私の魂よ主をたたえよ

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私の魂よ主をたたえよ

シリーズ“私の魂よ主をたたえよ(詩編103,104)” ①

詩編 103:1-10

永原アンディ


 今日から、詩編103編と104編を4、5回のシリーズとしてお話ししようと思います。二つの詩の共通点は「私の魂よ主をたたえよ」という言葉で始まり、その同じ言葉で締め括られている点です。今日は、103編の10節までを読んでゆきましょう。まず全体を読みます。

1 ダビデの詩。私の魂よ、主をたたえよ。私の内なるすべてのものよ
その聖なる名をたたえよ。
2 私の魂よ、主をたたえよ。そのすべての計らいを忘れるな。

3 主はあなたの過ちをすべて赦し あなたの病をすべて癒やす方
4 あなたの命を墓から贖い あなたに慈しみと憐れみの冠をかぶせる方。
5 あなたの望みを良きもので満たす方。こうして、あなたの若さが鷲のように新しくよみがえる。

6 主は虐げられている全ての者のために 正義と公正を行う。
7 主は、ご自分の道をモーセに 御業をイスラエルの子らに知らせた。
8 主は憐れみ深く、恵みに満ち 怒るに遅く、慈しみに富む。
9 永遠に争い続けることなく とこしえに怒り続けることもない。
10 私たちを罪に応じてあしらうことなく 過ちに従って報いることもない。

1. それを自分に命じよう (1-2) 

もう一度初めの2節を読みます。

1 ダビデの詩。私の魂よ、主をたたえよ。私の内なるすべてのものよ
その聖なる名をたたえよ。
2 私の魂よ、主をたたえよ。そのすべての計らいを忘れるな。

 シリーズ全体の主題であり、今日のお話の題でもある「私の魂よ主をたたえよ」という呼びかけに、まず注目しましょう。

 皆さんは、最近、自分に向かって呼びかけたことがあるでしょうか?困難な状況に置かれた時に、自分に向かって「がんばれ、諦めるな」と自分で自分を励ますことをしたことはあると思います。

 詩人は、自分の魂に「主をたたえなさい」と命じています。命じなければならないのは、自分の魂が、自分の意に反して主をたたえることを怠っているからです。さらに詩人は「私の魂よ」と言った後すぐに「私の内なるすべてのものよ、その聖なる名をたたえよ。」とたたみかけています。

 詩人は、自分が主にしっかりと結ばれているように、自分の全存在を励さなければならない状況に置かれているということです。決して上から目線で、あなたは自分の魂に呼びかけなさいと銘じているわけではないのです。

 私たちは状況の違いに関わらず、主をたたえることを疎かにしがちです。順境であれば神様をたたえることを忘れ、逆境にあってはたたえることができなくなります。しかしそれを続けてゆくと私たちは神様が与えようとしておられる力を受け取れなくなり、さらに弱くなるという悪循環に陥ることになります。それをしなければ、神様の過去の多くの恵みを忘れ、神様の計らいが過去も、現在も、未来も間違いなく自分を支えることに気づけなくなってしまうからです。私たちもこの詩人のように、逆境の中でこそ、自分の魂に「主をたたえよ」と命じましょう。


2. 主がどのような方かを実感するために (3-5)

3 主はあなたの過ちをすべて赦し あなたの病をすべて癒やす方
4 あなたの命を墓から贖い あなたに慈しみと憐れみの冠をかぶせる方。
5 あなたの望みを良きもので満たす方。こうして、あなたの若さが鷲のように新しくよみがえる。

この部分には主がどのような方か?それが自分の歩みにどのような影響があるのかが歌われています。

主は、
あなたの過ちをすべて赦し、
あなたの病をすべて癒やす方。
あなたの命を墓から贖い、
あなたに慈しみと憐れみの冠をかぶせる方。
あなたの望みを良きもので満たす方。

これらのことが実行されない口約束ではなく真実であることを、神様は主イエス・キリストとして私たちの世界に来られ、自らの生涯をかけて証明され、今も変わらずにこれらのことを現実にしてくださっています。

 赦されてきたし、赦されている!病の癒やしは、この地上では実現されないこともあるけれど、天に移される時には解放される。体は朽ちても命は永遠に主と共にある。慈しみと憐れみに生かされ、それが私たちの冠として、周りの人の目にも明らかになって、その人々も励される。あなたの望みは自分勝手な欲望ではなく、神様から来る良いものでみたされた、多くの人にとっての希望ともなるのです。
 あなたはそのような存在なのです。そのことを忘れないためにも、自分の魂に「主をたたえよ」と命じましょう。そうすることによって、私たちの魂はリフレッシュされ、力強いものと変えられてゆくでしょう。


3. 主の正義と憐れみ (6-10)

神様はなぜ私たちをそのような者に変えてくださるのでしょう? それは、私たち一人一人に対する憐れみでもありますが、私たちへの期待でもあるからです。主の正義と公正を行う者として用いたいという期待です。6−10節を読みます。

6 主は虐げられている全ての者のために 正義と公正を行う。
7 主は、ご自分の道をモーセに 御業をイスラエルの子らに知らせた。
8 主は憐れみ深く、恵みに満ち 怒るに遅く、慈しみに富む。
9 永遠に争い続けることなく とこしえに怒り続けることもない。
10 私たちを罪に応じてあしらうことなく 過ちに従って報いることもない。

 多くの人が、神の怒り、裁きというものを誤解しています。それは。聖書の読み方を間違えて、神様の真意を掴めていないという間違いです。イエスはこの間違いを正すためにこられたとも言えます。というのは、ここに書かれていることとは反対の意味に受け取れるような箇所も少なくないからです。旧約聖書の、一見して矛盾と思われる二つの内容があることを、どう理解したら良いのか?その答えは、イエスが持っています。イエスの言葉、行動、眼差しを通して考えるのです。

 この箇所は、イエスに知恵をいただかなくてもストレートに受け取れる箇所です。イエスは常に立場の弱い者の側に立たれます。そして私たちにもそれを求めます。
 しかし残念ながら、私たち自身は自己中心的な者で、自分の利益を守らなくちゃ、弱い人々にかまっていたら自分も損をしてしまう、と考えてしまう者です。主は私たちに対して「憐れみ深く、恵みに満ち 怒るに遅く、慈しみに富み、永遠に争い続けることなく とこしえに怒り続けることもない」というのに、私たちときたら正反対です。

 それでも主は、 私たちを罪に応じてあしらうことなく 過ちに従って報いることがありません。今日、皆さんには「私の魂よ主をたたえよ」という言葉ともう一つ、主は「私たちを罪に応じてあしらうことなく 過ちに従って報いることもない。」ことを心に留めていただきたいのです。人間は人にされたことをちまちま思い出し、そのような人には冷淡に接しますが、神様はそういう方では決してないのです。しかし、私たちがこの方をほめたたえる時に、私たちの心には、そのような人に対する苦い思いは存在できません。だから、私たちも自分の魂に「主をたたえよ」と命じ続けましょう。

(祈り)神様、私たちの魂はあなたをほめたたえます。私たちが状況をどう感じようと、全てはあなたのコントロールの下にあることを信じます。詩人が告白している通り、あなたは 私たちの過ちをすべて赦し、
私たちの病をすべて癒やす方。私たちの命を墓から贖い、私たちに慈しみと憐れみの冠をかぶせる方。私たちの望みを良きもので満たす方です。どうか私たちの魂が、目に見える状況に惑わされることなくあなたを信頼して歩めますように、一人一人に語りかけてください。イエスキリストの名によって祈ります。


メッセージのポイント

神様の祝福に実感が伴わないことの多い私たちに、詩編は自分の魂を鼓舞することの大切さを教えてくれます。3節以下の内容が他人事ではなく、自分に与えられている恵みであることを確認するために、自分の心に呼びかけて、主ともっと親しくなってください。


話し合いのために

  1. なぜ自分の心にそう命じる必要があるのですか?
  2. 主が過ちに従って報いないなら、どのように報いるのでしょう?

子供たちのために(保護者のために)

 神様がどのような方なのか?(3−5)、神様の正義とはどのようなものなのか?(6−9)年齢に合わせて話してみてください。
 その上で、そのことをいつも心に留めていることで心に平和が保てること、そのために自分の心に語りかけることが必要であることを伝えてください。
 最重要のポイントは10節、「私たちを罪に応じてあしらうことなく 過ちに従って報いることもない。」です。