あなたの泉はどこに?


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あなたの泉はどこに?

詩編 86 

永原アンディ

 詩編87編は短い詩ですが、受け取り方は様々なので注意深く読まなければなりません。表面的に読むと、地理的な意味でのシオン=エルサレムが信仰的にも特別な意味を持つかのように受け取ってしまう恐れがあります。例えば、クリスチャンなら一生に一度はエルサレムに行くべきだとか、クリスチャンは無条件で、パレスチナではなく、国家としてのイスラエルを支持するべきだといった考え方もされています。

 しかし、(エルサレム、イスラエル、聖書、建物としての教会など)目に見える実際の場所や物を特別扱いすることは偶像礼拝に繋がります。

 宗教は偏狭な民族主義に加担して敵意を煽る者に利用されがちです。日本では神道をそのように利用する者がいますが、欧米ではキリスト教が、中東ではイスラム教がそのように利用されます。しかし、神様は自分を利用とする人とではなく、神様に用いられる人とともにおられます。イエスは隔ての壁を築くためにではなくではなく、壊して平和をもたらすためにこられました。

1 コラの子たちの詩。賛歌。歌。主が礎を築いた都は聖なる山々の上にある。
2 主はヤコブのすべての住まいにまさって シオンの城門を愛される。
3 神の都よ あなたの栄光が語られる。〔セラ
4 「わたしはラハブとバビロンを わたしを知る者として挙げる。 見よ、クシュとともに、ペリシテとティルスも。この者はそこで生まれたと。」
5 シオンについては 「この者もあの者もそこで生まれた」と言われる。 これを堅く据えるのはいと高き方。
6 主はもろもろの民を数え上げる 「この者はそこで生まれた」と記すときに。〔セラ
7 歌う者も踊る者も言う 「わたしの泉はすべてあなたの内にある」と。

A. すべての民は主のもの

1. 改宗させることが目的ではない

 今日注目したいのは、詩人がラハブ(エジプト)、バビロン、クシュ(エチオピア)、ペリシテ、ティルスといった国々も神様に属するものだと言っていることです。創世記に記されているように、神様の人間創造の目的は、(国籍や宗教に関係なく)創られたすべての人が、神様とともにこの世界を良いものとして保ち、治めるためです。イエスは自分の宗教団体を作るためにこられたのではありません。イエスを信じる者がキリスト教会を組織しました。イエスは、自分を信じる者のコミュニティーを、自分の体と言われましたが、それとイエスの後の時代に組織されたキリスト教会とは、完全にはイコールでないということを心に留めて置きましょう。世界を正しく治めるために、神様は自覚的に信じる者も、そうではない者も用いられます。反対に、キリスト教徒を自認していても神様の意思に反して生きる人もいます。

 神様が私たちに命じていることは、この世界を神様の意志に従ってよく治めることです。人々を一人残らずキリスト教徒にすることではありません。このことについてキリスト教会は長く思い違いをしてきました。

2. どのように神様を知らせるのか?

 ではなぜ、私たちはイエスを紹介するのでしょうか?そう命じられているからですか?イエスは、すべての人を私の弟子にしなさいと言われました。「弟子にする」の解釈には幅があります。できるだけ早く、改宗させてキリスト教徒の数を増やすことだと取る人もいますが、私はそうは思いません。私は、弟子とはイエスとともに歩む人、神様の意思を行う人だと考えます。

 自分一人で歩けると思っている人を無理やり説得することはできません。しかし、確かな導き手が必要だと感じている人、深い慰めを求めている人、孤独に耐えられない人には、イエスだけがそれを与えることができるのだと、それを自分の確信していることとして伝えることができます。

 それは互いに信頼できる関係の中で起こることです。私たちはノルマを課せられた営業マンではありません。知らない人を捕まえて説得する必要はないのです。それよりも、するべきことがあります。自分自身がイエスとの関係の中で豊かに生きることです。ヒントは7節です。もう一度読んでみましょう。


B. 泉から飲む命の水

歌う者も踊る者も言う 「わたしの泉はすべてあなたの内にある」と。

1. すべての人に必要な命の水

 私たちが誰かにイエスを紹介したいと思うのは、自分が紹介されてイエスなしには生きられないと知ったからです。そのことを自分の大切な人にも知ってもらいたいからです。イエスを知って、二度と魂が渇くことがない人はこう言うのです。「わたしの泉はすべてあなたの内にある」と。詩人はまだイエスの存在を知らないのですが、イエスと私たちとの関係を正確に表現しています。キリストの体としての教会は、イエスという一つの源泉から湧き出る水が実際に噴き出すいくつもの泉を持つオアシスのようなものなのです。

そうでなければ存在意義はありません。どんなに良いプログラムがあったとしても、イエスに出会えないコミュニティーなら、キリストの体・教会を名乗る資格はありません。ユアチャーチは大丈夫でしょうか? それは、イエスを信じて従う者となった私たちが、源泉:イエスからの水をしっかりと受け取ってその水を提供する泉として機能しているかどうかが問われているということです。しかし、このことは私たちの努力や工夫でなんとかなるものではありません。神様の霊、イエスキリストの霊である聖霊がその中で自由に働かれることで初めて可能になります。

2. 礼拝の中に現される泉

 そのために私たちができることは、心からの礼拝を捧げて、そこに聖霊が働かれることを期待することです。7節の「歌う者・踊る者」とは礼拝する者です。自分の内からは何も良いものが出てこない私たちですが、イエスとつながることによって命の水を噴き出す泉となれるのです。そのチャンスが私たちの捧げる礼拝です。本当は、このお話をワーシップタイムの前にできれば良かったのですが、しばらくは、ワーシップタイムを先に持つ礼拝が続くので、このことを忘れないで来週のワーシップに期待して臨んでください。

(祈り) 主よ、あなたを知り、あなたに従う決心を与えられ、今日、この日まであなたとともに歩んでこられたことをありがとうございます。私たちがあなたの思いを知り、それを行う者として今週も歩むことができますように、どうか私たちを導いてください。私たちを世に送り出し、多くの出会いをお与えください。あなたを必要としている方に、あなたを紹介するチャンスをお与えください。あなたが、決して枯れることのない、私たちの魂を活かす命の水の源泉でいてくださることは、いくら感謝しても足りることはないほどの、何よりも大きな恵みです。感謝して、イエスキリストの名によって祈ります。


メッセージのポイント

 私たちが誰かにイエスを紹介したいと思うのは、自分が紹介されてイエスなしには生きられないと知ったからです。そのことを自分の大切な人にも知ってもらいたいからです。イエスを知って、二度と魂が渇くことがない人はこう言うのです。「わたしの泉はすべてあなたの内にある」と。

話し合いのために

1. 神様は他の宗教を信じている人々をどう思っているのでしょうか?

2. 泉とは何の比喩ですか?

子供たちのために(保護者のために)

神様はすべての人を作られ、すべての人を愛しておられる。貧困、戦争、差別、格差のはびこる社会の中で、神様は、イエス様を信じている私たちに何をさせたいと思っているのか考えてみましょう。