友人の自死と私の信仰

©️ Mari Ikeda
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日曜礼拝・英語通訳付

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友人の自死と私の信仰

(イザヤ53:6、ヨハネ10:11-16)

池田真理

(イザヤ53:6)
私たちは皆、羊の群れのようにさまよい
それぞれ自らの道に向かって行った。
その私たち全ての過ちを
主は彼に負わせられた。

(ヨハネ10章)
11 私は良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。…14 私は良い羊飼いである。私は自分の羊を知っており、羊も私を知っている。15 それは、父が私を知っておられ、私が父を知っているのと同じである。私は羊のために命を捨てる。

16 私には、この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならない。その羊も私の声を聞き分ける。こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる。


メッセージのポイント

私は16歳の時に親しい友人を自死で亡くしました。私は自分の鈍感さと無力さを痛感すると同時に、彼女を死なせないですむ方法はなかったのかと考えました。生きることに疲れ切ってしまっても、それでも希望はあると思える確かな根拠はどこかにないのか?それが見つけられなければ、私自身も何を目指して生きれば良いのか分かりませんでした。そして、イエス様が、私が生きていていいと思える理由になり、生きる目的になりました。

話し合いのために

お互いに、それぞれがイエス様と出会った話をしてください。

子どもたち(保護者)のために

保護者の皆さんそれぞれが、なぜイエス様を信じるようになったのか、子どもたちに話してあげてください。