主の名を賛美しよう

Fanefjord Church, Møn, Denmark. Fresco of God creating the sun, moon, and stars.
Photo by Ipigott, Public domain, via Wikimedia Commons
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日曜礼拝・英語通訳付

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主の名を賛美しよう

(詩編148)

永原アンディ

 今日の詩は148編です。 今日の詩で一番多く出てくる言葉は「賛美せよ」です。そしてこの詩では「主を賛美せよ」あるいは「主の名を賛美せよ」と歌われていますが、そのフレーズの違いについては一年ほど前に124編についてのお話しで取り上げているので、気になる方は読み直してみてください。(主の名はイエス https://yourchurch.jp/wpj/2023/10/08/j231008/
 今朝は、なぜ主をほめたたえるべきなのか考えてゆきたいと思います。まず、6節まで読みましょう

1. 創造を感謝して主の名を賛美しよう (1-6)

1 ハレルヤ。天から主を賛美せよ。もろもろの高い所で主を賛美せよ。
2 主の使いらよ、こぞって主を賛美せよ。主の万軍よ、こぞって主を賛美せよ。
3 太陽よ、月よ主を賛美せよ。輝く星よ、こぞって主を賛美せよ。
4 天の天よ天の上にある大水よ主を賛美せよ。
5 主の名を賛美せよ。主が命じ、それらは創造された。
6 主はそれらを代々とこしえに立て掟を与えて、それが消えうせないようにした

 今日の週報の表紙は神様が天に太陽、月、星をおいているフレスコ画で、これはデンマークの古い教会にあります。この絵の題材となった創世記の天地創造の記事を読んで、非科学的だと笑うのは簡単ですが、それで神様の創造を否定することはできません。

 「杞憂」という故事(a legend)があります。イスラエルでイザヤやエレミヤなどの預言者が活動していた時代、中国に杞という小国がありました。「そこに住むある人が、太陽や月や星が落ちてきたらどうしようと心配で夜も眠れず食事も取れなかった。」という話からできた、ありえないことで悩むことを指す言葉です。

 しかし、その同じ時代のイスラエルの人々にそんな杞憂はありませんでした。宇宙について、人間が認識している事柄は今でもごく僅かで、多くは謎のままです。 現代に比べ宇宙についての知識がはるかに少なかった当時のイスラエルの民ですが、彼らは神様が宇宙を作られたことを全く疑いなく信じていたのです。  

 宇宙は偶然にできたのか?神様が創られたのか?このことを検証することは不可能です。信じるか信じないかしかありません。太陽を回る地球やそれ以外の惑星の軌道、潮の満ち欠けなどに大きく影響を及ぼす地球の衛星の月、銀河系の外側に置かれた星々。私もイスラエルの民と同様に、それらが偶然ではなく神様の意思によって創られたことを信じます。

 私たちに宇宙の全容がわからなくても、それをご自分の意思で創られた神様を信じるなら、あらゆる問題は杞憂に過ぎなくなります。この場合の杞憂の意味は、ありえないことを悩むというよりは、自分でどうすることもできないことを心配するということでしょう。

 そこで杞憂と対極的なのは信仰です。信仰とは自身を含めた全てを創られた神様を信頼して、自分ではどうすることもできない事柄は神様にお任せするということだと思います。神様がご自身が作られた全てを良しとされたのですから、すべての被造物は良いものとして作られたことを創造者に感謝して喜びたたえるのは当然のことでしょう。

 ここでは神様が人間や動物、地球という星だけではなく、私たちがそのほとんどについてわかっていない宇宙のすべての創造者です。様々なことに杞憂するのではなく神様を感謝してほめたたえましょう。

2. 自然を感謝して主の名を賛美しよう (7-10)


さて7節からは、詩人の目は宇宙からこの地球にフォーカスされています。12節までを読みます。

7 地上から主を賛美せよ。海の竜たちよ、すべての深淵よ
8 火よ、雹よ、雪よ、霧よ御言葉を成し遂げる激しい風よ
9 山々よ、すべての丘よ実を結ぶ木よ、すべての杉の木よ
10 生き物よ、すべての獣よ地を這うものよ、翼ある鳥よ

 詩人はここで、地球に存在するあらゆるものを網羅し、それらに主を賛美することを命じています。海とその中に住む生物、自然現象、山々、植物、動物にです。私たちは、これらのものがすべて自分たち人間と同様に神様の被造物であることを心に留めるべきでしょう。

 この詩編のシリーズで何度も引用してきた創世記1章の「神様は、地上の他の被造物を治めさせるために人間を自身に似たものとして創られた」と書かれています。また、創世記の2:19には「神である主は、あらゆる野の獣、あらゆる空の鳥を土で形づくり、人のところへ連れて来られた。人がそれぞれをどのように名付けるか見るためであった。人が生き物それぞれに名を付けると、それがすべて生き物の名となった。 」とあります。治めるのは神様に任された人類の使命です。それらを好き勝手に扱って良いということではありません。

 しかし人間は、それらのものを被造物仲間としてではなく、自分たちのために存在する資源としか考えられず、そのために正しく治めてこられたとは言えないと思います。すべての被造物たちが喜んで主を賛美できるような状況を神様は望んでおられます。そして、人間はその状況を保つことも壊すこともできる立場にいるのです。

 私たちはどのように、神様に代わってこの世界を治めていったら良いのでしょうか?人間の自己中心という罪が、その地球の治め方を誤らせてきました。自然は創られたことを喜び、主を賛美しているでしょうか?私には、苦しめられ、生存を脅かされて悲しんでいるように見えます。神様を信じる者は、他の被造物と共に主を賛美していることを忘れないように、それらを破壊するのではなく持続できるように、思慮深く治めてゆかなければならないのです。

3. 社会を感謝して主の名を賛美しよう (11-14)

さて、最後の部分にこの詩で初めて人間が呼びかけられています。11-14節です。読んでみましょう。

11 地上の王たちよ、すべての民よ高官たちよ、地上のすべての支配者よ
12 若者もおとめも老人も子どもも共に。
13 主の名を賛美せよ。御名はひとり高くその威厳は地と天の上にある。
14 主はその民の角を高く上げた。賛美は主に忠実なすべての人のなすこと主のそばにいる民、イスラエルの子らのなすこと。ハレルヤ。

 11節から13節までは、実は、詩の構成としては7-10節とひとまとまりになっています。つまり地上の被造物の最後に人間に賛美することを呼びかけているわけです。そして14節ではさらにフォーカスをイスラエルの民に絞って、賛美することを呼びかけています。

 人々の最初に、王や高い地位の者たち、支配者に呼びかけられているのが印象的です。その後に若者や老人、子どもたちも続きますが、この順に何かの意図があるのでしょうか?私には大きな権力を持つ者ほど自分が被造物であることを強く意識していなければならないという警句のように思えます。

 権力を持つと人間は誰でも、被造物であるにもかかわらず自分を神様のようにみなし人に服従を要求し始めます。そのような地位を持つ者たちが、若者や老人や子どもたちなど、持っていない者たちと同じ被造物として、共に喜んで賛美できるような境遇を提供することこそ真の王の役割です。

 権力は政治の世界だけに存在するものではありません。学校の教師と生徒、会社の上司と部下、病院の医師/看護師と患者、家庭の親と子の間でも権力は存在します。その意味では、皆さんも誰かに対して権力者、支配者です。その力を正しく用いるために大切なのが被造物として創造主を賛美することなのです。

 ショッピングセンターではハロウィンが終わった途端にクリスマスツリーがすでに飾られていますが、教会でも来週の礼拝後にクリスマスデコレーションをする予定です。クリスマスは、神様ご自身がすべての民に真の王として世界にこられた日です。 私たちは福音書に記されたイエスの言葉と行いから、創ってくださった神様の喜ばれる王の道を学び歩むことができます。

(祈り)主イエス・キリストの名前をほめたたえます。
創ってくださったことを感謝して賛美します。
救ってくださったことを感謝して賛美します。
共にいてくださることを感謝して賛美します。
私たちがあなたの民に相応しく歩むことができるように教え、導いてください。
あなたに感謝し、あなたをほめたたえ、イエスキリストの名によって祈ります。

要約

神様を賛美することは、自身が被造物として正しく振る舞うための最も基本的な態度です。私たちを取り巻く周りの状況は楽観的には見えず、様々な問題があり、どのような危険が待ち構えているかと考えると心配になりますが、私たちが神様に創られたものの一つであることを認めるなら、それらは全くの杞憂であることがわかります。宇宙の全てを良いものとして創造された神様を信頼し賛美して歩みましょう。

話し合いのために
  1. なぜ賛美することを勧められているのですか?
  2. 私たちは自然に対してどのような責任を負っていますか?
子どもたち(保護者)のために

子供たちと共に全体を読みましょう。宇宙、地球の自然、人間社会の全てが主を賛美することを勧められていることを知らせ。創造、自然、社会の中にどのようなところに神様の賛美に相応しい素晴らしさを感じられるか話し合いましょう。