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なぜ世界はこうなってしまったのか?
詩編 89
永原アンディ
詩編は5巻から成っていますが、この89編で第3巻が終わります。53節ある長い詩で、三つの異なる特徴を持った部分があります。19節までは4、5を除いて神様に対する賛美と感謝です。そして、20節からは神様が発する言葉として記録されている部分です。39節からはすっかり変わって、憤り、嘆き、願う内容になります。 それでは最初に5節までを読みましょう。
主の慈しみをとこしえに歌い
私の口はあなたのまことを代々に告げ知らせよう。
私は言いました
「慈しみはとこしえに築かれ
あなたのまことを天に据える」と。
「私は私が選んだ者と契約を結び
僕ダビデに誓った。
『あなたの子孫をとこしえに堅固なものとし
あなたの王座を代々に築こう』」(2-5)
A. 神様の創造された“良い”世界
1. 最後の被造物として作られた人間
神様の創造された世界について、私たちは創世記を読んで繰り返し考えてきました。人間はそれまで創造されてきたすべてのものの調和を担う最後の被造物として世界に置かれました。ここで重要な事は二点あります。神様が創造されたのは良い世界であったということと、その管理を任されたのが人間だったという事です。人間はただ最後の被造物であっただけではなく、神様とともに、神様の作られた良い世界を保つという、大きな名誉と責任を持つ存在としてこの世界に置かれているという事です。皆さんはこの事と、現在置かれている世界の状態に大きな矛盾があると感じるのではないでしょうか?
2. 神様のパートナーとしての人間
私たちは、神様のパートナーとして創造されたのです。人間以外の被造物には問われない責任が、私たちには問われているのです。この役割を果たすために人間には大きな力が与えられました。他の被造物をコントロールできる能力です。創世記では、創造の物語の直後に、堕落の物語が続きます。そのように人間の堕落は始まりましたが、旧約聖書の中の各時代に神様の意思を聞いて行おうとする人物がいたのです。アブラハム、モーセ、イザヤ、エレミヤなどの預言者です。この詩では神様の意思に応答する人物としてダビデに注目しています。 そして神様とダビデの契約に基づく関係を理想的なものとして描いています。20〜22節を読んでみましょう。
昔、あなたは幻によって 忠実な人々に告げられました。 「私は一人の勇士に栄冠を授け 民の中から選ばれた者を高く上げた。 私は僕ダビデを見いだし 聖なる油を注いだ。 私の手は彼を固く支え 私の腕もまた彼を強くする。(20-22)
13 何日もたたないうちに、弟は何もかもまとめて遠い国に旅立ち、そこで身を持ち崩して財産を無駄遣いしてしまった。14 何もかも使い果たしたとき、その地方にひどい飢饉が起こって、彼は食べるにも困り始めた。15 それで、その地方に住む裕福な人のところへ身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって、豚の世話をさせた。16 彼は、豚の食べるいなご豆で腹を満たしたいほどであったが、食べ物をくれる人は誰もいなかった。
もちろんご存知のようにダビデには弱点がたくさんありました。神様が彼を祝福したのは、彼の能力や正しさではなかったのです。神様が評価したのは、弱さ、罪深さにも関わらず神様を慕い続け、何度失敗しても神様の意思を行いたいと思い直して前進した、彼の態度です。それこそが、神様がパートナーとして私たちに求めるただ一つのことなのです。
B. 裏切りとその結果
ダビデはそのようにして、数々の失敗を繰り返しながらも、生涯神様を見上げて生きました。しかし彼の後の王たちのほとんどはそうではありませんでした。 神様は、警告し、正しい道を指し示すために、預言者を世に送りましたが、イスラエル全体は、神様に背を向けていたのです。困ったことに宗教的な指導者たちも神様に背を向けていました。王たちは宗教家とともに預言者を迫害し、ますます神様から離れてゆきました。
これらのことがイスラエルという国やユダヤ教に起こったことで、現代の自分の国にも、宗教にも関係ないと考えるのは大きな間違いです。
権力を持った者が神様を恐れず、自分のしたいように国を動かそうとする誘惑に負けることは、どの時代のどの国にも見られることです。そしてその国で力を持った宗教グループは、権力と手を結んで、神様が送る預言者的な人々を迫害します。キリスト教とキリスト教国にも同じことが起こってきました。それはイエスなしのキリスト教、イエスなしのキリスト教会です。もちろん他の“宗教”も同じようなものです。今私たちの置かれている世界の状態は、そのようなあり方をよく反映しています。一握りの何百年生きても使い切れないほどのお金を持っている人々がいる一方で、安心して飲める水、必要な栄養、寝る場所、着る物の心配をしなければならない人が大勢います。今回のコロナウイルスの感染拡大では、先進国であってもリーダーの資質によって多くの犠牲者が生まれることが明らかになりました。“キリスト”教会の中でも、マスクの着用や礼拝の自粛を不信仰と決めつけて感染を広げてしまった人々がいました。21世紀にもなったのに、科学と聖書を対立的に見るキリスト教指導者が多くいて、かえって人々をイエスから遠ざけているのを見てイエスはどう思われているのでしょうか?
イスラエルの民は、どんなに状態が悪くなっても一向に神様の意思を求めようとしないので30節以下の結果をもたらしてしまいました。39〜43節を読んでみます。
しかし、あなたは油注がれた者を捨てて退け 憤られました。 僕との契約を破棄し その冠を地に投げ打って汚されました。彼の石垣をことごとく壊し その砦を瓦礫とされました。 道ゆく者は皆、彼から略奪し 彼は隣人のそしりの的になりました。あなたは彼を苦しめる者らの右手を高くあげ すべての敵を喜ばせました。(39-43)
詩人はことの本質を理解していません。神様が契約を破ったのではなくイスラエルが破ったのです。イスラエルが授けられた王冠の意味を理解せず、それを地に投げ捨てたのです。
それは、私たちもやりかねないことです。だから神様の思いを、礼拝し続けることによって、求め続けなければならないのです。
C. 関係回復のためにこられたイエス
47〜49節に注目しましょう。
主よ、いつまでなのですか。 永遠に隠れておられるのですか。 憤りはいつまで火のように燃え続けるのですか。 心に留めてください。 私の寿命がどれほどのものなのかを。 あなたがすべての人の子を いかにはかなく創造されたのかを。 誰が生きて、死を見ず 陰府の手から魂を救うことができるでしょうか。(47-49)
神様はこの問いの答えとして、イエスとして世界に来られました。イエスによって、人は神様と和解することができるのです。 イスラエルの王たちのように自分の欲望に従って、自分中心に生きるのか?それとも神様の思いに従って歩み、預言者たちのように、それを人に伝えて生きるのか?
求められているのは、単にイエスを神様、救い主と信じるだけではありません。イエスに従って、イエスとともに歩み始めることなのです。これはあなたへの神様からの招きです。この招きに応えることは、自分の魂を死から救いだし、永遠に主イエスとともに生きるということです。残念ながら、イエスを神と信じてはいても、主と信じてともに歩いていない人はたくさんいます。でも、神様は何度目の再スタートでも喜んでくださいます。 失敗もたくさんしたでしょう?しかしダビデのことを考えてください。神様は彼の歩みを喜ばれました。同じようにあなたの歩みを喜ばれます。
(お祈り) 神様、イエスとしてこの世界に来てくださり、私たちをあなたの道に招いてくださったことをありがとうございます。聖書を通して、あなたを信頼し、あなたと思いをともにして歩む者に大きな祝福と平安があることを教えてくださってありがとうございます。私たち一人一人が、真心から捧げる礼拝を通して、あなたの声を聞き、あなたに従って歩むことができるように、あなたの霊で私たちを満たし導いてください。
メッセージのポイント
神様は創造された良い世界を治めるために、ご自身に似たものとして人間を作り、世界を私たちに委ねられましたが、私たちは、時にその使命を忘れ、自分の欲望に従って振る舞ってきました。それが今の世界の姿です。イエスは私たちが本来のあり方を取り戻すためにこられました。救いとは“天国への招き”ではなく、“本来の生き方への招き”なのです。
話し合いのために
1. あなたと神様との関係は回復されていると思いますか?なぜ?
2. あなたにとってイエスに従って生きるとは?
子供たちのために(保護者のために)
神様はダビデを愛され、彼を用いてイスラエル民族を守られました。ダビデが王になった経緯を話してあげましょう。
しかし彼の子らが、神様の声を聞かずに国を治めたので、イエスの時代には形式的な王はいても、ローマ帝国の支配のもとにあり、やがてイスラエルという国が実際になくなってしまったことを話してあげてください。今のイスラエルは、世界中に散らされたユダヤ人がもう一度集まって始めた国だということも小学校高学年なら触れてみることも良いと思います。
そして、ダビデの良かったところを伝え、イエスに従って歩むことを励ましてください。