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インマヌエル(神は私たちと共におられる)
2023年待降節第三日曜日
マタイによる福音書 1:18-25
永原アンディ
今日から待降節三週目がはじまりました。今年はクリスマスが来週の月曜日なので、実質的にはクリスマスを待ち望む最後の1週間です。年末が近づき慌ただしい雰囲気ですが、今日はみなさんのこの1週間がクリスマスの意味を深く想う時となるようなテキストを紹介します。
マタイによる福音書1:18-25です。初めに21節までを読みましょう。
A. どのようにして幼子はイエスと名付けられたのか? (18-21)
18 イエス・キリストの誕生の次第はこうであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが分かった。
19 夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表沙汰にするのを望まず、ひそかに離縁しようと決心した。
20 このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ、恐れずマリアを妻に迎えなさい。マリアに宿った子は聖霊の働きによるのである。
21 マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」
ここで注目したいことは、天使がヨセフに、「生まれてくる子をイエスと名付けなさい」と命じたことです。
みなさんの名前はどなたがつけてくださったのでしょうか?なぜその名前なのかお聞きになったことがありますか?日本の場合は、漢字は一つ一つの文字に意味があるので、親は自分の願いを込めて命名します。
キリスト教徒の多い国では、聖書に出てくる人々の名を持つ人が多くいますが、最近ではその傾向が薄れてきていて、若い層の教会離れという状況がよく現れているようです。
興味のある方はSocial Security Administrationの(SSA.gov)ウェブサイトに行くと米国における2022年までの毎年の人気の名前ベスト5、過去100年間のベスト100、さらには州別の人気の名前がわかります。
この図は100年間のベスト20ですが、聖書に出てくる人を見つけられますか?印がついているのはすべて聖書の登場人物です。
聖書に登場する人の名前の多くは信仰的な意味が込められています。たとえば、ルカによる福音書の降誕の物語に登場するバプテスマのヨハネの母、エリザベトはギリシャ語ですが、元の言葉はヘブル語で、エリシェバ(Elišévaʿ)です。エリシェバのエリは「私の神」、シェバは「誓い」あるいは「支え」を意味するので、エリシェバは「私の神は私の支え」といった意味があります。それが、今の英語のエリザベスとなっていることは容易に想像がつくでしょう。同様に エリヤはエリ+ヤハゥエで、ヤハゥエは私の神という意味。ダビデの子ソロモンはもとのヘブル語の発音ではショロモ、つまり平和-シャロームに満ちたという意味です。
そこでイエスの名はどのようにしてつけられたかという本題に入りたいのですが、ヨセフとマリアにとっては今読んだようにひどくスキャンダラスな状況で、夫婦で楽しく名前を考えるというようなものではなかったのです。ヨセフは婚約者の不可解な懐胎に、婚約解消を考えていたところでした。そこに天使が夢に現れて言ったのです。「ダビデの子ヨセフ、恐れずマリアを妻に迎えなさい。マリアに宿った子は聖霊の働きによるのである。マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」
「イエス」はギリシア語「イェースース」(᾿Ιησοῦς (Iêsoũs))の現代語表記です。「イェースース」のはヘブル語「イェーシュア」のギリシア語読みです。「イェーシュア」は「イェホーシューア」 יְהוֹשֻׁעַ (Yehoshua))の短縮形で、「ヤハウェ(神)は救い」という意味の名前です。日本語の聖書ではヨシュアです。つまりヨシュア記のヨシュアと同名なのです。当時のユダヤ人のあいだではごく一般的な名前でした。
イエスの名は当然、彼が世に生まれるところから始まる新約聖書にしか出てきません。新約聖書は当時の支配的な言語であったギリシャ語で書かれましたが、イエスは日常的にはガリラヤ地方の民衆が使っていたアラム語で話し、他の地方で教えたり論争したときにはヘブル語を使っていました。ですからイエスは周りの人々には「イェーシュア」と呼ばれていたのです。
神様がイエスとしてこの世界に来られたのは、人々に本当の「救い」を教え、それを得させるためです。イエスの名 「ヤハウェ(神)は救い」は、この名前を知っていながら神様から離れていた人々への招きの言葉です。人々は困難な状況の中で救世主・メシアを待ち望んでいました。しかし実際のところは、救世主が不在だったのではなく、世を救う神様に背を向けていたに過ぎなかったのです。
ヨセフに語りかけた天使は、イエスと名付けるよう命じる理由を「この子は自分の民を罪から救うからである。」と説明しました。聖書の教える罪とは、神様に背を向ける人々の心の状態です。それが全ての問題の根源だと聖書は教えます。イエスの時代にはありふれたものとなってしまっていた「ヨシュア」の名の意味を表すヨシュア・イエスの登場を世界に宣言するために神様は天使を通してヨセフに命名を指示したのです。
この状況は2000年経ってもあまり変わりがありません。今でも、多くの人は「イエス」の名を知っていて、クリスマスを楽しくお祝いしますが、自分の「罪からの救い」について考える人は多くはないのです。イエスは昔良い教えで人々を助けただけの方ではありません。今あなたを罪から救う方なのです。でも、どうして、2000年前に生きたイスラエル人が今生きている私たちを”救う”ことができるのでしょうか?それが後半で明らかにされます。それでは後半の22-25節を読みましょう。
B. 救いとは罪の支配から脱し、主・イエスと共に生きること (22-25)
22 このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われたことが実現するためであった。
23 「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」これは、「神は私たちと共におられる」という意味である。
24 ヨセフは目覚めて起きると、主の天使が命じたとおり、マリアを妻に迎えた。
ここでマタイが説明している預言者とはイザヤのことです。ついでにイザヤの名前について言えば、ヤがヤハウェで「ヤハウェの救い」という意味です。
マタイは、イエスが世に生まれる800年前のイザヤの預言を23節で引用しています。元の預言はイザヤ書7章14節にあります。マタイはイエス誕生を800年前になされたこの預言の成就だというのです。そして、「インマヌエル」という言葉の意味を記しています。「これは、『神は私たちと共におられる』という意味である。」
前半の部分でイエスが世にこられた目的が私たちを罪から救うためだとありました。後半は、イエスの降誕がイマヌエル(神が私たちと共にいてくださる)を実現するとあります。併せて考えるならば、イエスは単に歴史の中の一時代に一人の人として存在しただけではなく、今も聖霊というあり方で共にいてくださる。そして、イエスと共に人生を歩むことにこそが罪の支配から解放だということです。
ユアチャーチはもちろん、全てのキリスト教会はこのことを伝えるためにも存在しますが、それは教会の働きの一つであって、教会の使命をもっと広く表現するなら、イエスの体として存在することです。教会は建物でも礼拝などのプログラムでもありません。言ってみれば一人ひとりがつながるコミュニティー、大きな家族のような存在です。イエスご自身は今、目に見える存在ではなく、実際の声を聞くこともできませんが、このコミュニティーの中で、共にいてくださる方なのです。言い換えれば建物や組織を教会と名づけることは簡単ですが、そこにイマヌエルが現実となっていないなら、本当の教会とは言えません。
このクリスマスを待ち望む1週間、自分の内に、自分がその一部であるキリストの体、ユアチャーチのうちにイマヌエルがはっきりと現されている状態を求めて祈って過ごしましょう。
(お祈り)神様、2000年前のクリスマスに、わたしたちを罪から救ってくださるために、一人の人、イエスとしてこの世界に来てくださったことをありがとうございます。
教会というあなたの体をこの世界に存在させ、2000年の間、あなたに希望を寄せる者を見放すことなく、今に至るまで守り導いていてくださることに感謝します。
その体が存在し、世界中に広がることによって、ここにいる私たちにも、特別な形で来てくださり、永遠に共にいてくださることをありがとうございます。
どうか私たちが、あなたのイマヌエルを忘れることなく、喜んで歩み続けることができるよう導いてください。
イエス・キリストの名前によって祈ります。
メッセージのポイント
命名には名付ける者の希望が込められています。神様は、一人の人として世に生まれる自分の名をイエスと付けるように天使を通してヨセフに伝えました。イエスの名は救いを求める者に希望を与える唯一の名前です。罪からの救いとは、神様自ら私たちに近づき共にいてくださることです。その恵みに与るために私たちができることは、修行や労働や寄付といった対価ではなく、イエスと共に生きたいという意志を持つことだけです。
話し合いのために
1. 天使はなぜヨセフに生まれる子の名をイエスと名付けるよう命じたのですか?
2. 破談を決意したヨセフが思い直したのはなぜだと思いますか?
子どもたち(保護者)のために
テキストを一緒に読んで、イエスの名の意味、降誕が800年も前から預言されていたこと、イマヌエルの意味を話してあげてください。