの今、最も切実な願いはなんですか?

2. イエスは父である神様に何を祈り求めましたか?

子供たちのために(保護者のために)

 あまり神様にお願いしてばかりいてはいけない。そんな気持ちを持っていないでしょうか?確かに人間関係は、求めるばかりではうまくいきません。しかし神様には何を求めてもいいのです。ただし神様は、本当に必要な物を求める人以上によく知っておられるので、思い通りにはなりません。神様はもっと良いものを与えてくださり、外になるものを求めても与えられることはないでしょう。

 子供たちが求めるばかりの祈りを聞いて、保護者は諫めたくなるかもしれませんが、大人の方が子供たちに見習うべきかもしれません。