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聖霊の働き①:私たちを永遠の命に導く
ローマ 8:1-11
池田真理
今日からローマ書8章に入りますが、8章は聖霊様の働きがテーマになっているので、3回に分けて「聖霊の働き」シリーズでお話ししていきたいと思います。これまでのローマ書の中では、私たちは自分の力で自分を救うことはできないということが繰り返し強調されてきましたが、この8章では、そんな私たちを聖霊様は正しい方向に導いてくださる方だということが言われています。正しい方向とは、イエス様の方向です。イエス様は、私たちをご自分のそばに呼んで、私たちが神様に愛されている確信を持って生きることを望まれました。聖霊様はその確信を与えてくださる方であり、何度も忘れる私たちを助けてくださる方です。今日の箇所は、最初の部分でイエス様が何をしてくださったのかを思い起こさせてくれ、後半では聖霊様がどのように私たちを助けてくださるのかを教えてくれます。では、まず1−4節です。
A. イエス様がしてくださったこと (1-4)
1 従って、今や、キリスト・イエスにある者は罪に定められることはありません。2 キリスト・イエスにある命の霊の法則が、罪と死との法則からあなたを解放したからです。3 律法が肉により弱くなっていたためになしえなかったことを、神はしてくださいました。つまり、神は御子を、罪のために、罪深い肉と同じ姿で世に遣わし、肉において罪を処罰されたのです。4 それは、肉ではなく霊に従って歩む私たちの内に、律法の要求が満たされるためです。
1. 私たちの代わりに死なれた
ここで強調されているのは、私たちが自分の力ではどうしようもなかったことを、イエス様はしてくださったということです。律法、つまり道徳や良心、人間の様々な努力は、人間の罪をコントロールできませんでした。人間の社会では、人の悪い行いを制限するためには、どんどん法律や規則を増やしていくしかありませんが、神様が私たちの罪をコントロールするために取られた方法は全く違いました。神様は、新たな規則を増やして私たちを外側から締め付けるのではなく、私たちの心を変えて、私たちが内側から変わるようにされました。 3節をもう一度読みます。
律法が肉により弱くなっていたためになしえなかったことを、神はしてくださいました。つまり、神は御子を、罪のために、罪深い肉と同じ姿で世に遣わし、肉において罪を処罰されたのです。
神様はまず、自ら私たちと同じ人間となってこの世界に来ることにされました。それがイエス様ですが、イエス様は神様の子であり、神様ご自身でもあります。イエス様は私たちと同じ体を持ち、多くの人々と関わり、神様がどんな方であるのかを、ご自分の言葉と行動で教えてくださいました。
次に神様がされたのは、そのイエス様を人間に差し出し、自ら人間の罪の犠牲になって死なれるということでした。それは、私たち人間全てが持つ罪とは、人を殺し、神様を苦しめる性質のものであると教え、その罪によって犠牲になっている多くの人たちと同じ立場にご自分を置かれたということでもあります。そして、私たちの罪がもたらす苦しみと死をご自分の身で引き受けられて、私たちの代わりに苦しみ、死なれました。
2. 私たちをそばに招くために
あなたが与えると、彼らは拾い集め 御手を開くと、彼らは良いもので満ち足りる。
御顔を隠すと、彼らは恐れ息を取り去ると、彼らは息絶えて
塵に帰る。
あなたが息を送ると、彼らは造られる。あなたは土の面を新たにする。
神様がこのようなことをされた目的は、私たちをご自分のそばに呼び戻すためでした。神様が私たちをお造りになったのは、神様に愛され、神様と共にこの世界をよく治めるためのパートナーとしてです。私たちは自分たちの罪の中でそのことを忘れてしまい、神様から遠く離れてしまいましたが、神様は私たちにそばに戻ってきてほしいと願われました。そのために必要だったのが、私たちの代わりにご自分の命によって罪の償いをし、私たちの罪を赦し、私たちを罪の力から解放するということでした。それによって、私たちをもう一度、神様にふさわしい者として、そばに招こうとされました。
私たちは、どんなに努力しても、自分の力で神様のパートナーにふさわしいと認められることはできませんが、イエス様が私たちの過ちをその身に引き受けて、そばに招いてくださったので、恐れずに神様の元に戻ることができます。
それでは、聖霊様は私たちをどのように助けてくださるのでしょうか?後半に入っていきたいと思います。まず5-8節を読みます。
B. 聖霊様がしてくださること
1. 永遠の死から救う (5-8)
5 肉に従う者は肉のことを思い、霊に従う者は霊のことを思います。6 肉の思いは死であり、霊の思いは命と平和です。7 なぜなら、肉の思いは神に敵対し、神の律法に従わないからです。従いえないのです。8 肉の内にある者は、神に喜ばれることができません。
今日の箇所は、「肉」という言葉が何回も登場します。言葉だけを聞くと、「肉体」「肉欲」などを想像しがちですが、これまでのパウロの議論から、そのような身体的な欲望だけを指しているのではないと思います。ここでの「肉」という言葉は、「罪に支配されているこの世界で体を持って生きている私たち」という意味で、単純に罪と言い換えていいと思います。
そのようにこの箇所を読み返すと、罪とは何かが見えてきます。特に7節を言い換えてみると、「罪の思いは神に敵対し、神の律法に従わないからです。」となります。罪とは、神様に敵対し、神様の意志に従わないことです。神様を信じていようといまいと、人間なら誰でもこの状態にあります。この世界では誰もが自分の利益や自国の都合を優先していて、それは神様に敵対していることになるからです。その行き着く先は、肉体の死を超えて、神様から永遠に切り離される永遠の死です。
でも、それを私たちが避けられるように、神様はすでにイエス様として来てくださり、ご自分の霊を私たちに与えてくださいました。5−6節を、「肉」を「罪」に置き換えてもう一度読みます。
(罪)に従う者は(罪)のことを思い、霊に従う者は霊のことを思います。(罪)の思いは死であり、霊の思いは命と平和です。
聖霊様は、私たちに罪に従うことをやめさせ、神様を求める心を与えてくださる方です。自分のことを最優先する私たちには、神様を最優先に求める心を自然に自分の力で持つことはできません。それはただ聖霊様の助けによります。聖霊様は、そのように私たちの心に働きかけ、私たちの心を変えて、神様との関係を回復させてくださいます。そして、私たちを永遠の死から救い、永遠の命に導いてくださる方です。最後の9−11節を読んでいきましょう。
2. 永遠の命に導く (9-11)
9 しかし、神の霊があなたがたの内に宿っているなら、あなたがたは肉の内にではなく、霊の内にあります。キリストの霊を持たない者は、キリストに属していません。10 キリストがあなたがたの内におられるならば、体は罪によって死んでいても、霊は義によって命となっています。11 イエスを死者の中から復活させた方の霊が、あなたがたの内に宿っているなら、キリストを死者の中から復活させた方は、あなたがたの内に宿っているその霊によって、あなたがたの死ぬべき体をも生かしてくださるでしょう。
自分勝手な私たちの心を変えられるのは、イエス様の愛だけです。イエス様の大きな愛の前に、私たちは自分勝手に生きることの虚しさと、自分の過ちの大きさに気が付くことができます。目に見えるこの世界のものは、私たち自身も含めて、いつかはなくなる限界のあるものです。でも、イエス様が十字架で教えてくださった神様の愛というのは、もう永遠に変わることはありません。そして、神様は、私たちが肉体の死を超えて、神様と共に生きることを望まれました。このことは幻想ではなく真実だと教えてくださるのが聖霊様です。
11節をもう一度読みます。
11 イエスを死者の中から復活させた方の霊が、あなたがたの内に宿っているなら、キリストを死者の中から復活させた方は、あなたがたの内に宿っているその霊によって、あなたがたの死ぬべき体をも生かしてくださるでしょう。
神様は、イエス様を死から復活させられたように、いつか、私たちの死んだ体をよみがえらせて、永遠に生きるようにしてくださいます。それと同時に、今この体がある間にも、私たちの限りある人生を通して、限りあるこの世界の中に、永遠に続く神様の愛を伝える役割を与えてくださっています。そのために、聖霊様は、私たちの心に何度もイエス様の愛を教え、疲れた心に新しい力を与え、強めてくださいます。
聖霊様によって、イエス様は私たちを愛し、共にいてくださることを確信できるように、何度でも求めましょう。そして、欠けの多い者同士ですが、互いに愛し合うことができるように、いつも自分の力ではなく、聖霊様の力を頼って、造り替えられていきましょう。そのようにして、私たちは、イエス様と共に永遠に生きる喜びを、この体を持っている間からすでに味わうことを許されています。
(お祈り)主イエス様、どうぞあなたの霊を今、私たち一人ひとりに豊かに注いでください。あなたはどんな状態の私たちのこともよく知っておられ、叫びに答えてくださる方です。あなたのことをそばに感じられないとき、聖霊様、助けてください。イエス様の十字架の愛をもう一度心に教えてください。虚しいものを追い求めることをやめさせて、私たちの目をあなたに向けて開かせてください。あなたが私たち一人ひとりに望まれていることを教えてください。主イエス様、あなたのお名前によってお祈りします。アーメン。
メッセージのポイント
神様の恵みでさえ、水や空気の大切さと同様に慣れてしまい、喜べないものに目を向けてしまいがちです。神様の声よりも、それ以外のノイズが耳に付いて心が重くなります。しかし、世(ローマ書8章は「聖霊の働き」シリーズ3回でお話しします。)神様は、罪の中で死んでしまうしかなかった私たちを救うために、イエス様としてこの世界に来られ、私たちの罪を背負って十字架で死なれました。聖霊様は私たちにこのことを教え、私たちの心をイエス様に向けさせてくださる方です。聖霊様によって、私たちは肉体の死を超えて共にいてくださる神様を信じ、永遠の命をすでにいただいています。
話し合いのために
1) ここで言われている「肉」とはなんですか?
2) 聖霊様はどのように永遠の命を与えてくださるのでしょうか?
子供たちのために(保護者のために)
6節に「霊の思いは命と平和」とありますが、神様の霊が下さる命と平和とはどんなものでしょうか?自由に話してみて下さい。両方とも神様との関係において言えることです。