世界で一番素晴らしいプレゼント

Image by Michael Schwarzenberger from Pixabay
見る
日曜礼拝・英語通訳付

❖ 聞く (メッセージ)

❖ 読む

世界で一番素晴らしいプレゼント

(マタイによる福音書 1:18-25・待降節第二日曜日)

池田真理

 今日は待降節第2日曜日です。今日はマタイによる福音書の1:18-25を早速読みたいと思います。

18 イエス・キリストの誕生の次第はこうであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが分かった。19 夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに離縁しようと決心した。20 このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ、恐れずマリアを妻に迎えなさい。マリアに宿った子は聖霊の働きによるのである。21 マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」22 このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われたことが実現するためであった。23 「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」これは、「神は私たちと共におられる」という意味である。24 ヨセフは目覚めて起きると、主の天使が命じたとおり、マリアを妻に迎えた。25 しかし、男の子が生まれるまで彼女を知ることはなかった。そして、その子をイエスと名付けた。

A. イエス様誕生の意味=インマヌエル

 クリスマスは、子どもたちにとってはサンタクロースにプレゼントをもらえる楽しみな時期です。大人には残念ながらサンタクロースは来ないかもしれませんが、お互いにプレゼントを贈り合う人も多いと思います。

 このクリスマスの文化と習慣がどのように始まったのか、私はてっきり、今日のタイトルにしたように、イエス様の誕生が神様からの世界一素晴らしいプレゼントだったことに由来していると思っていたのですが、どうも実際は諸説あるようです。聖書の中で東方の博士たちが贈り物をイエス様に捧げたエピソードに基づくという話もあれば、ローマ人が12月に祝っていた太陽を祝う祭に起源があるという話もあります。サンタクロースの起源は、皆さんも聞いたことがあるかもしれませんが、聖ニコラウスという聖人と言われています。イエス様の誕生を祝うキリスト教の文化と、必ずしも聖書には基づかないけれど、どの文化にも共通の、子どもたちを喜ばせたい大人たちの希望が結びついて、今のクリスマスの形になっているのかもしれません。

 でも、私が今日皆さんにお話ししたいのは、神様が世界中の人すべてに時代を超えて与えて下さった世界一素晴らしいクリスマスプレゼントの話です。ヨセフの夢の中で天使はこう告げました。

21 マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」22 このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われたことが実現するためであった。23 「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」これは、「神は私たちと共におられる」という意味である

 旧約聖書を読むと、神様はこの世界を創造された後も、預言者たちを通して人々を正しい道に導こうとされてきたと記されています。でも、人々は神様に反逆してばかり、互いに争い、傷つけ合うことをやめられませんでした。神様は、人とはそういうものであると知っておられましたが、決して人を見放すことなく、人を救うことを諦めませんでした。そして、それまでは預言者を通してしか語られませんでしたが、今から2千前に、自ら一人の人となってこの世界に来られました。それがイエス様です。

 イエス様は、この世界を造られた全知全能の創造主である神様ご自身であると同時に、私たちと同じ生身の肉体を持ったひとりの人でした。マリアという一人の女性から生まれ、両親に育てられ、後から生まれた弟や妹たちと、ナザレという小さな村で育ちました。やがて、大人になったイエス様は、ご自分がこの世界に生まれてきた目的を果たすために家を出て旅に出ました。それは、神様が望まれる社会のあり方を人々に教え、神様の愛を人々に伝えるための旅でした。その最終目的は、神様の愛が全ての人に注がれていることを証明するために、自らが罪人の身代わりとなって処刑される運命を受け入れることでした。

 イエス様の存在は、神様の愛そのものであり、神様の赦しそのものです。神様がこの世界に肉体を持って現れたというだけでも驚きですが、その方が罪人として処刑されたということは、にわかに理解し難いことです。でも、それが神様という方であり、イエス様でした。神様は、自らの神様としての身分を捨てました。イエスという名前もヘブライ語のヨシュアにあたり、「主は救い」という意味ですが、ありふれた名前です。神様は、一人の人イエスとして、有限の時間の中を人々と一緒に過ごし、弟子たちと共に旅をし、病気や差別に苦しんでいる人のために心を砕き、社会の不正義には時に激しく憤り、文字通り、誰でも手を伸ばせば届く距離にいることを選ばれたのでした。そして、私たちが神様の愛に反することばかりして、互いの罪の中で溺れかかっているために、その罪を全て背負い、十字架で死なれました。私たちを裁く立場の方が、裁かれる立場になったのです。それは、神様の正義と神様の愛と赦しが両立する唯一の方法でした。

 だから、イエス様は旧約聖書の預言通りの、「インマヌエル」(神は私たち共におられる)と呼ばれる救世主メシアでした。神様は私たちの罪深さを深く嘆かれながらも、私たちがどんなに罪深くとも共におられる方なのだと、イエス様は証明して下さったのです。

 世界で一番素晴らしいプレゼントは、歴史上で一回だけ、神様が全時代の全ての人に贈って下さったプレゼントです。それは、今日も私たちに差し出されています。私たちと共にいたいと願われるメシア、イエス様です。そのプレゼントを受け取るかどうかは私たち次第です。

 でも、私たちはどうやってそのプレゼントが自分にも差し出されていると知ることができるのでしょうか?それがここからお話ししたいことです。方法は二つあります。この二つは二つで一つです。一つは孤独の中で、もう一つは人々を通してです。まず、孤独の中でプレゼントを受け取ることについて考えましょう。

B. 孤独の中で知るインマヌエル
1. ヨセフ(マリア)の場合

 イエス様の義理の父親であるヨセフは、インマヌエルというプレゼントを最初に受け取った人の一人です。彼より前に、彼の婚約者であるマリアも受け取っていました。彼らにとってそのプレゼントは、最初は困惑でしかなく、社会の中で自分の立場を危うくさせる危険なものですらありました。マリアにとっては身に覚えのない妊娠、ヨセフにとっても身に覚えのない自分の婚約者の妊娠です。二人とも、それが本当に神様の力によるものなのかどうか、天使に言われたことが本当なのかどうか、信じるかどうかを自分一人で決めなければいけませんでした。それは、誰かに相談して決められる種類のものではなく、自分が神様を信頼するかどうかの選択でした。

2. 自分とイエス様だけの時間を持とう

 私たちは誰でも、孤独の中で、神様が本当に自分と共におられるのかどうかを確かめなければいけない時があります。思いがけない病気になった時、大切な人が病気になった時、神様が変わらずに自分のことを愛しておられるのか、神様が共におられるのかどうか、それぞれが自分で確かめなければいけません。そういう苦しい時、ある人は「あなたは神様に見捨てられたのだ。あるいは、元からあなたと共にいる神などいなかったのだ」と言うかもしれません。またある人は「神様は変わらずにあなたのそばにいる。あきらめないで」と言うかもしれません。どちらが本当なのか、決めるのは私たち一人ひとりです。
 また同時に、私たちには、孤独の中でしか味わうことのできない神様との豊かな交流があります。進学や就職や引っ越しで、知らない人たちの群れの中に入っていかなければいけない時、私たちは孤独を感じて不安になります。でもそういう時は逆に、誰も自分のことを知らなくても、神様は変わらずに共にいてくださるということを、より強く感じることができるチャンスでもあります。知らない人の群れの中で心細くても、「私は決して一人でそこにいるのではなく、イエス様が共におられるのだ」と思える時、私たちは冷静さを取り戻して、自分らしくいることができます。また、そのような経験を重ねることは、私たちとイエス様の関係をより強く深くしてくれます。
 このように、インマヌエルという神様のプレゼントを受け取るということは、第一に、自分とイエス様だけの時間を持つことです。それは、私たちとイエス様との一対一の関係で、私たちの心を神様に集中することです。祈りと呼んでも礼拝と呼んでもいいと思います。日々の慌ただしい生活の中で、ぜひ、ひとりの時間をイエス様と過ごす豊かさを、忘れないようにしてください。

 ただし、先に言った通り、インマヌエルのプレゼントは孤独の中でだけ受け取れるものではなく、他の人を通して、つまり人々の間にいることで受け取れるものであるということを、次にお話ししたいと思います。

C. 人々の間で知るインマヌエル
1. ヨセフとマリアの場合

 ヨセフとマリアは、それぞれ神様を信頼して、自分たちの身に起こった非常識で恐ろしいことが神様の力によるものだと信じました。でも、その次に彼らがしなければいけなかったのは、互いを信頼することでした。ヨセフはマリアが不貞をしたのではないと信じなければいけませんでしたし、マリアはヨセフがそのことを受け入れてくれると期待しなければいけませんでした。二人はそのように互いを信じ、また相手が神様を信頼しているのを見て、さらに互いを信頼することができました。天使の知らせは最初は二人にとって恐怖でしたが、それが深い喜びに変わったのは、一緒にそれを受け入れて喜ぶ相手がいたからです。

2. 人を愛し、信じよう

 私たちも、インマヌエルの喜びを互いの存在を通して知ります。教会の家族や友人がイエス様のことを信頼して生きている姿を見て、自分もそのように歩む勇気や希望を持つことができます。私たちは一人ひとり、弱い人間にすぎません。その弱い人間がイエス様を見上げて人生を歩もうとする時にぶつかる葛藤は、同じ人間だからこそ共有できるものです。私たちは時には、神様を信頼したいと思っていても、どうしても悲しかったり、混乱していたり、自分にはどうしていいか分からなくなる時があります。そういう時、ただそばにいてくれたり、ただ話を聞いてくれたりする人が、誰にでも必要です。そういう人たちは確かにその時は神様の代わりを務めてくれています。神様の代わりに私たちのそばにいて、慰め、励ましてくれます。目に見えない神様にはできないことを、神様に代わってしてくれているのです。
 そして、不思議なことですが、インマヌエルの喜びは、それを私たちが人に分けようとするときに私たちの中でより大きくなります。インマヌエルを必要としている人は多いのに、そのプレゼントが自分に差し出されていることを知らないまま過ごしている人がとても多いです。私たちにできることはわずかですが、イエス様の代わりに誰かのことを愛し、信じてあげることによって、私たち自身が思いがけない喜びを与えられることがあります。誰かの心にイエス様の愛が届く瞬間を目撃する恵みを与えられます。それは、泣いていた人が笑顔になったり、自信を失っていた人が自信を取り戻したり、それ自体は小さなことかもしれません。でも、それを目撃した私たちには大きな励ましになります。私たちの力ではなく、インマヌエルの力です。

 皆さんにとって、インマヌエル、神様が共におられることは、どれくらいリアルでしょうか?どうぞ、孤独の中でそれを確かめてください。そして、誰かを通してそれを知る喜びを知ってください。さらに、その喜びを誰かに届けることで自分の喜びが大きくなることをもっと経験してください。神様からのプレゼントをどうぞ受け取ってください。

(祈り)この世界を造られた神様、あなたが二千年前にこの世界にイエス様として来てくださったことを、私たちは今もう一度心に留めて、あなたを讃美します。一人でいる時も、誰かと共にいる時も、あなたが共にいてくださることを、ありがとうございます。私たちはそのことをよく忘れて、自分勝手に歩もうとしたり、心細くて自信を失ったりします。どうか、あなたと共に人生を歩める喜びが、他の何にも変えられない喜びであるということを、日々私たちに教えてください。そして、そのことを共に分かち合う友人を与えてください。イエス様、インマヌエルの主よ、あなたの名を讃えます。あなたの尊いお名前によってお祈りします。アーメン。


要約

クリスマスプレゼントの由来は色々ありますが、二千年前、神様は時代を超えて全ての人に世界で一番素晴らしいプレゼントを下さいました。それは、「インマヌエル」(神は私たちと共におられる)です。神様はイエス様としてこの世界に来て下さり、ご自分の時間と労力と心と命を私たちに与えてくださいました。神様はご自身を私たちに与えてくださったのです。そのことを信じて、心にイエス様を迎えるなら、私たちは孤独の中でも神様が共におられる平安を得られます。また、そのことを信じる者の間にも神様は来られ、私たちは互いの存在を通して神様が共におられることを知り、共に喜ぶ恵みを得られます。このように世界で一番素晴らしいプレゼントをぜひ受け取って下さい。

話し合いのために

1. 神様が共におられるということを、あなたは実感できていますか?

2. このプレゼントを受け取った私たちは、次に何をすべきなのでしょうか?

子どもたち(保護者)のために

子どもたちはクリスマスプレゼントを楽しみにしていると思いますが、イエス様の誕生は神様から全ての人への世界で一番素晴らしいプレゼントだということをお話ししてください。神様がどんな時でも一緒にいるよというのが、なぜ世界で一番素晴らしいことなのか、ご自分の経験を通して話してあげてください。