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ヨセフの孤独
待降節第一日曜日・マタイによる福音書 1:18-25
池田真理
今日からクリスマスを待ち望む待降節(アドベント)が始まりました。クリスマスはイエス様の誕生を祝う楽しいお祝いですが、実は本当に心からお祝いするのはそんなに簡単ではないんじゃないかと思います。クリスマスの一番大切な意味はインマヌエル、神様は私たちと共におられる、ということです。でも、現実の私たちは、神様が共におられることに安心しているよりも、神様はどこにおられるのかと探していることの方が多いのではないでしょうか。また、頭では神様が共におられると分かっていても、実感できなくて苦しいことも多いと思います。それはおそらく、全ての人が一生繰り返すことで、2千年前の最初のクリスマスを前にした人たちも同じでした。イエス様の父となったヨセフもその一人です。今日は、ヨセフの物語から、神様は私たちと共におられるということを考えていきたいと思います。マタイによる福音書1:18から、少しずつ読んでいきます。まず18-19節です。
A. ヨセフの物語
1. ひとり苦悩する (18-19)
18 イエス・キリストの誕生の次第はこうであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが分かった。19 夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表沙汰にするのを望まず、ひそかに離縁しようと決心した。
自分の婚約者が自分の知らない間に妊娠したと知って、ヨセフがどれほどショックだったか、おそらく当時の感覚と現代の感覚とでそんなに差はないと思います。ここには「聖霊によって身ごもっていることが分かった」とありますが、それはまだヨセフには分からなかったことで、マリアが不貞行為をしたのだとしか思えませんでした。
当時のユダヤ人の社会では、不貞行為が発覚した女性は、離縁されるのはもちろん、公の場で暴行を受けることも当然とされていました。それが律法の定めている決まりだと、ユダヤ人の多くが解釈していました。
19節は日本語で「ヨセフは正しい人であった」とありますが、英語では “Joseph was faithful to the law” (ヨセフは律法に忠実だった)と意訳されているように、ヨセフは律法に忠実であるという意味で「正しい人」だったということです。そして、ヨセフが律法に忠実であろうとするなら、不貞行為をしたマリアを公の場で咎める必要がありました。
でも、ヨセフはそうしませんでした。ヨセフは、律法を忠実に守ることよりも、マリアを守ることを選びました。そこには律法という正義を妥協する罪悪感もあったかもしれません。でも、離縁したところでマリアの妊娠が発覚するのは時間の問題で、結局マリアを守れるのかは分かりませんでしたし、その時自分もどう非難されるのか、不安はたくさんあったはずです。そして、おそらくヨセフはこのことを誰にも相談することもできませんでした。ヨセフは、婚約者に裏切られたショックの上に、誰にも相談できない孤独の中で決断しなければならない状況に追い込まれていました。
私たちは、ヨセフと同じように、自分にはどうしようもない問題に直面して、ひとり思い悩むことがあります。神様は何をしておられるのか、なぜこんなことを自分の人生に起こすのか、神様は自分のことを他の人より愛しておられないのだろうかと、疑います。それでも、現実に決断を迫られ、不安なまま進むしかないことがあります。それを誰かに言えればいいですが、どうしても誰にも言えないことだったり、言っても分かってもらえないと思うこともあると思います。そんな時、私たちはただじっとひとりで耐えるしかないのでしょうか?そうではないと、ヨセフの物語は教えています。続きの20-21節を読みます。
2. 天使に助けられる Helped by an angel (20-21)
20 このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ、恐れずマリアを妻に迎えなさい。マリアに宿った子は聖霊の働きによるのである。21 マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」
神様は、ヨセフの夢に天使を送って、マリアの子は聖霊の働きによるものだから、マリアとその子を受け入れなさい、と告げられました。イエスという名前はありふれた名前でしたが、「主は救う」という意味で、生まれてくる子はその意味をまさしく実現することになる、とも言われています。ヨセフはまた驚いたことでしょう。普通は考えられないことが起こっていて、思いもよらない道を進むように示されました。
私たちがヨセフのように夢で天使に会ったり、具体的な問題をどうすべきか教えられたりすることは、あまりないと思います。そんなことがあればいいなとは誰もが思うことですが、神様からのお告げが突然天から降ってくるようなことは、夢の中でも現実の中でもほとんどありません。
それでも、神様は、ひとり思い悩む人をそのまま放っておかれることはありません。ヨセフに告げたように、私たちにはどうしようもないと思うような最悪な出来事の中にも、私たちには想像もできなかった神様の計画が進んでいるのだと、教えてくださいます。
神様はそのために、私たちにも聖霊様を与えてくださり、天使を送ってくださいます。聖霊様は、祈ることも助けを求めることもできなくなった私たちの心に、力を与えてくださいます。天使は、神様が私たちの周りに送ってくださる様々な人たちです。身近な人の場合も、通りすがりの人の場合もあります。子供かもしれませんし、寝たきりの人かもしれません。その人たち自身は、自分が天使の役割をしているとは思っていないことの方が多いと思います。その人たちが私たちの抱える問題を具体的に解決してくれることはなくても、様々な形で、神様はこの世界を愛しておられ、私たちのことを忘れてはおられないということを思い起こさせてくれます。
今、ひとり悩んでおられる方は、どうぞ聖霊様に助けを求めてください。そして同時に、具体的な助け手を送ってくださるように、期待して祈ってください。
また、私たちは誰かにとっての天使になるように期待されていることを知りましょう。誰も、天使になろうと思ってなれるものではありませんが、一人ひとりが弱いままで聖霊様の助けによって神様を愛して生きる時、皆さんは知らない間に誰かの天使になっています。
それでは続きを読んでいきますが、先に24-25節を読みます。
神様を信頼し、人と共に生きる (24-25)
24 ヨセフは目覚めて起きると、主の天使が命じたとおり、マリアを妻に迎えた。25 しかし、男の子が生まれるまで彼女を知ることはなかった。そして、その子をイエスと名付けた。
ヨセフは神様を信頼して、自分では思いつかなかった第三の選択肢を選んで一歩を踏み出しました。自分の子ではないマリアの子を受け入れ、マリアとその子と共に生きていく道です。それによって、ヨセフとマリアは自分たちには理解のできない出来事の中に神様が働いておられると、共に信じて歩み始めました。
ヨセフとマリアの場合は夫婦でしたが、私はここに教会のあるべき姿があるんじゃないかと思います。それぞれの人生で起こってくる困難の中でも、神様の良い計画が動いていると、共に信じて歩む共同体です。誰も神様の計画の全てを知ることはできないので、恐れたり不安になったりします。それでも私たちはその一部であるということを、互いに思い起こすために、またそのことを世界に知らせるために、私たちは共にいるのだと思います。
それでは最後に、途中で飛ばした22-23節を読みます。
B. インマヌエル「神は私たちと共におられる」 (22-23)
22 このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われたことが実現するためであった。23 「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」これは、「神は私たちと共におられる」という意味である。
今日は、ヨセフの物語に注目して、ヨセフがどのようにマリアとイエス様を受け入れたのかということを見てきました。実は、ヨセフのたどった道のりというのは、私たちが「インマヌエル」を信じる道のりを表していると思います。
「インマヌエル」、神様は私たちと共におられるというのは、神様が私たちのどんな過ちも弱さも知った上で、私たちをご自分の大切な子どもとして愛してくださるということです。それは、神様が人となられ、私たちのためにその命を捧げてくださったことによって証明されました。
そのことを心から信じて、その喜びを実感して生きるために、私たちはヨセフの歩んだ道を何度も歩み直します。自分にはどうしようもない問題の前で困惑し、孤独の闇に落ち、でも天使に助けられ、聖霊様に助けられて、また上を見上げて歩き出します。神様はどこにいるのかと迷う闇の中でこそ、神様は共におられるという光を知ることができます。私たちが最も孤独で苦しい時、そこで共に苦しんでおられる十字架のイエス様に出会えます。また、それを助けてくれる聖霊様の力を知り、そのことを告げてくれる天使の存在に気づけます。そして、同じ道を歩もうとしている人と共に、また新しい道の先に進んでいくことができます。
このクリスマス、それぞれの孤独の中で、神様は私たちと共におられるということを、もう一度確かめてください。
(お祈り)主イエス様、あなたは私たちの弱さも間違いも全て知っておられ、何に悩み、葛藤しているのかも、全て知っておられます。どうか私たちがあなたを信頼して、あなたと共に歩んでいくことができますように。一人ひとりの心の中に、あなたが光を灯してください。そして、私たちが弱いままでも互いにとっての光にもなれるように、共に歩んでいくことができるように、助けてください。主イエス様、あなたのお名前によってお祈りします。アーメン。
メッセージのポイント
クリスマスの一番大切な意味は「インマヌエル」(神様は私たちと共におられる)を知ることです。それは、様々な不安や苦しみの中で孤独を感じる時にこそ、神様が一人ひとりに教えてくれることです。神様はそのために私たちを互いに用いて、それぞれが神様を信頼し、人と共に生きることができるように、力を与えてくださいます。
話し合いのために
- あなたがひとりで悩んだ時、神様はどのように助けてくれましたか?
- どうすれば人に「神様は私たちと共におられる」と伝えることができますか?
子供たちのために(保護者の皆さんのために)
誰にも言えない悩み、人に説明できない不安を、子供たちも持ったことがあるんじゃないかと思います。それは大人もみんな同じで、ヨセフもそうでした。神様はそんな時にこそ一緒にいてくださる方ですが、神様は目に見えないので、私たちが不安になるのは当然です。だから、目に見える誰か(家族や先生や友達)を通して、神様が語りかけてくださるのを期待しましょう。きっと、身近で意外な誰かが助けてくれるはずです。