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報復の神?
詩編94編
永原アンディ
1. 人間の側の誤解
a. イスラエルの誤解 (1-4)
報復の神、主よ 報復の神よ、輝き出てください。地を裁かれる方よ、立ち上がり 高ぶるものに報いてください。主よ、悪しき者はいつまで 悪しき者はいつまで勝ち誇るのでしょうか。彼らは思い上がった言葉を吐き散らし 悪事を働く者は皆、傲慢に語ります。
ここを読んで、聖書の神は報復する神だと考えるのは間違いです。どんなに祈っても、献金しても、神様はあなたの復讐に手を貸しては下さいません。しかし、イスラエルの民はそう誤解していました。創世記にはちゃんと書いてあるのに、神様は自分たちの民族専任の神様だという誤解です。
しかし、イスラエルの民の誤解は、私たちもしやすい誤解です。実際、ある国のキリスト教会の一部の人たちは、神様が他宗教の国を滅ぼす事を私たちに期待していると教えています。とんでもない誤解です。
神様は、世界中の全ての人の神様です。別の宗教を信じている人も、宗教を一切信じない人も、神様の大切な一人一人なのです。私たちに求められているのは、神様基準の愛、正義、平和をこの世界に広げてゆく事です。神様が私たちに求めていることは、世界中をクリスチャンにすることではなく、世界中をイエスの愛で愛し、イエスの正義を行うことなのです。
b. 敵の誤解 (5-7)
主よ、彼らはあなたの民を打ち砕き ご自身の民を苦しめます。やもめや寄留の民を殺し みなしごを虐殺します。彼らは言います 「主は見ていない。ヤコブの神は気付かない」と。
一方、イスラエルの周辺国家もまた、突然侵入してきた民族の新興国家に苦々しい思いをしていました。彼らももちろん、イスラエルの神様が自分の神様でもあるということは全く想像できませんでした。
それはイスラエルの態度によることでもありました。創世記によって、神様がご自身を明らかに示したイスラエルの民でさえ、神様を正しく理解することはできなかったのです。
旧約聖書を表面的に読むと、神様はイスラエルの味方、聖書の神を信じない他民族は神の敵と誤解してしまいます。双方の誤解は、今でも、民族間で国家間で、宗教観で完全に解決されていません。今でも私たちは「私の神様なら私の嫌いな人を懲らしめてくれるに決まっていると思いたいのです。その考えがここまでの7つの節に凝縮して現れているのです。
2. 問題は民族の違いではない
a. 愚かな者 (8-11)
民の中の愚かな者よ、気付くがよい。無知な者よ、いつになったら悟るのか。 耳を植えた方が聞かないとでもいうのか。 目を造られた方が見ないとでもいうのか。 国々の民を懲らしめる方が 人に知識を教える方が 責めたてないことがあろうか。 主は知っておられる、人の思いを そのに空しいことを。
詩人は、ここでわたしたちが、神様に復讐を求めるのではなく、私たち自身の問題として考えなければならないことを紹介しています。それは、「私たち自身の愚かさ」です。問題は目に見える敵、外国、他民族、他宗教、他人ではないということです。
もちろん神様は誰に対しても、正義を行うこと、愛することを求められます。そうでなければ誰も幸せにはなれません。 自分を苦しめる問題を、人は神様の懲らしめと感じますが、決して復讐ではないのです。聞く耳さえあれば、正しく見る目さえあれば、知恵が与えられ、自分の非を知らされ、立ち直ることができるようにして下さるからです。
神様は私たちに、愚かな者のままでいないで「幸いな者になりなさい」と呼びかけておられます。幸いな者とはどのような人のことなのでしょう。次の部分にヒントがあります。
b. 幸いな者 (12-15)
主よ。幸いな者 あなたに懲らしめられ あなたの教えを受ける人は。 あなたはその人の災いの日々にも 憩いを与えられる。悪しき者には滅びの穴が掘られる。 まことに、主はその民を見放さず。御自分の民を見捨てられない。 裁きは義に帰り 心のまっすぐな人は皆、それに従う。
幸いな人とは、主に聞いて歩む人です。聞くことができるように、主に従って歩む人です。災いの絶えることがない世界の中でも、憩いを与えらて、そのようには見えない中でも、主の正義がなされつつある事を期待して、絶望することなく歩み続けることができます。
神様は、そのような幸いを一人一人にくださいます。そのために、イエスという一人の人となって、来てくださったのです。
イエスは、あなたの復讐を手伝うためでも、あなたを富ませるためでもなく、あなたと共に歩むために来てくださったのです。
3. 誰が幸いな者の道を守るのか? (16-23)
悪をなす者に対し 誰が私のために立ちはだかるだろうか。悪事を働く者に対し 誰が私のために立ち向かうだろうか 主が私の助けとならなければ 私の魂は危うく沈黙の内に伏していただろう。 私が 「足がよろめく」と言ったとき 主よ、あなたの慈しみが私を支え 思い煩いが私の内を占めるときも あなたの慰めが私の魂に喜びを与える。 破滅をもたらすのみの王座が 掟の名の下に危害をたくらむ者が あなたにくみするだろうか。 彼らは正しき人の命を狙って結託し 潔白な人の血を罪に定める。 しかし、主はわが砦となり わが神はわが逃れの岩となられた。 主は彼らの不義に報い 彼らをその悪のゆえに滅ぼされる。われらの神、主は彼らを滅ぼされる。
人間であれば誰にも、本当は敵ではないものを敵とみなして攻撃したり、恐れたりする傾向があります。イスラエルの民も例外ではありませんが、聖書は詩人を通して、本当の敵とは目に見える外国や他民族なのではなく、全ての人のうちにある自己中心という罪の性質であることを教えてくれました。
もしあなたが子育て中なら、敵とは誰か?悪とは何か?ということを子供と一緒に考えてみてください。子供の身近な敵は、その時の喧嘩の相手です。悪とは自分を虐め、怖がらせるものと感じることは自然なことです。しかし、そこから始めて、いや、喧嘩をしても兄弟や友達は、敵ではない。では外国のこと?いや、悪い指導者がいる時はあっても、それぞれの国民は、自分たちと同じように神様の目に大切な一人一人でしょう。それでは本当の敵ってなんなのだろうと。本当の敵、悪の根源が一人一人の心の中にある神様に背を向ける思い=自己中心=罪であることは子供にもわかってもらえるはずです。しかし残念なことに私たちの内にはこの罪に打ち勝つ力はありません。だから神様は、イエスとして来てくださったのです。
「しかし、主はわが砦となり わが神はわが逃れの岩となられた。」 この罪に打ち勝つ力は、ただ主イエスキリストに従って歩むことからしか得ることはできません。今週も、イエスと共に歩んで行きましょう。
(祈り) 主よ、あなたがすぐそばにいて下さる事をありがとうございます。私たちの気持ちは、目の前にある困難と、それを起こす者たちに対する怒りに満たされやすいのです。私たちが本当の敵を見誤り、それに立ち向かうことができずに互いに傷つけあってしまう者である事をあなたはよくご存知です。どうか私たちの心の耳を開いて、あなたの声を聞くことができるようにしてください。また、私たちの心の目を開き、本当の敵と戦うことができるようにしてください。私たちにはあなたの助けが必要です。本当の敵を知らされていながら、目の前にいる者を敵としてしまわないように、どんな状況にあっても、あなたが共にいる事を喜び、安心して進んでいくことができるように導いてください。主、イエスキリストの名によって祈ります。
メッセージのポイント
人間には誰にでも、本当は敵ではないものを敵とみなして攻撃したり、恐れたりする傾向があります。イスラエルの民も例外ではありませんが、聖書は詩人を通してそれが目に見える外国や異人種なのではなく、全ての人のうちにある罪の性質であることを教えてくれています。この罪に打ち勝つ力は、ただ主イエスキリストに従って歩むことからしか得ることはできません。
話し合いのために
1. 神様がすぐに悪を滅ぼしてくれないのはなぜですか?
2.イスラエル人は神様をどのように誤解していましたか?
子供たちのために(保護者のために)
敵とは誰か?悪とは何か?ということを子供と共に考えてみましょう。子供の身近な敵はその時の喧嘩の相手です。悪は自分を虐め怖がらせるもの。そこから始めて、いや、喧嘩をしても兄弟や友達は、敵ではない。では外国?悪い指導者がいる時はあっても、それぞれの国民は、自分たちと同じように神様の目に大切な一人一人。本当の敵ってなんなのだろう?
悪とは何か?様々な行為を思い浮かばせた後、罪という言葉を紹介し、悪の根源が一人一人の心の中にある自己中心の考え方を紹介しましょう。
敵は誰でもなく、何国人でもなく、普通の人の心にある自己中心の思いが悪いことを引き起こす「罪」であり、その罪こそ、私たちが、イエスと共に歩くことによって打ち勝つべき敵であることを知らせてください。