その光があなたを輝かす

©️David Hayward @nakedpastor (https://nakedpastor.com/)

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その光があなたを輝かす

2022 アドヴェント第二日曜日
ヨハネ1:6-9, マタイ2:1-3 5:14-16, イザヤ 60:1-3
永原アンディ

 イエス・キリストの誕生を覚えるクリスマス。そのクリスマス前の四週間は、待降節・アドヴェントと呼ばれています。この時期だけチャペルにおかれる4本の蝋燭の二本に火が灯されて、今日はその第二週の日曜日です。ご覧の通り、先週の日曜日に礼拝の後でアドヴェントとクリスマスのための飾り付けもできました。

この季節の飾り付けはキリスト教徒の家庭でなくてもかなり前から一般的で、私の育った家庭にもクリスマスツリーは毎年登場していました。そこに灯されていたのは今のように複雑に点滅したりはしない、単純に点灯するライトでしたが、なぜか私の子供心に特別感をもたらしていました。なぜ人間は大人も子供も輝く光に心が躍るのでしょうか?光にも色々あります。誘蛾灯のようにふらふらと近づくと「命を奪う」光もあります。しかし今日お話しする光は、「命を与える」ひかりです。いくつかの聖書のテキストを考えてゆきましょう。

初めにヨハネによる福音書1:6-9節を読みましょう。

A. クリスマス:イエスの降誕を覚える祝祭 (ヨハネ 1:6-9)

6 一人の人が現れた。神から遣わされた者で、名をヨハネと言った。7 この人は証しのために来た。光について証しをするため、また、すべての人が彼によって信じる者となるためである。8 彼は光ではなく、光について証しをするために来た。
9 まことの光があった。その光は世に来て、すべての人を照らすのである。 (ヨハネ 1:6-9)

 

 先週、待降節の最初のメッセージで、ルカによる福音書からこのヨハネという人の誕生について聞きました。イエスの生まれる直前に生まれ、イエスがキリストとして世に現れる時には、「この方に従いなさい」とイエスを指し示したバプテスマのヨハネです。このテキストは、イエスを「まことの光」、ヨハネを「光について証言する者」と紹介しています。

 最近のヨハネによる福音書のシリーズでは、イエスを知った私たちは、まだイエスを知らない人々にとってのバプテスマのヨハネのような存在であると聞きました。それで、私たちと世界の最初のクリスマスに生まれた救い主との関係がよくわかります。多くの人は、その光に気付かないままで生きています。この方こそ「まことの光」と紹介されなければ気付けないほどに、イエスの恵みは押し付けがましくないのです。

 イエスが地上での歩みを終えて天に帰られた後、残された弟子たちが、イエスに教えられた生き方を実践し、イエスをまだ知らない人々に伝えるためにできたのがキリスト教会です。しかし教会がクリスマスを祝い始めたのは4世紀になってからです。イエスの生まれた時代、どの文化のもとでも個人の誕生日に関心は払われていませんでした。だから、誰もイエスの正確な誕生日を知らないことは当然のことです。4世紀の教会は「イエスの誕生日」ではなく、「キリストの降誕を覚える日」として12月25日に定めたのです。

 大切なのは、どの日が本当なのかではなく、来られた事実です。その事実を自分たちが覚えるために、また人々に伝えるために、教会が多くの候補日の中から12月25日を選んだのはとても賢明なことだったと思います。それは、古代ローマで採用されていた暦では冬至、つまり最も夜の長い、陽の光の少ない日でした。闇のような世の中に、まことの光であるキリストの降誕を覚えて祝うのにこれ以上相応しい日はないと思います。イエスは、世界の、社会の、人の心の闇に光をもたらすために来られた方です。

B. クリスマス:一部の人々にとって不都合な事実 (マタイ 2:1-3)

次にマタイによる福音書2:1-3を読んでみましょう。

1 イエスがヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき、東方の博士たちがエルサレムにやって来て、2 言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。私たちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」3 これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。 (マタイ 2:1-3)

 

 救い主が生まれることを知って喜び、遠くから訪ねて来た博士たちがいた一方で、王も市民も不安を抱いたと書かれています。王にとっては、自分の家系の外で王が生まれるということは、自分の王朝が滅びることを意味します。実際に彼は残酷な予防措置をとったことがマタイによる福音書2:13節以下に記されています。しかし、それは王だけではありませんでした。エルサレムの人々も皆、同様に不安を抱いたというのです。

 闇を照らす光が現れることを恐れるのはどのような人々でしょうか?それは闇に乗じて正しくない生き方をしていた人々です。当時の権力者や宗教指導者が正にそのような者たちでした。光に照らされれば不正が暴かれ、偽りの信心深さがバレてしまうからです。生まれたばかりのイエスを殺そうとしたヘロデ王も、ヨハネの首を刎ねさせたその子供ヘロデ・アンテパスも、イエスを十字架にかけた宗教家たちも、まことの光、イエスの存在を不都合に感じる人々でした。

 イエスの存在が不都合な人は今でもたくさんいます。イエスが嫌がる、悲しむことをやめたくない人は、イエスの言葉を聞きたくはありません。キリスト教徒を自認していてもイエスの存在が不都合な人は多くいます。そのような人々は聖書の言葉を自分に都合よく解釈して、聖書の教えに従っていると主張しながらイエスには背を向けているのです。

非暴力的な抵抗でキング牧師の公民権運動のお手本であった、インドを独立に導いたマハトマ・ガンジーはイエスをとても愛していましたが、ヨーロッパ各国の植民地政策の手先となって、アジア、アフリカを苦しめて来たキリスト教を軽蔑していました。

 イエスはキリスト教徒の神様ではありません。イエスの道を歩む者の主であり神様なのです。イエスの道を歩むとはどのようなことなのでしょうか?イザヤの預言を聞いてください。

C. 光を受けて輝こう! (イザヤ 60:1-3, マタイ 5:14-16)

1 起きよ、光を放て。あなたの光が来て主の栄光があなたの上に昇ったのだから。
2 見よ、闇が地を覆い 密雲が諸国の民を包む。 しかし、あなたの上には主が輝き出で 主の栄光があなたの上に現れる。
3 国々はあなたの光に向かって歩み 王たちはあなたの曙の輝きに向かって歩む。 (イザヤ 60:1-3)

 2節にあるように、イザヤは、確かに闇を照らす光として来られる救い主を紀元前700年代に預言していました。しかし、1節と3節は光を放つのはイエスではなく「あなた」であり、「あなた」の光に国々や王たちが向かって歩む、と言っています。

 それは、イエスが間接的な方法で世を照らすということです。私たちが、多くの人々に先駆けてイエスを知ったのは、私たちの上に輝いた光をいっぱいに受けて、その光を反射させて世を照らすためなのです。イエスはこのことについて次のように教えています。

14 あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。15 また、灯をともして升の下に置く者はいない。燭台の上に置く。そうすれば、家にあるすべてのものを照らすのである。16 そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かせなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、天におられるあなたがたの父を崇めるようになるためである。」 (マタイ 5:14-16)

 

 皆さんには、イエスを知ってもらいたい人、もっと親しくなってもらいたい人が何人もいると思います。そのために必要なことは、キリスト教の教えを伝えることではありません。まことの光があなたを通してその人に輝くことなのです。

 どうしたら私たちは誰かにとっての光となることができるのでしょうか?鏡が光源を反射して必要なところを効果的に照らすために必要なポイントは二つあります。それは、鏡の角度と表面の状態です。

角度の問題から考えてみましょう。神様の光に背を向けているのは問題外です。まずその光を自分自身でしっかり受け取らなければなりません。しかしあまりにも神様と自分の関係にフォーカスしすぎて神様のことしか考えていないなら、私たちの光は誰にも届きません。聖書のこと、教会のことに熱心になり過ぎて、周りに心を配れないなら、神様に光で私たちの顔は輝いていても、私たちの周りは暗闇のままでしょう。

 また、私たちの神様に向けられた心の状態が曇った鏡のような状態であれば、神様の輝きは人にはちゃんと届きません。また、私たちが歪んだ鏡のようであったら、神様の恵みは間違った形で伝わってしまうかもしれません。私たちの心が曇ったり歪んだりせず、良い状態に保つために必要なことは、礼拝を大切にすること、神様を中心とした人間関係を保つこと以外にはありません。

これらを大切にするなら聖霊が私たちの心に働いてメンテナンスして良い状態を保ってくださいます。

(お祈り)神様、暗闇の中に輝く光のように私たちのところに来て下さってありがとうございます。私たちの歩みを導く光となって下さったばかりでなく、私たち自身をその光によって輝かせてくださり、世の光となることを命じられたことをうれしく思います。けれども、私たちは自分自身が弱く、罪深い者であることを知っています。私たちの主、イエスキリストの名によって祈ります。


メッセージのポイント

クリスマスはイエスの生誕を祝う祝祭です。イエスは闇の中に輝く光としてこの世に来られました。それは私たちに希望の光を与えるためであると共に、あなたがその光に輝かされて世界に希望をもたらす光となるためでもあるのです。

話し合いのために
  1. 闇に光が照らされると不都合な人とは?
  2. あなたはどのようなことのために輝きたいですか?

子どもたち(保護者)のために

ヨハネとイザヤのテキストを読んであげてください。クリスマスシーズンにライティングする理由としてイエスが私たちの光:希望であることを伝えてください。暗闇はなぜ怖いのか?暗闇の怖さをどう実感しているか聞いてみましょう。そして、イエスは私たちを安心させるためだけではなく、人々のために輝く者にするために来られたことを伝えてください。