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2022 アドヴェント第四日曜日・クリスマス礼拝
ルカ 2:1-21
永原アンディ
いよいよ待降節最後の週になりました。今年はクリスマス当日が日曜日なのでその日にクリスマス礼拝を行う教会もあるようですが、多くの教会ではこの待降節最後の日曜日にクリスマス礼拝が行われます。私たちも今日、ルカによる福音書2章を読みながら、クリスマスの出来事について思いを巡らせてみましょう。はじめに1-7節を読みましょう。
A. 悲惨な誕生日 (1-7)
1 その頃、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。2 これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録であった。3 人々は皆、登録するために、それぞれ自分の町へ旅立った。4 ヨセフもダビデの家系であり、またその血筋であったので、ガリラヤの町ナザレからユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。5 身重になっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。6 ところが、彼らがそこにいるうちに、マリアは月が満ちて、7 初子の男子を産み、産着にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる所がなかったからである。
日本人にも家系を重んじる人は多いですが、ユダヤ人はそれ以上に家系を重んじていたようです。今日は読みませんがマタイは彼の福音書をアブラハムからダビデを経てイエスに至る系図で始めています。確かにイエスは由緒正しい家系の中に生まれたようですが、ヨセフの代ではもはや特権階級ではありませんでした。
ヨセフの属するダビデの家系の町、ベツレヘムに来ても歓待するする人もなく、宿屋にも泊まれず、家畜小屋で一夜を過ごす羽目となり、そこでマリアは産気づきます。なんという悲惨な出産日でしょうか。産院の整った現代に比べれば出産は母子ともに命の危険の伴うことでした。彼らはひどく心細い気持ちでこの時を迎えたのです。ユダヤ人の王として生まれると預言されたイエスは、王家の暖かい部屋のふかふかのベッドではなく、飼い葉桶に置かれて、その人としての歩みを始められました。特別な恩恵を受けていたどころか、最低の環境の中で始まった人生です。
そしてイエスは常に、自分の境遇に苦しむ人々の中に立ち、最後に十字架の上で犯罪者として殺され人としての歩みを終えた方です。ベツレヘムのどの宿屋にもイエスを迎える部屋がなかったことは、世界がイエスの来られたことを歓迎しなかったことを象徴しているように私には思えます。それは、誰もが、誰かのために自分が犠牲を払うより、自分のために誰かに犠牲を払わせることを好むからです。こうして人は人と、民族は民族と、国は国と敵対し争ってきました。そしてより弱い者、小さい者たちが犠牲を払わされてきたのです。
イエスはそのような不正義を終わらせるために来られました。小さい者でも弱い者でも平和に暮らせる世界を実現するために来られました。 それを一人一人の心から始めたいと願い私たちの心をノックされています。
私たちの心は豪華なトランプホテルの特別室のような部屋である必要は全くありません。まるで家畜小屋のように、王どころか、一般の人の泊まる部屋としても全く相応しくないような、小さい、弱い、貧しい心であっても、イエスを主として歓迎するなら、彼は喜んでその人の心に住んでくださいます。もしあなたがまだイエスを自分の人生の主として受け入れていないなら、どうぞ今日、イエスをお迎えしてください。
B. しるし (8-14)
それでは続く8-14節を読みましょう。
8 さて、その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。9 すると、主の天使が現れ、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。10 天使は言った。「恐れるな。私は、すべての民に与えられる大きな喜びを告げる。11 今日ダビデの町に、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。12 あなたがたは、産着にくるまって飼い葉桶に寝ている乳飲み子を見つける。これがあなたがたへのしるしである。」13 すると、突然、天の大軍が現れ、この天使と共に神を賛美して言った。
14 「いと高き所には栄光、神にあれ
地には平和、御心に適う人にあれ。」
羊飼いはユダヤ人の文化の中では伝統的な仕事です。しかし、イエスの時代には宗教家からは軽んじられるような仕事となっていました。羊飼いには、その生活の形態から、当時の細かい律法の規定を守ることが難しかったからです。
神様は、そのような人々を選んで、天使にイエスの誕生を告げさせました。それは家畜小屋で生まれ、飼い葉桶の中に置かれた救い主に相応しい組み合わせでした。神様は救い主の誕生を、宗教家にではなく、彼らが軽蔑する羊飼いに最初に告げたのです。それは当時の宗教が、神様の意思からかけ離れた、一部の宗教家、裕福な人々のためのものとなっていたからです。
もう一度、天使の羊飼いたちへの呼びかけを聞いてみましょう。
「恐れるな。私は、すべての民に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町に、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。 あなたがたは、産着にくるまって飼い葉桶に寝ている乳飲み子を見つける。これがあなたがたへのしるしである。」
神様はもう特定の民族の、特定の階級の人々のための神様だと誤解され続けることに我慢できなくなったということです。これは、「私は『全ての民の、あなた方羊飼いのように、権力者や宗教家からは顧みられない、差別され、冷遇されてきた、小さな者たち、弱い者たち』の神なのだ!」 という神さまの宣言です。
14節に「神様のために天の栄光と、御心に適う人々のための地の平和」が対になって出てきますが、これは二つの別々のことではなく、一つのことの別の側面を表しています。天の神様の栄光は、平和が御心に適う人々によって地に実現することであらわされるのです。神様はまずイエスに従って歩む者の中に平和を生み、次にその人のうちにある平和が世界に広がっていくことによってその栄光を表されるのです。神様は、イエスに従う皆さんを神様の平和をもたらす使者としてこの世界に置かれました。
羊飼いたちに伝えられたしるしは私たちに与えられている印でもあります。すなわち、弱い者たち、小さい者たち、虐げられている者たち、苦しんでいる者たちとともに立つイエスを見出してイエスに従って生きなさいという勧めです。
C. 羊飼いの証言で確信したマリア (15-21)
最後に15-21節を読みましょう。
15 天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行って、主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合った。16 そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝ている乳飲み子を探し当てた。17 その光景を見て、羊飼いたちは、この幼子について天使から告げられたことを人々に知らせた。18 聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。19 しかし、マリアはこれらのことをすべて心に留めて、思い巡らしていた。20 羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の告げたとおりだったので、神を崇め、賛美しながら帰って行った。
21 八日がたって割礼の日を迎えたとき、幼子はイエスと名付けられた。胎内に宿る前に天使から示された名である。
今まで何の関わりもなかったマリア/ヨセフと羊飼いたちの出会いでしたが、お互いにとって重要な出会いだったのです。ヨセフとマリアにも、羊飼いたちにも天使は救い主イエスの誕生を告げていました。しかしそれは、どちらにとっても確信に至るものではありませんでした。天使などそうそう現れるものではありません。あれは夢か幻だったのだとも思える体験です。
羊飼いたちは三人を家畜小屋で見つけ、イエスが本当に飼い葉桶の中に置かれているのを発見して、自分の夢や幻ではなかったことを確信しました。そしてその顛末をマリアとヨセフに告げたのです。
マリアたちは、語られたのが自分たちだけではなかったことを羊飼いたちの証言によって確信しました。そして、天使に示されたイエスという名を、その子供につけたのです。
イエスはご自身を私たちにも現してくださいました。心に語りかけられたその言葉に、人々の証言が加わって確信に変えられました。それでも私たちの心は、何度でも疑いを持つのです。そして、その時に確信を新たにしてくれるのも誰かの証言です。証言と言っても、説得する言葉のようなものではなく、その人が主とともに歩んでいるという確かな足取りと、そこに現れる喜びなのです。
このクリスマスが、皆さん一人ひとりにとって、イエスが一緒に歩いていてくださることの発見、再発見となりますように。クリスマスイヴ・キャンドルサービス、この場所でも、あるいは配信でも土曜日にもう一度お会いしましょう。
(祈り)神様、あなたが一人の人としてこの世界に来て下さったことを記念するこの時、私たちの心にマリアと同様の確信を与えてください。
すでに、あなたの新しい計画が始まって2000年が過ぎましたが、この世界にはあなたの与えて下さっている平和が完全に表されてはいません。
あなたが私たち一人一人の心に与えて下さった平和がこの世界に、少しでも広く、大きく、強く表されますように、私たちを整え、導いて用いてください。
私たちの主、イエスキリストの名によって祈ります。
メッセージのポイント
聖霊による受胎を告知されて一年弱、マリアとヨセフは期待と不安の中で、生まれてくる子を待っていました。神様の計画とは思えないような過酷な出産の時を迎えましたが、羊飼いたちの証言によって、自分たちの出産が神様の偉大な計画の始まりであることを確信しました。
話し合いのために
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御心に適う人とは?
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マリアはどのようなことを思い巡らしていたのでしょうか?
子どもたち(保護者)のために
必要と思われる説明を付け加えながら、また子供たちの質問を受け付けながら、全体を一緒に読み、味わってください。